第18話 衝撃
18
ワームホールを構築する重力子が拡散、構築を保てなくなったワームホールは集束していき、そのまま蒸発する。
時間軸における縦方向は、無限近似値から急速に収縮。地上における通常の重力下での影響を受けただけの、正常な値に戻る。
過去の私と燐の二人を元の時間に帰すために開いたワームホールは、数秒もたたずにその痕跡のほとんどを失っていく。
それが完全に元に戻ってから、私は時間軸を微分し、一次元へと戻した。光子が赤方偏移を止め、視界も元に戻る。
「……」
私は改めて瓦礫の丘を眺める。八十メートル四方の建物は無惨に破壊され、大小のコンクリート塊に成り果てていた。
ここにいた三、四十名ほどがこの瓦礫の下で死んでいるはずだが、“炎の剣”のせいか――その熱量により切断面は炭化し、血が流れることはない――それとも単純に建物屋上部分の瓦礫だからか、周囲に血痕などは見当たらない。
……ノスタルジーなど、今の私には似合わんか。
さっさと元の時間に帰り、やるべきことをやらなければならない。健康なら、私に何かできる猶予は……四、五十年というところか。
人類を滅ぼそうというのなら、それを本当に成し遂げようと思うなら、のんびりはしていられない。
そう思っていると、青方偏移した蒼い次元光放射と共に、瓦礫の一部が頭上に吹き飛ぶ。
瓦礫は吹き飛びながら散り散りになり、淡紫色や青白色の光が散る。恐らくはリンやカリウムの炎色反応だ。コンクリートの材料であるセメントの構成元素、ケイ素やカルシウムをウィークボソンでベータ崩壊させ、強度を低下させたのだろう。
……つまるところ、誰かが生存のために第一項の天使の力を行使したのだ。
この場で第一項の天使の力ということは……。
「けほっ、けほっ」
「お、お兄ちゃん……」
「……大丈夫。大丈夫だよ」
「うう……ひっく」
瓦礫の下から、ほこりにまみれて真っ白になった幼子が四人、はい出してくる。
この事件で銀を除くと唯一の生き残りたちだ。
五条錫と五条沃太郎、それから三峯珪介と三峯燐。
「……」
四人はなんとか生き残ったとはいえ、周囲には誰もいないし、救助されるにも時間がかかる。多少なりとも助けは必要かもしれない。
私は引き裂かれた前庭から足場の安定した瓦礫に足をかけ、歩いて彼らのところへと向かう。
近づいてくる私に気づき、一人の少年が三人の前に出てくる。
蒼く輝く瞳に決死の形相。なんとしても三人を守ろうとする決意が見てとれた。彼が第一項の天使、五条沃太郎か。
しかし彼は、私を見て少し安心したように緊張させていた身体を弛緩させる。
「安心したまえ。危機は去ったよ」
私がそう告げると、沃太郎の他の三人も顔を上げる。
「あいつは……どうなったんだ?」
問うてきたのはもう一人の男の子。珪介だ。
珪介の言うあいつ、というのが銀なのは間違いないだろう。彼らは銀にその力があったことを知っているし、この施設崩壊が銀の力によるものだと分かっているのだから。
「銀なら生きているよ」
一斉に顔を曇らせる四人。銀の力に怯えている。
珪介が不安そうな声で尋ねてくる。
「じゃ、じゃああいつは――」
「すでに去ったよ。彼はもうここにはいない。これ以上、彼の力が君たちを襲うことはない。安心したまえ」
その言葉に、錫と燐もほっとしたように顔を上げ、二人が私に駆け寄ってくる。
「せんせー!」
「よかった! せんせーも無事だったんだね!」
「……?」
ほこりまみれのまま私に抱きついてくる二人と、安心してその場にへたりこむ沃太郎と珪介。
ちょっと待て。
なぜ、彼らは私のことを知っている?
せんせー、だと?
