宿縁の花嫁は黒王子と二度目の愛を誓う
祈月 酔
第1章
第1話 黒王子の花嫁
「必ずあなたに会いに行くから、それまで待っていてくれ……!」
これは、誰の言葉だっただろう。
優しくて、とても悲しい響きを宿している。
哀切な声はゼナの夢に、たびたび現れた。
そして、ゼナの記憶に残る前に彼女の深層へと沈んでいくのだった──。
***
ゼナは今日、メルンド国第三王子の屋敷に招かれていた。
ここに招集されたのは五人の令嬢。その目的は、都の爵位を持つ名家から年頃の娘の中から、王子直々に自分の婚約者を選定するためだという───。
ゼナは大広間の右端から、玉座に腰掛けるアロイスを見上げる。
──アロイス・フレンツェル。
闇夜を映したような黒髪に濃い紅色の瞳。上品で洗練されたその美貌を、金の刺繍が施された煌びやかな礼服が際立たせている。
彼はその仄暗さを併せ持つ容姿と、冷淡な振る舞いから「黒王子」とも呼ばれていた。
アロイスの纏うオーラは品に溢れていて、遠目からでも端正な顔立ちであることが分かる。
(あれ? わたし、どこかで殿下を見たことが……)
ゼナは自分の番が来るまで、ぼうっとアロイスの姿を見つめていた。
どこかで、アロイスの顔を見たことがある気がする。しかし、記憶を探っても思い当たるものはない。気のせいなのだろうか。
「最後に、シェードレ子爵令嬢です」
「は、はい」
やがて、ゼナはアロイスの側近に名を呼ばれ、慌てて視線を下に落とす。その勢いで緩やかにウェーブがかった金髪が、肩から零れ落ちた。
「ゼナ・シェードレと申します。この度はご招待いただき、とても光栄です」
ゼナは緊張した面持ちのまま、カナリアのドレスの裾を摘んで腰を折り、深く礼をする。
そして、数秒経ってから顔を上げると、大きく見開かれたアロイスの赤い瞳と視線がぶつかった。
(えっ?)
アロイスはこちらを見下ろしたまま何も言わない。ただ肘掛に置いた頬杖を離して、驚愕した表情でゼナを見つめたまま動かずにいる。
アロイスの様子と突然の沈黙に、何か失言をしてしまったのだろうかと、ゼナは不安になる。ゼナ以外の令嬢の挨拶には、何かしらの反応を示していたのに。
「あ、あの……?」
ゼナはおずおずと口を開く。
令嬢たちが並ぶ列より一歩前に出て挨拶を述べたはいいものの、指示が無ければ後ろに下がることもできない。
彼の傍に立つ側近は困惑した表情を浮かべて、ちらちらとアロイスの顔をうかがっている。令嬢たちも訝しげな様子でアロイスを見つめた。
「──やっと会えた」
そんな中、アロイスはようやく口を開いた。それは、ゼナに大して放ったというよりも、思わず漏れ出たような呟きだった。
アロイスはおもむろに玉座から立ち上がって階段を降り、ゼナの方へと向かってくる。
(えっ……!? どうして私の方に!?)
そして、ゼナの前まで来ると、無言のままゼナを見つめた。彼は再び、影で光の入らない紅い瞳をゼナにぶつける。
どうして、こんなに見られているのだろう。
美形の無表情というものは、非常に鋭い冷たさを持っているもので、ゼナはヒュッと息が詰まる。
「ゼーラ」
「へ……?」
数秒の後、アロイスはゼナにだけ聞こえるように囁いた。
(ゼーラ……?)
一瞬、名を呼ばれたのかと思ったが、どうやら「ゼナ」ではない。
ゼナは困惑して、首を傾げる。
そんなゼナに対して、アロイスは一瞬だけ瞳を揺らして表情を曇らせ、かと思えば、次の瞬間には顔を明るくした。
そして、アロイスは綺麗に微笑み、戸惑うゼナに向かって、皇族の指輪を嵌めた手を差し伸べた。
「ゼナ・シェードレといったな。早速だが、俺と婚約しよう」
困惑中の脳内に追い打ちをかけるように告げられた言葉に、ゼナは目を見開き、唖然とする。
「俺の婚約者になれ」
「えっ、えっ……!?」
アロイスはゼナとの距離を詰めて、もう一度告げた。
数秒の後、ゼナはようやくアロイスの放った言葉を理解する。
(こ、婚約…………婚約者っ!? わたしが……!?)
