第13話 変遷
13
視線の先、マジックミラーの向こうでは、幼い銀が寝かされて悲鳴を上げていた。
彼の瞳はすでに蒼く輝いている。
目測ではあるが、彼の周囲の空間深度は通常よりも深く、五から十メートルというところか。とはいえ、瞬間的に無限大近似値をとることもある。空間深度が無限大近似をとると、四次元空間内の光子が圧縮され、波長が青方偏移して三次元空間内に放射される。青方偏移した光子は空間深度に合わせ、揺らめく模様を描いてきらめく。
次元光放射、そして蒼の魔法陣と呼ばれる現象だ。
空間深度が無限大近似をとり、青方偏移した光子が放射されると、周辺の重力子の影響により中心に高密度の光子が集中。位相をそろえて一点に照射される。
大天使ウリエルの炎の剣と称される、第二項の天使による高出力レーザーだ。
寝かされた銀の頭上から真上へと放たれたレーザーは、自身のエネルギーによって天井板、空調機械、防音素材、保温素材、鉄筋コンクリートを焼き切り、さらに上階へとつらぬいてようやく拡散する。
「ひっ」
私の隣には少年と少女の二人が立っている。少女がか細い悲鳴を上げ、少年は彼女の肩を抱いていた。
私は、自分にもこんな頃があったんだな、と思い、つい苦笑を浮かべてしまった。
改めて考えてみれば、私はいったいいつから……この世界を滅ぼしてしまおう、人類を絶滅させてしまおうなどという荒唐無稽な考えにとりつかれるようになったのだろう。
“この時”だろうか。
いや、この後、何度も何度も天原つかさを救おうとして失敗した時?
それとも、世界中を旅した時か……。
……。
いや、おそらく……そのどれもが正解だ。
轟銀を殺した時、天原つかさが死んだ時、天原つかさを救おうとした時、なにもかもに失敗した時、日本という国から逃げ出した時。その全てが今の私の考えを形成している。
何か一つの天啓で考え方が急に変わる、というのはそうそう起こり得るものではない。
しかし……天原つかさの死は、確かに重要なきっかけだった。そして、その死をなかったことにしようという試みは、私の思考を変質させるに十分な狂気をはらんでいた。その後、絶望のふちに立たされたなかでの放浪の旅が、私の考えを確固たる意志へと変貌させたのだ。
私は、天原つかさを救うことができなかった。
このあとも幾度となく重ねたその試みは、結局のところ失敗に終わったのだ。
失敗に失敗を重ね、天原つかさを救うことをあきらめてしまった私は、打ちひしがれた。
生きる意味さえ見失っていたのだが、だがそれでも、自ら死ぬことまではできなかった。
彼女から最期に言われた言葉は……まだ耳にこびりついている。
「あたしの分も生きてよね」というあの言葉だ。
しかし、天原つかさの分も生きたとして、自分が何をすればいいのかなど検討もつかなかった。
しばらくは呆然としたまま無為に日々を過ごし……「あんた、どこか遠くに旅行にでも行きな」と言う母の勧めで日本の外へ、目的のない旅に出た。
警護という名目で三峯燐がついてきたお陰で、費用の大半が内閣府多次元時空保全委員会第四項対策室の経費として落ちるようになった。金銭に関して考慮せずともよくなったこともあり、当初は長くても一年の予定が最終的には二年半の長期間に及んだ。
さまようようにして世界中を旅したのは、つかさの死から目を逸らそうという、ある種、幼稚な試みだった。
しかし。
誤算だった、のだろう。その旅先で、私はまざまざと思い知らされた。
理不尽で、不条理で、不幸極まりないと思っていた天原つかさの死は、世界という枠にはめ込んでみれば、それでもまだ不幸と言うには足りなかった。あの天原つかさの短い人生でさえ、幸せだと言える側にあったのだから。
最初の半年程度は、欧米の観光地ばかりを巡っていた。それは今思えば、燐の配慮だったのかもしれない。ともかく、そうしてたまたま立ちよった東欧の小国で、私のいた場所から数百メートルほどのところで爆破テロ事件が起きた。
いわゆるイスラム過激派と呼ばれるグループによる、幼い少年による自爆テロだった。生き残った人の話によると、その少年は誇らしげに「異教徒どもに聖なる鉄槌を!」と叫んで粉々になったという。
現場は、夕食の食材を買う庶民で賑わう青空市場だった。
平穏で幸福な光景が、一瞬で残酷な光景へと変貌した。
少年は跡形もなく消し飛び、百年以上の歴史を持つ石畳が無惨にもめくれあがった。その周囲では石畳に野菜や果物などの売り物がぶちまけられ、ひしめき合う屋台は倒れて燃え上がり、血だらけの人々が逃げまどった。そこかしこに遺体やその一部が転がり、どす黒い血溜まりが広がった。現場に残るのは、逃げ出すこともできずにうずくまる人、恋人や家族を探して声を張り上げながらさ迷う人、亡骸を抱えて泣き叫ぶ人……。
