第12話 観察室
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ネームプレートものぞき窓もついていない扉の向こうは、廊下と同じようになんの変哲もない白い部屋だった。
白衣の男がスイッチを入れ、蛍光灯が点く。
七、八メートル四方の部屋は、リノリウムの床に吸音素材でおおわれた壁と天井の全てが白い。中央には長机が一つとパイプ椅子が二脚並べて置いてあるが、それもまた白色だ。
出入口は背後の扉だけ。あとは正面の壁に大きな窓があるだけで、ずいぶん殺風景な部屋だ。
面談室というか、尋問室と表現してもいいくらいだ。違うのはこの部屋が白くて、ほこり一つないほどに清掃が行き届いているってことだけ。
「ひっ……」
燐が息をのんだのは……その、窓の向こうの光景だ。
「なんだよ、これ」
妙な光沢から察するに、この窓はマジックミラーなのだろう。窓の向こうは建物の外の風景ではなく、また違う部屋がうかがえた。
こちらよりも広い空間だ。手術台みたいな寝台がいくつも並び、そこに幼い子どもたちが寝かされている。しかし、その手足は革のベルトでしっかりと固定されていて、身動きが取れないようにされていた。
この部屋は“観察室”なのだ、と僕は悟る。
この部屋で面談や尋問があり、マジックミラーの向こうから観察される訳じゃなく……逆だ。マジックミラーの向こうの光景を観察するための部屋。
ここで生まれ、施設外からは一切存在を知られていない子どもたち――むごい言い方だが、施設品であり、消耗品でしかないのだろう――に様々な実験をしているのだ。そしてその様子を間近に観察できるのがこの部屋というわけだ。
寝かされた子どもたちの周りを、白衣の大人たちが取り囲んでいる。
子どもたちを観察しながら手元のクリップボードに何かを興味深そうに書き込んでいる者、何かの注射器を用意している者、何かのグラフが表示されたモニターを見ている者、針か、もしくは極細のドリルのようなものを子どもの頭部に向けてセットしている者……。
「……狂ってる」
なにより狂ってると思わされたのは、子どもたち自身がこの環境を受け入れているということだった。
革のベルトで手足を拘束されているというのに、どの子もおとなしくしている。大人たちにうながされるまま、自ら拘束台に横たわっている子もいた。たまに痛みに泣いたりしているが、それもなんとか耐えようと……我慢しなければならないのだと、歯を食いしばっている。
“他者から見れば、おそろしく奇妙な場所に見えたでしょう”
“私にとっては当たり前の光景だったんです”
燐の言葉を思い出す。
少しは誇張した話なんだろうと思っていた。だけれど、こうして目の当たりにしてみると、彼女の言葉に嘘偽りなどなかったように見える。
「彼女には……刺激が強かったかもしれないな、二度と思い出したくない過去だっただろうからな」
僕は燐の肩を抱き、目を背けさせる。
白衣の男の言うとおり、彼女にとっては思い出したくもない光景だろう。
「あれは……何をしてるんだ?」
「調べているのさ」
「だからって、なんであんな……」
「彼らは、五条沃太郎が力を発現させてから、その力がいったいなんなのかを調べようとしている。だが、何が原因でどんな現象が起きたのかなど全く分かっていない。何もかもが手探りで、何をどう調べたらいいかさえ分かっていない」
寝かされていた一人の子どもが悲鳴をあげ、燐がびくりと肩を震わせる。
「くそっ、動くんじゃない! ずれたらどうする!」
その子どもの手前には白衣の大人の背中があり、そいつが子どもに何をしたのかは見えない。けれど、そいつはあろうことか子どもが悲鳴をあげ、動いたことに対して叱りつけている。
僕は目の前の光景から目を離せなかった。
「彼らは天使の力がなんなのかを調べるためなら、本当に“なんでも”やったんだよ。常軌を逸した手段をいくらでも使った。人体に後遺症の残る大量の投薬や、肉体的損傷を考慮しない外圧、致死性の細菌やウイルスへの暴露さえ平気でやった。彼らにしてみれば、この子どもたちは人間ではなく、試験用のモルモットに過ぎなかったということなのだろう。なかなか思いきった考え方だ」
「なんて、奴らだ……」
白衣の男の皮肉に、僕は何も返事ができなかった。ただ気持ち悪いものが込み上げてくるのを、なんとかこらえるだけで精一杯だ。
