2

「ウソだし……」


 目前に、私の作品の登場人物――ヒルデガルド・ロートケップヒェンがたっていた。

 偽物か本物かはわからないが、その凛々しさやうつくしさは私のイメージそのものだ。


「なに、ボォーっとしていまして?」

「いや、あんた誰だし? なんでヒルダの格好を……」

「そんなことよりも……」


 ヒルダが指をさしたさきに、もう一匹のドラゴンがいた。

 ドラゴンはこちらをむくと、牙をむいて咆哮をあげる。


「ボォ―しているヒマはありませんわ」

 ドラゴンをさしていた指がこちらをむく。


「あなた、名は?」

「……十花」

「じゃあ、十花――」


 突如として、虚空に黄金の鎖があらわれる。

 そして、ヒルダの腕と指にまきついた。


「ちょ、ちょっとまって」それって。


 ――『大神産巣日(グレイプニル)』


 つぎの瞬間、ヒルダにまきついた鎖が私へととんでいく。

 鎖は私の胸に直撃すると、そのまま溶けるように体へはいっていった。


「……くッ!」


 これはヒルダのスキル『大神産巣日』だッ!

『大神産巣日』は対象者をヒルダの下僕へとかえる能力。

 つまり、私は……。


「あなたは、この瞬間から、私の下僕になりました」


 ……ヒルダの下僕になったのだった。


「では、『最強の』下僕」

 ヒルダはたんたんと告げる。


「あのトカゲを殺してくださらない?」

「……!」

 ヒルダがしめしたさきにいたのは、ドラゴンだった。


「……ウソでしょう? そんなのムリだし!」


 言葉とは裏腹に、私の体は勝手にうごき、ドラゴンに直進していく。

「ちょ、ちょ、ちょっと、とめてぇ!」


「『大神産巣日』をうけて口答えできるなんて……けど、体はすなおなようで」

 ヒルダがパンパンッと手をたたき、口角をあげた。



 ヒルダ。

 傲岸不遜な性格で、自身のスキルで人々を奴隷のようにあやつる悪魔のような令嬢。

『災恋』の舞台である乙女ゲームでは、ヒロインの恋路を邪魔する悪役として登場する。

 でも、実際は……。



「ガチもんの悪魔だしぃぃぃ!」

 私は涙をながしながら、ドラゴンにつっこんだ。


 ドラゴンはこちらにきづくと、腕をむけてくる。

「はぁッ!」私の片手が、爪をうけとめる。

 視界にうつる光景に、現実味をかんじられなかった。


 これが『大神産巣日』のもうひとつの能力だった。

 ヒルダの下僕となった者は、彼女の采配で無尽蔵に強化される。


 つまり――彼女が最強といえば、私は最強になるのだッ!


「グゥオオォォォ!」


 私のパンチで、ドラゴンの頭がグニャアとへっこんだ。


 くずれるように、巨体が地面へころがる。

 ドラゴンが事切れるのを見おくったあと、私も地面にたおれた。


 くぅ、全身がいたくてうごかない。


 たしかに私は、ヒルダ次第で無尽蔵に強化される。

 だがしかし、自分以上の力を発揮すると、そのぶん肉体に負担がかかるのだ。


 最悪の場合、死ぬ。


 パンッ、パンッ――かわいた拍手がひびく。


「よくやりましたわ」

 笑顔をうかべて、ヒルダが私を見おろす。


「……なんで私が戦わなきゃいけないしぃ!」

 私は声をあらげ、ヒルダに抗議する。


「そもそも、 あなたが自分で戦えばいいじゃん!」

 さっきドラゴンをまっぷたつにしたんだからさ。


「あたくしが?」ヒルダは嘆息する。

「……それでは意味がないんでしてよ」


 ヒルダが一拍おいて、宣言した。

「なにせ、あなたこそが……エゼルウルフを殺す鍵なのですから」



 私が魔王エゼルウルフを殺す鍵?


「どういう意味だし?」


 そうといただすのと同時に。


『はっはっはっ!』

 ――ビジョンにうつった魔王がわらいだした。


『序章もこれでクライマックスだ』


 魔王が指をならすのと同時に、あばれていたドラゴンがきえた。

 あれだけさわがしかった町が、ウソのようにしずかになる。


『いまいきのこっている者こそ、素質があるのだろう』


「素質……?」

 魔王の言葉に、首をかしげる。


「あ、あれッ!」

 周囲のいきのこりが、おびえるように天をあおぐ。


 私も便乗して、空を見た。


「はッッ――はぁッ?」

 空に、巨大な魔法陣がうかんでいる。


『さぁ、人間どもよ。おそれおののけ、そして絶望するがいい』


 魔法陣が赤くかがやいたとおもったら、そこからバァッと火炎がふきだす。

 そのおおきさは甚大ではなく、それこそ国をまるごともやしそうだった。


「十花ッ!」


 ヒルダが私のうえに、おおいかぶさった。

 私とヒルダの顔の距離が、いっきにちかくなる。


「ちょいちょい、なにを……?」


 やばい、ちかくでヒルダの超美人顔なんか見たら……。


 心臓がドキンドキンと音をたてる。

 どうしよう、なんだかあまいかおりが……。


「ぎゃぁぁぁ!」悲鳴が私の思考を粉砕する。


 オフィス街が炎につつまれていた。


 ビルは溶け――人は黒炭になり――ただ断末魔だけがのこる。

 これが地獄だと説明されても、なんの違和感をもたないだろう。


 ふと、きがついた。

「私たち、無事じゃん……」


 まわりが火の海になっているのに、私たちはもえるどころか、火傷すらしていない。


 これは、もしかして、水属性の防御魔法……。

 けど、ヒルダの得意属性は火のはずじゃ……。


「くっ……」

 ヒルダがくるしそうな顔をして、歯をくいしばっている。


 得意属性以外の魔法をつかうと、生命力と精神力を大幅に消費してしまう。

 ふたりぶんの防御魔法となればさらに、消費がはげしくなる。


「このぐらいじゃあ、へこたれませんわ」


 いまのヒルダの顔を見ていると、なんだか心苦しくなってくる。


「そんな……私をまもらなかったら、ここまでくるしまずにすんだのに……」

 おもわずつぶやいた。


「バカにしないで、くださらない?」

 私の声をきくなりヒルダは、余裕そうに顔をニヤけさせた。


「あなたをまもるぐらい、屁でもありませんわッ!」


 ドキッと私の心臓がゆれる。

 その台詞をきいたとき、目前の女が本物のヒルダであることを確信した。


 ヒルダは最凶災厄の悪役令嬢だ。だが、しかし――


「こういうとき、平気で他人を優先する――」


 人をあやつるのは、その人を一番にまもるため。

 恋路を邪魔するのは、ヒロインにしあわせになってほしいから。


「いつも他人おもいな、いいやつなんだッ!」


 天の魔法陣から物凄い量の光がはなたれる。

 バッと瞳に光の洪水がながれこみ、私の意識がとだえようとしていた。


 かろうじてヒルダの顔が……鮮明に見える。


 目をほそめた、満面の笑み。


 やっぱり、私、ヒルダのことがすき……。

 そんなおもいが頭を支配するなか、私の意識は闇にとけていった。

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