第1話 記憶泥棒②

 〈旅人〉は礼を言って酒場を出ると、教えられた道を歩いていった。屈折し、長さも緩やかさも違う階段をいくつも登り、箱がいくつも積み上がったような塔を登っていく。塔は生体部品も使われているというが、ほとんどはそれ以外のものだった。通路の天井には黄土色に染まったケーブルが幾つも絡み合いながら走っているが、生体部品は無いと言っていい。代わりに大通りに面した通路からふと見てみると、眼球の無い陰鬱で巨大な顔が見えた。口は大きく開けられ、人々がその中に入ったり出たりしていた。建物のようだったが、あれも生体部品なのか、それとも変異してしまった人間なのかはもう区別がつかなかった。

 広場から紙切れに視線を戻すと、住所を確認し、ひとつ奥の通路へと入った。この先で〈螺子屋〉の三つ先の通路を曲がったところに、目指す〈記憶屋〉があるらしい。〈旅人〉はぴくりとも動かぬ人間が横たわっているのを避けながら歩いた。ただの街であれば浮浪者であろう彼らも、この塔自体がもはやひとつの建物であるからには、そうとも言い切れない。そうかと思えば、バケツと長い柄のモップを手にして歩いてくる清掃員のような男までいた。〈旅人〉は横にそれ、清掃員が通り過ぎるのを待った。清掃員はちらりと〈旅人〉を見てから、どちらも何も言わぬまま会釈をして通り過ぎた。〈旅人〉が先へと進むと、清掃員はその後ろでバケツを下ろし、扉の前に書かれた〈螺子屋〉の看板を消していった。どうやら地図はもう役に立たなくなってしまったようだ。しかし間一髪で間に合ったようだ。地図は正確だった。指示された道を曲がったところの奥に、上から電球のついたコードで照らし出された扉があった。他と比べるとずいぶん派手に思える鉄の扉には〈記憶屋〉と書かれており、まさに目指していた場所だった。


 〈旅人〉が記憶屋の扉を開くと、すぐに目隠しの仕切りがあった。仕切りを避けて中に入っていくと、内部にはあちこちに灰色の大きな機械がひしめいていた。棚には「サンプル」と書かれた瓶があり、その中には〈旅人〉の頭にあるのと同じような生体部品が入っていた。みな拳大ほどの大きさの虫で、記憶用の生体部品だ。

 中の様子をしばらく見つめていると、奥の扉が開いて一人の男が出てきた。ガチャガチャと音がする。猫背だが若い男で、この街の他の人間と同じような色合いの白衣を着ていた。鼻から上にはあちこちからコードが伸びた真鍮色の機械兜をつけているが、音はそこからではなく、手に抱えた段ボールからだった。中には生体部品の入った瓶が乱雑に入っていて、それらがかち合う音だった。ちらりと見えた扉の奥には、いまいるところとは比べものにならないほどの瓶がずらりと並んでいた。

「やあ、いらっしゃいませ!」

 男は〈旅人〉に気付くと、段ボールを持ち直しながら言った。

「お客人ですかな? 記憶屋へようこそ! いろいろな記憶が揃っておりますよ。――少々お待ちを!」

 〈記憶屋〉は近くのテーブルに段ボールを置くと、今度は台に貼り付いたキーボードを指先で叩いた。近くの黒いディスプレイにオレンジ色でいくつか文字が表示される。三行ほどの文章を書き終えたあと、彼はようやく〈旅人〉へと口元だけで笑みを浮かべた。

「改めて〈記憶屋〉へようこそ、お客さん! 楽しいものも悲しいものも、子供の頃の無邪気な思い出から淡い恋心まで、それからありとあらゆる犯罪も揃ってる、〈記憶屋〉だ!」

 手を揉む様子は機械でできた蠅のように見えた。

「いま入ってるのでオススメは、人間を刺し殺した記憶ですな。なに、よくある記憶だと思いなさんな。なにしろこれは罪と罰の記憶なんですよ。人の善い、いまどき滅多にいない善人の塊のような人間がですな、たったひとり、その集落を苦しめる人間を刺し殺し、その罰を自らに課すにいたるまでの――、一大記なんですから! もちろんご興味なければ、抗争や戦の記憶もありやすぜ。最近入ってきたのは……」