それでも、私はかろうじて少し微笑んで見せ、疑問を顔に出さずに済んだ。
「ああ、運がよかったんだな。他の者たちは……巻き込まれてしまった」
ぱたぱたと二人の頭をはたき、ほこりを落としてやりながら、頭の中では思考の渦が巻き起こる。
「燐も錫姉も……せんせいに甘えちゃってさ」
珪介が少し羨ましそうにつぶやく。
「ここは危ない。とりあえずは建物から離れようか」
「はーい」
「うん」
「そうだね」
四人はめいめいにうなずき、私と共に瓦礫の丘から降りて施設跡からも離れ、森の入口までやってくる。
「姉さん、気をつけて」
「あら沃太郎、私だってこれくらい大丈夫よ」
「……それならいいけど」
「沃太郎、拗ねないでよ」
「拗ねてない」
「うわっ!」
「燐!」
すぐ隣の燐が瓦礫に足をとられてよろめく。とっさに手を伸ばすが届かない。
燐を挟んで反対側にいた珪介が背中を支え、燐の転倒を防ぐ。
「燐、せんせいに掴まってなきゃだめだろ」
「ご、ごめんなさい、お兄ちゃん。外の景色が……綺麗で」
「それは……そうよね。外、初めてだもの」
瓦礫の丘から降りきってからの錫の言葉に、三人が改めて外を見渡す。
四人とも、今の今まで遺伝科学研究センターの内側だけが世界の全てだった。外に出たのは、生まれて初めてなのだ。
死の恐怖が去ったことに安心したのだろう。彼らは初めて見る外の景色に驚き、感動し……そして、怯えている。
「せんせー。これからどうするの?」
「そうだな……私もどうしたものかと思っているところだ。とりあえずは水を確保すべきだと思うが……」
そこで唐突に気づく。
彼らの名前は、元素周期表に基づいている。
元素周期表の“三”周期目、上から三段目には、SiとPがある。ケイ素……“珪”素と“燐”だ。そして、彼らの名字は“三”峯だ。そして“五”周期目にはSnとI、つまりスズとヨウ素がある。漢字にすれば錫と沃素だ。
三峯珪介と三峯燐。そして五条錫と五条沃太郎。四人の名前は、元素周期表を元に名付けられたに過ぎないということか。システム上のコードナンバーと大差ない名前だったのだ。
……そういえば。周期表の五周期目にはAg――銀も存在している。
ここの研究員たちは元素周期表を見て彼らの名前をつけたというのか。……あまり愛のある名付けとは言いがたい。彼らはやはり、ここで生まれた者たちをモルモットと変わらないように感じていたのだろう。
「せんせいも災難ですね。数ヵ月おきにしかこれないのに、来たとたんにこんなことになるなんて」
「ああ……だが、仕方のないことだろう。彼がこんなことを引き起こしてしまうなんて、誰も分かっていなかったのだからな」
……数ヵ月おきにしか来れない?
私がか?
それは裏を返せば、私が数ヵ月おきに遺伝科学研究センターにやって来ていたということではないか。
沃太郎の言葉に困惑を隠すのは、至難の業だった。
これまで、私がこの遺伝科学研究センターに来たことなどない。
しかし、私は何度もここへとやってきて、彼らに「せんせい」と慕われている。……その矛盾を解消する解答は一つだ。つまり、これからの私がここにやって来て彼らと接するということ以外にない。
そして未来の私がここに来て職員として振る舞えるということは……私は一般財団法人日本遺伝化学研究センターもしくは独立行政法人遺伝科学機構に関与しているということにもなる。恐らくは遺伝化学機構の方だろう。
私が遺伝科学機構に関与し、ここに出入りして“せんせい”として彼らに接触していたとすると……。
ぐるぐると思考が巡り、さらなる事実に気づく。
……そうか。
この事件後、天使の力が物理学に従うことを根拠として、原子力研究機構に協力を要請したのは恐らく私だ。
そして、秘密裏に天使の力を研究するため、内閣府直下の組織、多次元時空保全委員会の設立に関与していたのも私なのだろう。
いいや……私のことだ。関与した、という程度ではない。
私は薄く笑う。
内閣府多次元時空保全委員会は、私が作った組織なのだ。
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