事件直後の、警察も消防もまだ来ず、周囲の人々もテロの続きがないかと、救助活動を始められずに様子をうかがっている、わずかな時間の光景。
それは、私の目には神稜地区局部地震の高校での光景を思い起こさせた。
多くの罪なき人々の命が、その時間にそこにいたというだけで、意味も、理由も、そして容赦もなく、あっけなく奪われる。
天原つかさと同じだ、と思ったと同時に、何も知らなかった、とも思い知らされた。
それから、それまでは燐に任せていた行き先を自分で決めるようにした。
私が行き先として選んだのは、貧困にあえぐ人々が集まる土地、難民で溢れかえる土地、紛争のただ中にある土地だった。
燐はいい顔をしなかったし、控えめだったが難色を示しもした。しかしそれでも、彼女は最後まで反対せずについてきた。
私は知りたかった。
この世界の残酷で無慈悲な、理不尽と不条理を。
結果として私が経験したのは、紛争と武力衝突の現実と、難民キャンプのボランティアだった。海外青年協力隊に所属していた時期もあるし、赤十字・赤新月社やセーブ・ザ・チルドレンの元に居たときもある。
私が見て回ったところは、天原つかさよりも、爆破テロ事件の現場よりもさらに過酷な場所ばかりだった。
毎週どこかでテロが起きるような町でも、そこで生活する人々がいた。「毎日怯えて生きているよ。明日無事に起きられるのかも分からないからね」と言いながら笑っていた彼らの表情が、強烈な印象として残っている。
ボランティアをしていた難民キャンプでは、食料も薬も足りず、誰もが飢え、日本なら問題にもならない病気が原因で多くの人々が命を落としていた。
紛争地域では、少年は安い兵士でしかなく、少女は兵士たちの性欲を満たすためだけのモノだった。それぞれの指導者たちは、戦いよりも自らが私腹を肥やすことに心血を注ぎ、本当に国をよくしたいがために戦っている者たちをあざ笑っていた。
なにが“戦後”だ、と思った。
日本という国は、外で起きているありとあらゆる惨劇を他人事だと無視を決め込み、“戦後”などとほざいていたのか、と。
その後もいくつかの国を巡ったが、私には――テロ現場や難民キャンプを経たあとの私には――全てが欺瞞にしか感じられなかった。
とある資源産出国では、国民が快適に暮らし、ありとあらゆる保障が為され、飢えや苦痛とは無縁の生活が送れるようになっていた。しかしその実態は、自らの繁栄のためには隣国が干からびるまで搾取する、えげつないほどの合理主義だった。国民もまたそれを理解した上で、搾取される側の隣国を見下し、あざ笑う者も少なくはなかった。……自らと隣国の国民の違いなど、たまたま生まれ落ちた場所の違いでしかないというのに。
日本を含む先進国と呼ばれる国々では、一部の富める老人の影に、家すら持たない若者たちが、仕事ももらえずにその日の食べるものにも困っていた。出生率が下がり、自殺者が年々増え続けているというデータに基づく明確な事実から目を背け、自らの国は「幸せな国だ」と言い聞かせ、思い込もうとするおろかな人々ばかりだった。
この旅で私が学んだのは、平和とは、詭弁に過ぎないということだった。
平和のために必要なこととは、自らとは関わりのない者たちから、いかに効率よく搾取できるか否かだったのだから。
全体の一パーセントの幸せのために、残りの九十九パーセントは犠牲にならなければならない。
それが資本主義であり、民主主義と呼ばれる競争社会の実態だ。
自らのためには、他者を蹴落とさなければならない。そうしなければ、自らが他者から蹴落とされる。そんないさかいしか生まないシステムの上に社会が成り立っているのだから、誰もが幸福になどなれるわけがない。
しかし、それが社会のシステムであり、また同時に自然界における繁栄と淘汰のシステムでもある。
自然界は人類社会よりもよほど弱者に厳しい世界だ。弱肉強食の世界であればこそ、生き残れる種のみが生き残る。それが自然界での種の進化を促したのであり、その結果として人類が存在すると言える。
そうやって他者を蹴落とさなければ生き残れない、弱肉強食のシステムによって地球での強者の頂点に立つ人類が、そのシステムそのものを否定して平等を唱えるなど馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
