第1話 記憶泥棒③

 生体部品ひとつぶんの安い記憶などで済ませるわけはなかった。〈記憶屋〉にとっては何も知らぬ無垢なる者が、罠にかかったにも等しかった。至近距離でディスプレイを見ながら、台に備え付けられたキーボードを叩く。黒い画面にオレンジ色の文字が次々に流れていく。

 記憶を盗まれ、こんな街までやってきた〈旅人〉ひとりぶんの記憶!

 まさに劇的でドラマチックでロマンスティックな物語に違いない。この街で恐怖を忘れ、平凡と凡庸さのただなかにあり、堕落に落ちて刺激に飢えた者どもにどれほど高く売れることだろう。すべての記憶さえ吸い取ってしまえば、不要になった体はそのあたりに転がしておけばいい。掃除人によって回収されるか、そうでんなくともそのうちに自分の元の姿さえ忘れて溶けてしまうに違いない。そうなればあとは知らぬ存ぜぬだ。〈記憶屋〉にとって大したことではなかった。

 設定を終わらせると、機械がぶんぶんと唸った。〈旅人〉の記憶を照合していた機械が、今度は〈旅人〉の記憶を奪い取るべく動き出す。ディスプレイのなかにはいまどれくらい進んでいるのかのゲージが表示され、オレンジ色の波が少しずつ上がっていく。顔がにやつくのがわかった。我慢ができない。自分の頭のヘルメットからコードを一つ引き抜くと、機械に接続する。それからもうひとつ。更にひとつ。椅子の上で〈旅人〉の体が小さくがくんと跳ねた。順調だ。

「さあさあ、いったいぜんたいどんな記憶を持っているのか、このおれに見せてみなよ」

 ヘルメットについたつまみをきりきりと動かす。チャンネルを合わせる。目の前で黒い映像が映し出される。ヘルメットのボタンを操作して再生する。いよいよだ。期待がふくらみ、わずかな暗闇ですら長い時間のように思える。意識がすべて映像に集中する。轟々という音がする。

 その後ろで、〈旅人〉の手がぴくりと動いた。

 指先から順に自分を取り戻したようにぴくぴくと動き始めると、石化から解けるような鈍い動きで腕が頭へと動いた。自分の頭を覆っているヘルメットに向かい、がっしりと掴む。

「遅い――遅い! 早く見せてくれよ。どうしたっていうんだ。なにか不都合でも――」

 ヘルメットの中でぶちぶちと音がする。粘液のように、脳味噌に繋がっていたコードが抜けていく。細かなコードがすべて抜けてヘルメットの中に戻ると、〈旅人〉はヘルメットをむりやりに上へと押し上げた。ガチャンと結構な音がした。目線が何かに夢中になっている〈記憶屋〉の背に向けられる。

 〈記憶屋〉がそろりと後ろを見る。目が合った。

「な、な……」

「まさか泥棒を探しに来た先で別の泥棒に遭うとはな」

 首を傾げさせる。ゴキリと音がする。

 固まりきった筋肉をほぐすように軽く肩を動かす。

「なんで、あの状態から!?」

「どうして見えもせず聞こえてもいないと思ったんだね?」

「そんなバカな!」

 〈旅人〉は椅子から立ち上がり、隣に立って簡単に衣服を整えた。

「気にせずとも、こちらから……いや、〈彼女〉に照合してもらったよ。どうやらわたしの記憶も売られていなかったようだ。残念だが帰らせてもらおう。あまり信用のおける〈記憶屋〉ではなさそうなのでな」

 そう続けて帽子を手に取る。自分の頭にちょんと乗せると、そのまま軽く片足をぶらつかせてから歩き出した。

「は……」

 〈旅人〉は呆然とする〈記憶屋〉の隣を通り過ぎ、扉へと戻ろうとした。〈記憶屋〉はまだぎこちなく歩く旅人の背中を見ながら、我に返った。まだチャンスはある。そろりと後ろでテーブルの上を探り、スタンガンを手にとった。ゆっくりと歩くその脳天めがけて、まずは一発くれてやるべく振り上げる。けれども手もスタンガンも体に当たる前に、何かが〈記憶屋〉の手をパンッと払いのけた。

 振り返った〈旅人〉の左側から伸びた髪の毛の間から、虚ろな目が覗く。〈記憶屋〉の腕を振り払ったのは〈旅人〉の腕ではなかった。肉の触手のようなものがゆらゆらと蠢いていた。そいつは〈旅人〉の帽子の中にまで続いていた。目線で追うと、帽子がひとりでにもぞもぞと動きだし、やがて帽子を吹っ飛ばした。頭にくっついて生体部品が、大きくその身をよじらせていたのだ。それが次第にびくびくと大きくうねった。記憶の補助をするだけなら、そうはならない。その奇妙な動きに〈記憶屋〉は一瞬、眉を顰めたが、すぐに気付いた。