ゼナは小さく口を開いたまま何度も瞬きを繰り返し、頭の中でアロイスの言葉を反芻する。
ゼナの耳が正しければ、今、アロイスはゼナに向かって「婚約者になれ」と告げた。さらに記憶を振り返れば、ゼナは今日、アロイスの花嫁選定に招待されてここに来ている。ということは──。
「アロイス様っ! 冗談ですわよね? わたくしを選ぶはずてしょう……!?」
そのとき、パンク寸前のゼナの代わりに、列の中央に立っていた令嬢がアロイスに向かってまくし立てる。
ゼナは半ば反射的に彼女の方を向く。そこに居たのは、ガーネットの艶髪の美しい娘だった。
(ディシア様……)
──ディシア・ウィンクラー。
メルンド国の最有力貴族であるウィンクラー公爵家の令嬢だ。ゆえに、彼女こそが花嫁の本命候補だろうと噂されていた。
「ウィンクラー、今は儀式の最中だ。余計な口は慎め」
アロイスは険しい顔でディシアを諌める。
それに対して、ディシアはすぐに身をかがめたが、ギリと奥歯を噛み締めるその表情には、悔しさが色濃く現れている。
(わたしを殺す勢いで睨んできてる! ど、どうしよう……!)
仕舞いには、ディシアはゼナの方に顔を向けて、きつく睨めつけてきた。しかし、ゼナはどうすることもできずに、ただ俯いてその場に固まっている。
「どうした」
すると、アロイスはアームチェアから身を起こして、ゼナの方へと歩いてくる。
「なぜ、そんなに浮かない顔をしている」
「えっ?」
突然のアロイスからの接近に、ゼナは動揺する。心臓が飛び出してしまいそうだ。
「ゼナ」
「!?」
そんなゼナに対してアロイスは微笑み、ゼナの強ばる手を取って自分の方へと抱き寄せた。
突然のことに、ゼナは顔を赤く染めてアメジストの瞳を揺らす。
(どうなってるの……!? わたし、王子に抱き寄せられて……)
アロイスはゼナの手を握ったまま、その肩を優しく抱く。近くに見えるアロイスの姿は、遠くから見るよりも美しくて圧倒されてしまう。
一連の流れを見ていた他の令嬢たちは声にならない悲鳴を上げて、さあっと顔を青くする。
(ううっ、視線が痛いわ)
令嬢たちから先程よりも鋭い視線を向けられて、ゼナは咄嗟に顔を背ける。
すると、偶然にも、アロイスの胸に顔を埋めるような体勢になってしまい、ゼナは余計に動揺してしまう。
「シュテファン、花嫁はシェードレ子爵令嬢に決定だ。これをもって花嫁選定は終了とする」
アロイスは傍に控える側近──シュテファンに向かってそう告げる。すると、シュテファンは少し驚いた様子を見せたが、すぐに粛々と頭を垂れた。
(本当に? 本当にわたしが選ばれたの? 都合のいい夢でも見ているのかしら……)
ゼナは口を薄く開いたまま人形のように固まってしまう。これはまるで、いつもゼナが空想に耽っている夢物語のような展開だ。
そんなゼナの様子を知ってか知らずか、アロイスは再び「ゼナ」と甘い声で囁く。
「アロイス様っ! お考え直しを! なにかの間違いですわよね!?」
しかし、ディシアの悲痛な声がアロイスの言葉を遮る。さらに、ディシアの叫びが引き金となり、大広間がざわつきめた。
温度も下がったような気がする。それほどまでに、ゼナを取り囲む令嬢たちの冷ややかな視線が肌に突き刺さった。凄まじいオーラで「拒否しろ」と暗に命令されている。
「あ、あの……殿下の花嫁というのは、わたしにいただくにはあまりに身の余ることで……」
ゼナは我慢ならず、アロイスを見上げて恐る恐る口を開く。しかし、それ以上の言葉を紡ぐことはできなかった。
(だめだわ……。これ以上、わたしのような立場から殿下を拒むことなんてできない……)
ゼナは眉を下げ、ぎゅっと目を瞑る。
「そんなことは気にするな。俺はあなたを婚約者に選んだ。これは決定事項だ。──シュテファン、令嬢たちのお見送りを」
「承知いたしました」
アロイスはがシュテファンに命令すると、彼はこちらに向かって深くお辞儀をして、広間の大扉を開く。
「選定が終了しましたので、花嫁以外のご令嬢方はお引き取りください。外に馬車を用意しております」
シュテファンがそう言うと、壁際に待機していた王子の護衛騎士たちが、ゼナ以外の四人のもとへ近づき、退出を促す。しかし、それぞれが項垂れた様子で帰っていく中、ディシアだけは食い下がる。
「アロイス様! わたくしを婚約者に選んでくださるのでは!?」
「ウィンクラー、口を閉じろと言ったはずだ。なにか勘違いしているようだが、俺はあなたを選ぶと約束した覚えはないし、あなたと会ったのは今日が二度目だ。既に儀式は終了した。──お引き取りを」
「そんなぁ……っ!」
アロイスは氷のように冷たい表情で言ってのける。対して、ディシアは悲痛な嘆きを漏らし、わなわなと震えて下唇を噛み締める。
そして、去り際にゼナを睨みつけて、ドレスを翻して広間を出ていく。
(大変なことになってしまったわ……!)
ゼナの耳には、コツコツと床を叩くヒールの音が、やけに鋭く聞こえた。
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