しかし、過去にはそんなシステムが間違っていると、誰もが平等に平和でいられる方法があるはずだと主張した者たちもいた。それはマルクスやエンゲルスであり、実現しようとしたのは……レーニンやスターリンだった。
社会主義と呼ばれたそれは、第一次世界大戦と第二次世界大戦、その後の冷戦を経て、ほとんどが失敗に終わった。
平等に扱われるんなら、頑張って仕事をするだけ無駄だ。サボったって平等に扱われるんだから。そう考える者がいた。
逆に、あいつより自分の方が倍は働いているんだから、平等だなんておかしい。自分はあいつよりも評価されてしかるべきだ。そう考える者もいた。
そんな考えがまん延して発展が滞るようになれば、資本主義による競争社会との間に格差が生まれ、敗北するのは目に見えている。そして事実、社会主義は生き残れなかった。
人々は口々に平等であるべきだなどとご高説を垂れるが、結局のところ動物としての弱肉強食のシステムからは逃れられない。実際に平等というものにさらされると、人々はそうやって不平等を感じるのだから。
人は愚かだ。
平和を、幸福を、などと声高に叫びながら、実のところ他者のそれには無関心だ。
先進国では、発展途上国や紛争地域の情報などマスコミは扱わない。情報化社会と言われて久しい現代では、どんな情報でも探そうと思えば手に入るというのに、誰も彼も自分とは縁のない遠い地獄のことなど興味がないのだ。
先進国で爆破テロが起きれば、各国で報道され、悲しみと同情の声が上がり、多額の寄付が集まる。しかし、紛争地域で爆破テロが起き、先進国のそれより倍の被害が出たとしても、先進国では話題にもならない。そんな大事件があったことなど、先進国の政治や有名人のスキャンダルや新作の映画に埋もれて届きもしない。
そんな冷酷な態度をとっておいて「世界平和」などとほざく各国のリーダーには失笑を越え、憤りさえ覚える。
しかし、彼らがそんな態度を正すことなどない。正す以前に、そもそも間違っていることにさえ気づいていないからだ。
ならば、私が正そう。
そのために、私の命を使おう。
そう、決意したのだ。
人類を正すために、人の歴史に終止符を打つ。それが、人類の全てを平等に幸福に導く、唯一の方法だと確信したから。
そうしてようやく、私はここまでやってきた。
私は、昔の三峯燐では確実には行えなかった、時間軸への干渉方法の研究を行い、その過程で神稜地区局部地震に改めて関与した。あの時に起きたことは少々予想外だったが、私は山崎教授からもらったタイムラインを把握していたのだから、当然予測しておくべきだった。斎藤美嘉とともにアンジェリカという名の女性のいる時代に飛ばされた白衣の男というのが、まさか私自身のことだとは思ってもいなかった。
とはいえ、そのお陰で時間軸への干渉方法が確立したことを思えば安い代償か……いや、得るものは大きかったと言うべきだろう。
時間軸への干渉方法が確立したおかげで、私は昔の燐よりも正確に、望む時間、望む場所にワームホールで転移できるようになった。
この力をコントロールできるようになってやっと、私は目的のために最適な行動がとれるようになったのだ。
私が時間軸への干渉方法を確立するのに重要なきっかけとなったアンジェリカという名の女性は、私のことを拒絶していた。私を毛嫌いしていたと言っていい。
……どうやら、彼女ははじめから私の目的を――人類を滅ぼそうとしていることを――知っていたようだった。なぜ知っていたのかは分からないが、それほど大した問題ではない。彼女がもし……未来からやってきていると仮定すると、私が何をしようとしているか、未来において私が何を成し遂げたか知っていてもおかしくはないのだから。
私は未来を知ろうと思っていない。
未来を知るということは、私がこれからやろうとしていることの結果を知るということになる。結果を知ってしまったら……私は恐らく目的のために邁進できなくなってしまうだろう。
だから、未来を知らないまま私は計画を進める。
そもそも、それが本来の姿だ。
そして今、私はまた過去へと時を超え、天使の力の研究データを手に入れるためにここにやってきた。非人道的な手段を用いてまで行った、天使の力についての研究の成果。今の私に足りない情報が、ここにはある。どうせ消失してしまうのなら、私が手に入れても問題にはならないはずだ。
私の名前は、和彦。
そう、葉巻和彦だ。
目の前で少女の肩を抱いて怯える少年は、十年以上の時間をかけて、こうやってまたここに立ち、過去の自分の姿を見ることになるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます