第16話 途切れた童話

 ランチを食べて終わりかと思いきや、カインはまだ行きたい場所があるらしい。

 ゼナは厨房に美味しい料理のお礼を言ってダイニングルームを出ると、今度は王宮図書館に案内された。

 外観や窓の造りは王宮とほとんど同じで、国中の書物が集積された広大な書庫だ。


「ここには美術館も併設してあるんだ」


 カインは相変わらず楽しげな様子で図書館に足を踏み入れ、中の説明をしてくれる。


 ゼナは「そうなんですね」と明るく相槌を打ち、壁一面に本棚が並ぶ館内を見渡す。王宮に似合うアンティークな装いで、暖かみのあるライトが安心感を与えてくれる。


「こっちにおいで」


 壮大な雰囲気に圧倒されて立ち尽くしていると、奥の方に進んだカインが手招きをする。どうやら、予めゼナに見せたい場所が決まっていたらしい。


 カインに連れられたのは、図書館の右奥にある小さな展示スペースだった。

 そこには、本棚ではなく額縁に入れられた絵画が数点飾られている。


(どうして、美術館ではなくここに?)


 ゼナが不思議に思っていると、カインが声をかけてくる。


「この絵、どう思う?」

 

 彼の問いに、ゼナは絵画に視線を向ける。


「あっ」


 その瞬間、ゼナの心臓が跳ねた。

 展示された絵画には、白い羽を持つ美しい天使が共通して描かれていた。ゼナと同じ長い金髪、紫の瞳を持つ美しい天使である。

 ゼナは優しく微笑む彼女の姿に目を奪われ、無意識に固唾を呑んでいた。


「これ、廊下の『天使の微笑み』と同じ……!?」

「そう! そっか、君は見たことがあったんだね」


 ゼナが半ば放心状態で呟くと、カインは僅かに目を見開いて、興奮したように声を高くした。


「これらもあの絵と同じ画家──ノアが描いたものだ。本当は博物館の方に飾ってあったんだけど、僕が気に入ってるからこっちに移してもらったんだ」

「そうなんですね……この方の絵はとても美しくて、つい目を惹かれてしまいます」


 ゼナは「どう思う?」というカインの問いに、素直に答える。 


「素晴らしいよねえ……実に見事な筆致だ。この絵を描いたとき、ノアはまだ十五歳だ。穏やかで気前の良い男だったよ」


 カインは絵画に手をかざし、表情を和らげる。

 対して、まるで直接会ったことのあるような彼の言いぶりに、ゼナは引っ掛かりを覚えた。

 しかし、そんなはずはない。以前シュテファンに聞いた話では、この絵を描いたノアという画家は数世紀前の人物だ。カインはノアの研究でもしているのだろうか。


「随分、お詳しいですね。ノアさまの絵画がお好きなんですか?」

「うん。でも、僕よりアローの方が彼のことを気に入っていると思うよ」


 カインの言葉に、ゼナはアロイスの屋敷の壁にもノアの絵画が飾られていたことを思い出す。

 王族の兄弟が揃って魅了されるとは、ノアの絵画の力は凄まじいものだ。


 ゼナがノアの絵画たちを眺めていると、カインは近くにある背の低いショーケースに仕舞われていたひとつの本を取り出す。


「実は、この画家は童話の挿絵も描いていてね。よければ、読んでみて──」


 カインがゼナに古びた本を差し出した瞬間、入口の方からツカツカと図書館に似合わない足音が聞こえてくる。

 そして、「カイン様!」と若い男がカインの名を小声で呼びながら、こちらへやって来た。


「ここにいましたか……! シュテファンが困り果てていましたよ。政務があるんですから、はやく執務室へ来てください」

「ええ、めんどくさいなあ……」

「もう、王太子様の代わりをちゃんと担ってください! お父様にまた叱られますよ」


 若い男は眉を吊り上げて、カインに詰め寄る。会話の内容とシュテファンと同じような身なりをしていることから、おそらく側近だろう。

 カインは「わかった、わかった」と側近を宥め、ゼナの手に本を握らせる。


「ゼナ嬢、それは君にあげるよ。元々僕の所有物だから、気にしなくていい」

