第20話 エゴ

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 それから、遺伝科学研究センターを生き延びた四人を遺伝科学機構から派遣されてきた者たちに引き渡すと、ワームホールを開いてタイムスリップをした。

 これまでもやることは山積みだと思っていたが、そこからさらに増えたように感じる。

 遺伝科学機構設立の時代に跳び、設立に関与せねばならないし、その後も遺伝科学研究センターの建設やその後の運用にも関わる必要がある。

 銀の事故による遺伝化学研究センター崩壊のあとには、多次元時空保全委員会の設立にも携わる必要がある。当然、過去のお膳立てと平行して今後の委員会の方針にも関わり、自らの計画も進めていかなければならない。

 計画が進めば進むほどやることはさらに増えていくし、時間はいくら合っても足りることはない。

 無駄な時間など少しも使っていられない。

 暗い空、十数階程度の建物の上に私は降り立ち、下を見下ろす。この時間ならそろそろ――。

「……やれやれ。今回はここで引き下がるとしよう。しかし、ワームホールの向こうに放り込むとは、彼が無事で済むかどうか……そうか。自らの過去ならば、あれからどうなるか知っているんだな」

「貴方とつまらない話をするつもりはありません」

「そうかね。君は、彼に考えを変えてほしいと思わないのか?」

「言ったはずです。あの人の望みが私の望みだと!」

「己を殺して自らにそう言い聞かせるか。……それは不幸しか生まない、悲しい生き方だ」

「貴方に何が――」

「――分かるさ。愛する人が、私を愛しているからこそ、君と同じように己を殺して私から離れるのが正解だと自らに言い聞かせていなくなったことがある。それは彼女にとっては私のためだったが……結果、彼女は地獄を味わったし、私もそうだったよ。私は彼女と君が同じことをしているようにしか見えんよ」

「……知ったような口を」

 階下で口論が聞こえる。どちらも見知った声だ。片方は宿敵として、片方は最も身近な味方として。

 ……まあ、宿敵と言っても、教授の研究は委員会の出資を受けていて、同時に監視下にある。要するに私の手のひらの上で私の手助けをしているようなもので……まあ、教授が気づくまでは秘密のままだな。

 おそらくこの“現在”は、過去の私が遺伝科学研究センターへと飛ばされた直後なのだろう。未来の燐と教授が戦闘しているところだ。

 階下の壁が吹き飛び、破片と共に一つの影が空中に飛び出していく。影はそのまま隣の建物の屋上に降り立つと、そのまま後ろを振り返ることなく建物から離れていく。

 その影を追い、もう一つの影が同じ建物の穴から飛び出してくる。

「逃がさない!」

 彼女の……燐の声が、逃げるシュタイナー教授に届いているかどうかは分からない。シュタイナー教授は確かに現状の脅威ではあるが、やることが増えた今、教授に構っている余裕はない。私も、彼女も。

 私は燐が飛び出したのに合わせて建物……当時の私が宿泊したビジネスホテルの屋上から飛び降り、彼女と同時に隣の建物の屋上に着地する。

「誰――あっ、和彦、さん」

 きっと私を睨み付け、すぐに私だと気づいて燐は戦闘態勢を解く。が、まだ教授を追いかけようとしていた。

「教授のことはいい。放っておこう」

「しかし、早めに決着をつけておかなければ、今後も障害となり続けます。排除はできるだけ早い方がよいのではないですか?」

 私は肩をすくめる。

「それも一理あるのだが、同時に教授の研究もまた私たちの利となる。それに、思っていたより私のやるべきことが多くてね。教授の相手に時間を割いている余裕はなさそうだ。教授には大人しく研究を続けてもらって、私たちの利となってもらおう」

「……分かりました。和彦さんがそうおっしゃるなら」

 そこまで言われてようやく、燐はシュタイナー教授の消えた方向を見るのを止める。

 その決断に不安そうな顔を見せる燐に、私は安心させようと少しだけ笑って見せる。

「和彦さんは……遺伝科学研究センターから戻ってきたばかりですか?」

「ああ、そうだよ」

 時間の余剰次元を、紅い世界の力を使いこなせるようになった私たちは、今後、似たようなやり取りを何度となくするだろう。私たちが一度別れ、五分後に再会したとして、相手もまた五分しか経過していないのか、それともどこかで一年過ごしてきたのかさえ分からないのだから。

 何か、うまく伝わる方法を考えなければならないな。

「そういえば……」

「なんですか?」

「君はあの時、私の代わりに銀を手にかけようとはしなかったな」

「それは……」

 興味本位に過ぎず、色々と説明も足りない私の言葉に、燐はそれでも顔を強ばらせる。

 私は“あの時”としか言わなかったのに、彼女にはちゃんといつのことなのか伝わったらしい。

 あの時とはもちろん、遺伝科学研究センター崩壊後、高校生の私が銀を殺すのをためらった時のことだ。私にとってはついさっき隣で見た出来事だが、彼女にとっては十年以上も前のことだ。