「残念ながら、私は記憶を売り買いしにきたわけではなくてね」

 〈記憶屋〉はおやというように表情を消した。

「ここに売られた記憶が無いか尋ねたいんだ」

「はあ、確かに記憶を売られる方はいらっしゃいますが――お客様の情報をお売りするわけには」

「実は、記憶を盗まれたんだ。盗まれた私の記憶がここに売られてはいないかと思って、尋ねにきたんだ。もしここにあれば買い戻したい。代金ははずむ」

「ほお!」

 興味を無くしかけていた〈記憶屋〉は、もういちど〈旅人〉ににんまりとした笑みを見せた。

「さすがにお客様の情報を売るわけにはいきやせんがね、記憶であれば確かにここに入っているかもしれませんなあ。どんな記憶ですかい?」

「全部だ」

「はい?」

「私のほとんどを持って行かれたんだ」

「そりゃ……大胆ですな! 切り売りされたわけじゃなければ、人ひとり分なんてのはさすがに入ってきておりませんなぁ」

 しかし言葉とは裏腹に、〈記憶屋〉は興味深そうに〈旅人〉の頭を見ていた。

「だけどね、あんたの、そのう――記憶をちいっとばかり見させてもらえれば、もしかしたら照合する記憶が出てくるかもしれませんぜ」

「そんなことが、可能なのかい?」

「そりゃ可能ですとも!」

 〈記憶屋〉は大きく頷いた。

「少なくとも一つ一つ検分されるよりはずっと楽でしょうな。ここにある機械には、この店の生体部品の情報がすべて詰まっておりますのでね」

 そう言うと、鈍い色の巨大な機械を軽く叩いた。

 部屋の最奥で壁を覆い尽くし、天井にまで届くような巨大な機械だった。それひとつが大きな塊であり、あちこちからパイプが飛び出して、しゅうしゅうと熱を排出している。円形の部品は歯車のようでもあるが、実際はそれ自体がハンドルであり、ときおりカタカタと音を鳴らしては右に左にと動いていた。手元の台には操作板があり、さきほど〈記憶屋〉が弄っていたものだ。キーボードの他にもレバーが幾つもあり、微妙な調整ができるよう、ひとつとして同じ位置にあるものはなかった。規則的に並んだボタンはいくつかが点灯しており、青や緑、赤の光がついていたが、説明は何も書かれていなかった。

 巨大な機械の上からも下からも多くのコードが伸びていて、それがまたいかつい金属製の椅子へと繋がっていた。その椅子も座るところ以外はほとんどがパイプと細かなコードがあちこちに接続されていて、椅子というよりは機械のひとつという印象を受ける。頭の上には、

「この機械はですな、本来、お客さんが望む記憶を出し入れするものなのです。ですが、それだけじゃありませんぜ。伊達にこんな大きさをしてないんです」

「つまりここに座ればいいわけかい?」

「そのとおり! お客さんは話が早い」

 ぱん、という手の合わさる音が響いた。

「もしここで見つからなくても、それらしい記憶が売られたときには優先させて頂きますよ。ただ……」

 ほんの少しじらすような時間があってから、〈記憶屋〉は笑う。

「不要になった生体部品をうちのほうで処理していただけるのなら、ねえ?」

 猫なで声で示されたのは〈旅人〉の頭だった。

 正確には帽子の中に入っている生体部品だ。

「ふむ……なるほど」

 〈記憶屋〉にはお見通しだったというわけだ。

「わかった。もしも融通してもらえるのなら、生体部品を売ってやろう。ただそれは……」

「やあやあ、お客さんはやっぱり話のわかるお人だ!」

 すべて言い終えるまえに、〈記憶屋〉は待ってましたと言わんばかりに続けた。

「さあ、さあ、座って! さっそく準備を始めましょう。善は急げと言いますからね、さっさと照合なりなんなりしちまいやしょう、へっへ……。そう気張りなさんな、悪いようにはしませんよ、けへへ! お客さんは帽子を脱いで座るだけでいい……、そう、リラックスして。頭の生体部品もそのままで大丈夫だ。中で処理できるからね……。いちおう生体部品のほうの記憶も見せてもらうが構わないかね? そう、なら大丈夫だ。なにも心配はないし、なにも問題はない。頭の機械を下ろすまでゆっくりしてくれ。こっちはもう準備をはじめてしまうからな」

 彼はめまぐるしく動き回っていた。レバーのひとつを下ろしたかと思えば微調整を繰り返し、キーボードのボタンをいくつか押す。ボタンの光る位置が変わり、キュルキュルと中でなにかがこすれる音がしたかと思うと、どんどんと早さを増していった。しかし次第に蒸気と熱が外へと押し出される轟音が響き渡り、小さな音などすべてかき消された。

 〈旅人〉は椅子に座ったままそれを見ていた。〈記憶屋〉が近づいてきて上に備え付けられたヘルメットに触れると、ゆっくりと下ろしていった。

「大丈夫です、すごい音でしょう。頭の位置は大丈夫ですかい……姿勢が悪いと結構苦しくなるんでね、記憶どころか腰に来ちまうんですよ、へへ……。そうそう、いまのうちに座り直した方がいいですよ……これでよろしいでしょう。さあ、とっとと続きを片付けてしまいますんでね。もう少しお待ちください。そしたら意識がふうーっと遠くなるかもしれやせんが、代わりに記憶の閲覧がはじまりますんでね。心配ありませんや。眠っているくらいの時間で終わっちまいます。終わったら意識が戻ってくるんで、あっという間でしょう。そら、言っている間に準備が整いましたよ。よろしいですね?」

 〈記憶屋〉がガコンと音をさせてレバーを引くと、〈旅人〉の頭に繋がった機械がぶるんと震えた。機械の音がますます早くなった。椅子の手すりに置かれた指先がぴくりと震えたあとに、力無く置かれたままになった。轟々と部屋じゅうに音が満ちる。〈旅人〉と繋がったヘルメットのコードとパイプがごんごんと揺れた。

 記憶屋はちらりと〈旅人〉を見ると、こそこそと台パネルにとって返した。それからボタンをいくつか押していく。

「ひ、ひひ。こんなチャンス逃がしてたまるもんか」

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