「ありがとうございます……?」


 このプレゼントの理由が分からないが、ひとまず礼を言う。

 すると、カインはにこりと微笑み、小言を零す側近に連れられて図書館を出ていった。


「これ、なんの童話だろう?」


 ゼナは本を目の前にかかげて観察しながら、首を傾げる。おかしなことに、本の表紙にも背表紙にも何も書かれていない。

 昔から空想に浸り、夢物語が好きだったゼナは、童話という心躍る響きに釣られてその場で表紙を捲る。

 そして、童話の世界の一ページ目に飛び込んだ。



 ──あるところに、ちいさな天使がいました。

 その天使は女神さまの一番のお気に入りで、神の国で大切に育てられていました。

 ちいさな天使はすくすく育っていき、誰よりも美しく真っ白な羽を持った天使になりました。

 真っ白な天使は他の天使と話すことも遊ぶこともできません。神の国の奥底に閉じ込められていたのです。


 そんなあるとき、真っ白な天使は孤独に耐え切れず、女神さまに黙って、外に逃げ出してしまいました。

 しかし、真っ白な天使は一度も飛んだことがないため、上手く羽を広げることができず、ケガをしてしまいます。

 そうして、ひとりぼっちで泣いていたところ、優しい天使が「どうしたの?」と、声をかけてくれました。

 そうです。真っ白な天使は、他の天使たちがいる明るい場所まで出てきたのです。

 優しい天使に助けられた真っ白な天使は、初めて見る他の天使たちに胸が高鳴りました。


 しかしその次の日、真っ白な天使が逃げ出したことを、女神さまに気づかれてしまいました。

 女神さまはとても怖い顔をして言いました。

「この一度だけ、許してやろう。再び、私を怒らせるようなことをしてはいけないよ」

 そして、真っ白な天使は他の天使たちと遊ぶことを許され、大いに喜びました。

 特に、最初に助けてくれた優しい天使と、一番生まれた時期が近い賢い天使と仲良くなり、ずっと一緒に遊びました──。



 ゼナはページを捲る手を止め、首を傾げる。


「あら、破けてるわ」


 続きのページが破られていた。

 話のキリがいいように見えるため、元々こういう構成だとも考えられるが、それにしては乱雑な跡が残っている。誰かが故意に破った可能性が高い。


 本には天使の挿絵が三枚あった。

 鳥籠のような場所で育てられる真っ白な天使の挿絵。

 真っ白な天使を助けた優しい天使の挿絵。

 真っ白な天使を手解きする賢い天使の挿絵。

 この三枚だ。主な登場人物は彼らなのだろう。

 真っ白な天使と賢い天使は少年、優しい天使は少女の姿をしている。この少女はノアの絵画の美しい天使によく似ていた。


 ゼナは本をそっと閉じて目を瞑る。

 この童話を読んでいると、あの夢を思い出してしまう。夢の中の羽の生えたアロイスは、まさにこの絵画の天使たちを思わせる姿だった。


 カインがゼナにこの本を譲ったのは、単にお気に入りの画家の挿絵を見て欲しいからではないのではないか。この童話自体に意味があるのではないか……そんな気がする。


 本の背表紙にはノアのサインが書かれてある。

 ──ノア・クラン。

 フレンツェル兄弟が好むこの画家について知れば、夢についてもなにか分かるかもしれない。漠然とした予感がゼナを突き動かす。


(それに、クランというこの名前……前にもどこかで見たことがある気がするわ)


 クランという姓を、ノアの他に知っているような気がする。

 でも、どこで見聞きしたのだろう。もしかしたら、シェードレ家の知り合いにいたかもしれない。


(今日はダメな日だわ。朝からずっと頭の霧が晴れない)


 ゼナは本を胸に抱え、ふう……とため息を着く。冴えない日はとことん冴えない。そういうものだ。

 ひとまずシュテファンの元に戻ろうと、ゼナは王宮図書館を後にした。

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