「あ、アンタまさか、その生体部品――記憶の補助じゃなくて」

 空を切り、伸びた触手が鞭のようにうねりながらあたりに伸びた。生体部品の虫から五本、六本と触手は伸びていき、まだ増えていく。〈記憶屋〉は小さな悲鳴をあげた。目の焦点が合わないまま後ずさる。一気に逃げようとして、何かが逃走を阻止した。ぐんっと頭が引き留められる。機械と自分のヘルメットが繋がっていた。

「ああああ」

 情けない声が響き、繋がったコードを掴んでむりやりに引きちぎろうとする。スタンガンが振り落とされ、虚しい音を立てて転がった。まとめて掴んだコードはぴんと張ったまますぐに抜けなかった。焦ったように視線が〈旅人〉を向く。

「補助だけじゃないんだ。たったそれだけの話さ。このまま帰らせてくれれば良かったものを――どうやら彼女はおかんむりだ」

 頭部の虫から伸びた触手はいくつも絡まりあいながら〈記憶屋〉に狙いを定めて殺到した。

「あああああ!」

 肉の感触のする触手に手から足から絡め取られ、引きちぎられんばかりにあちこちへと引っ張られた。想像もつかぬほどの痛みが全身に走る。これまで感じたことのない痛みだった。蛇かミミズに絡めとられ、その内側に抑え込まれていく。

「ひい、ひい」

 口の中に入ろうとする触手をなんとか吐き出し、助けを求めるように頭のコードにしがみつく。いまやそれだけが外界と繋がる蜘蛛の糸だった。先ほどまで機械に繋げられていたというのに、なんという細く頼りない糸だろう。

 本体の〈旅人〉は視線を機械へと移した。頭の虫をそのままにして、コンソールに近づいて指先でボタンを押す。まるでいましがた見ていたようにパネルやレバーを操作する。ガコン、と音がしたかと思うと、機械がしゅうしゅうと音をたてて動き出した。

 肉の塊を押しのけて顔だけを出した〈記憶屋〉は、〈旅人〉がコンソールを弄っているのを見て目を丸くした。

「あっ、あっ! お前なんで、やめろ、やめてくれ、それだけは!」

 最後のレバーを引くと、画面にはオレンジ色のゲージが表示された。〈記憶屋〉のヘルメットの内部で、脳味噌と繋がった情報網が逆流を始める。機械が〈記憶屋〉の記憶を吸い取り始めたのだ。ゲージが少しずつ溜まっていき、〈記憶屋〉の見開かれた目から次第に生気が失われていく。

「おお、おおおおお……」

 吠え声にも似た声は次第におさまり、意味のある言葉は無くなった。その動きさえも止まると、口元から涎が垂れた。表示された画面の中には、百パーセントの表示がされた。排熱が終わると、音はおさまって静かになっていった。

 〈記憶屋〉をおさえつけていた触手がしゅるしゅると戻っていき、そのすべてが小さな虫のような肉塊に戻っていった。吹っ飛ばされた帽子をしゃがんでつかむと、静かに頭に乗せる。〈旅人〉はすっかり、この街に来たとき同じようになった。それから地面に転がっている男に目を向けると、近寄ってしゃがみこんだ。男の口からはだらだらと涎が垂れていた。頭にくっついたままのヘルメットをひっぺがすと、男の顔が出てきた。その目はもうどこも見ていなかった。


 〈旅人〉は記憶屋を出ると、来た道をまっすぐに戻っていった。

 何人かの寝転んだ人々を避けて通り過ぎ、階段を下り、やがて大通りに戻ってくると、最初に入った酒場の前に立った。改めて酒場に目をやると、〈虚ろな羊亭〉と書かれていた。扉を開けると、カウンターには相変わらず小男がいて、薄汚れたグラスを拭いているところだった。

 〈旅人〉に気付くと、おやという顔をする。

「やあ旦那、記憶屋はどうだったかね」

「駄目だったよ」

「そうですかい。まあ、気を落とさず。どうです、一杯だけなら奢りやすぜ」

「そうか。じゃあオススメはあるかい」

「なら、ちょうどいいのを出しましょう」

 店主は棚の上に手を伸ばし、瓶をひとつ手にとった。瓶の液体の中でふわふわと浮いている目玉が、じろりと店主を見た。グラスに注いで〈旅人〉へと差し出した。やや黄色みがかった色で、口に運ぶと独特の風味がした。アルコールが喉を通る。

「それで、どうするんです」

「しばらく滞在して、情報を集めることにするよ」

 店主はそれならと、天井を指さした。

「二階に宿があるんですが、どうします」

「では、一部屋頼みたい」

 店主はにんまりと笑った。

 長い付き合いになりそうだった。

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