「言いたくないのなら、別に構わんよ。無理強いするつもりはない」

「そういう……わけでは」

「ふむ」

 答えにくいもの、答えられないもの。

 そんなことはいくらでもある。

 元々どうしても知りたかったわけでもない私は、肩をすくめて時間軸を積分して余剰次元に干渉。私たちの元々の時間に戻るためのワームホールを開く。

「戻ろうか。仕事はいくらでもある」

「……」

 燐は静かにうなずいて、私の白衣の裾を弱々しく握りしめる。

「……恐ろしかったんです」

「恐ろしかった?」

「はい」

 いつになくか細い燐の声音に、私はワームホールを維持したまま、通過するのを止める。

 私はなんとなく察することができた。

 これは……三峯燐の懺悔だ。

「轟銀が、彼がいたから私は子供の頃の友人を全て失いました。けれど、彼がいたから私は施設の外の生活を知ることができました。そしてその後、彼がいたから私は神稜高校でできたばかりの友人を……つかささんを失いました。けれど、彼がいたから……私は第四項対策室から離れられなくとも、和彦さんのそばにいられました」

「確かに、その通りだな」

 私は相づちをうって続きをうながす。

「轟銀がいたから、和彦さんのそばにいられたんです。あの場で彼が死んでいたら……施設の崩壊は止められなくても、神稜地区局部地震の際に高校での事件は起きなかったでしょう。地震は止められなくても、高校側での被害は格段に減ったのかもしれません。けれど、そうなったら……」

 うつむいて……けれど少し顔を赤くして、燐は小さくつぶやく。

「そうなったら、私は和彦さんのそばにいられなくなってしまう。和彦さんの隣にいられなくなってしまったら、私は……。それが、とても……とても恐ろしくて……」

「……。そうか」

 それだけしか返せなかった。

 あの時、神稜地区局部地震か起きたとき、高校で轟銀の第二項の力で死んだ者たちは三桁を越える。

 彼女はその被害と自分が私といられるかどうかを天秤にかけた上で、私と一緒にいることを選んだのだという。

 三峯燐。

 彼女もまた、私と同じようにどこか狂ってしまっているのかもしれない。

「……笑いますか。身勝手な私を」

 うつむいてそう自虐する燐。私からのどんな非難も受け入れる、という様子の燐に、私は告げる。

「むしろ、感謝すべきだろう」

「は?」

 私の言葉がよほど意外だったのか、燐はきょとんとして目を丸くする。

「銀を殺せなかった私自身の臆病さと、君の身勝手さにな」

 トロッコ問題。

 私にとってはそれが目の前で泣きじゃくる銀と、高校で死んだつかさを含む百人を越える人々だった。燐にとっては私と一緒にいられることと、高校で死んだ人々だった。

 私と燐が、理屈の上で将来的に死ぬ数よりも目の前での死や実利を選んだ。

 だからこそ今の私が、人類を滅ぼすことを決めた私がいる。

 私からすれば、彼女の選択を責めることなどできない。

「あの時の私に、天原つかさのためならその手を汚せるほどの覚悟があったら、君が自らの望みを圧し殺してまで正しさを貫ける強さがもしあったら……私はここにこうして立っていることなどなかった」

「それは……」

「だから、感謝するよ。君のお陰で、私はここにいる。祖父殺しのパラドックスの検証もまた、せずに済んだわけだしな」

「いえ……そんな」

 燐は私の言葉を頭の中でゆっくりと咀嚼するが、どこか納得しきてれていないように見えた。

「さ、帰ろう。これからまた忙しくなる」

「はい。あ……すみません、ワームホールを開いたままにさせてしまって」

「気にするな。たいした労力ではない」

「分かりました。それと……」

 私たちはワームホールへと足を踏み入れる。

「……。ありがとう、ございます」

「……うん?」

 なぜ感謝されたのか私には検討がつかなかったが、燐がどこか救われたような表情をしていたので、深くは追求しないことにする。

 タイムスリップの不快感のあと、私たちは私の研究所へと戻ってくる。

 ……慣れることなどないだろうと思っていたのに、この不快感にもどこか慣れてしまったな。

 と、伝え忘れていたことがあったのを思い出す。

「燐。君にとってはあまりいいニュースではないかもしれんが、どうやら私は……委員会の設立に関わっているらしい。……まったく、私は悪いやつだな」

「え……和彦さんが……ですか?」

 理解できない、という様子で困惑した表情を浮かべる燐。

「ああ、そうだ。私は遺伝科学機構に関わり、銀の事件を期に多次元時空保全委員会の設立に関与している。思っていたよりもずいぶんやることが多くなりそうだ。燐にも色々と手伝ってもらうことになる。教授との決着は……それらが落ち着いてからになるだろうな」

「分かりました。和彦さんがそれが最善だとお考えなら」

「頼りにしているよ、燐」

 時間軸に干渉できるのは、私と燐の二人だけ……いや、もう一人いるが、あの人に私や燐のように働かせるわけにもいかない。手駒として考えられるのはやはり、私と燐の二人だけだ。燐がいなかったら、私の苦労は段違いに増えていただろう。

 私が彼女の肩をポンと叩くと、彼女は珍しいものを見たように私を見上げ……昔のように、嬉しそうに笑った。

「……」

 私はもう、決定的に狂ってしまっているのだろう。

 彼女がなぜ「ありがとうございます」などと言ったのか、そして今、なぜ嬉しそうに笑ったのか、まったく理解できなかったし、理解しようとも思わなかったのだから。


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