「しかし……結局、文字通りなんでもやったからこそ彼らは失敗した。余剰次元へ干渉するメカニズムを知る前に、彼ら自身の自業自得な行いによって、銀が自らの力を暴走させたからな。……ほら、あのとおりに」
そう言って、男は窓の向こうの一つのベッドを指し示す。
いくつも並べられたベッドと同じように、そこには一人の少年が寝かされ、四肢を革ベルトで固定されている。
他は子ども二、三人に大人が一人という感じなのに、そのベッドだけは白衣の大人が三人で少年を取り囲んでいて、それぞれが何かの器具を少年に向けていた。ここからはよくはっきりしないが、外科手術なんかで使うようなメスやカッター、ピンセットといったもののように見える。
「あの子が? でも銀とは髪の色が……」
少年の髪の毛は普通の黒色だ。轟銀のトレードマークとも言えた白髪は、面影すらない。
確かに常軌を逸した光景ではある。しかし、その様子は人数が違うだけで他と同じようにも見える。
「本当に分からないかね?」
ニヤリと笑う白衣の男の瞳がかすかに蒼い光を放っているのを見て、僕はようやく気づいてまばたきをする。
視界を蒼く染めて少年の周囲の空間の深さを見れば、確かにそこだけが荒れ狂っていた。
「あいつが……本当に、轟銀なのか」
まだ本人かどうかは分からない。けれど、あの少年が天使なのは確実だった。
「正確には、まだ轟ではないがね。便宜上の都合で名前をつけられてはいるが、名字を得たのはここを逃げ出したあとのことだ」
白衣の男が解説するさなかに、少年の手元で小さな蒼い魔法陣がきらめいた。
「うわああぁぁぁっ!」
ぞわっとする僕の目の前で、少年の叫びとともに魔法陣がかき消え、同時に指向性レーザーが放たれる。マジックミラーの向こう側の部屋がその瞬間だけ明るくなる。
時間にして一秒も満たない一瞬のことだった。なにかが落ちるぼとっという音が響き、少し時間をおいてから轟銀のそばにいた一人が片腕を抑えて絶叫する。
「ぎゃああああぁぁぁぁっ!」
その腕は手首から先がなくなっていた。断面が炭化しているせいで、一滴も血が出ていない。
指向性レーザー、大天使ウリエルの“炎の剣”によって切り落とされたのだ。
その力を見て、あの黒髪の少年が轟銀なのだと僕はようやく確信する。
「出たぞ!」
「これだ! 直前にやったことはなんだ?」
「少し前に裂傷を。発現したのは右腕にメスを入れようとした瞬間です」
「よし、今のをもう一度だ!」
「いやだああ! やめてよ!」
絶叫したままの銀と腕を落とした職員など気にも留めないまま、白衣の群れたちは指向性レーザーという現象にのみ興味を寄せているようだった。銀の悲鳴に耳を貸す者などいない。
彼らの一人が、手にした何かの器具を銀の腕にあてる。
「あああああああぁぁぁぁっ!」
「お願い……もう、やめて……」
銀の悲鳴に、燐が耳を押さえる。
「くそっ」
いてもたってもいられなくなって、僕は蒼い視界のなか、銀の力を抑えようと手を伸ばす。
目の前のマジックミラーを叩き割って室内に入り、大人たちを重力で吹き飛ばしてから……なんて頭のなかでシミュレートしていると、白衣の男に制される。
「やめておけ」
「なんでだよ」
「分からんかね? ここで彼らを止めたところで、何も変わらんよ。より厳重なところで、より無惨な実験が行われるだけだ。もしくは、君も捕まって実験対象に加わるか、だな」
言われて、確かにそれはありうる話だと思い知らされる。
「それは……そうかもしれないけど――」
白衣の男は肩をすくめてマジックミラーの向こうを指す。
「どうしても行きたいのなら、これ以上は止めんよ。死なれては困るから、場合によっては私も介入させてもらうがね。しかし……君にできるかね? あの銀の暴走を止めることが? そもそもそれが当初の目的ではなかっただろう?」
「だけど、いくらなんでもあれは……」
……?
こいつ、僕の目的も知っているっていうのか?
僕と燐しか知らないはずの、過去の轟銀を殺そうと……思っていることさえ?
僕の疑問を察して、それでもなお面白そうに白衣の男が笑う。
全てを見透かされたような、それでいてどこか狂気に取り憑かれたような恐ろしい笑みに、背筋が凍る。
「生も死も、どちらも不幸だとは思わないか? ……この世には、幸福など存在しない」
「は?」
急になにを言い出したんだ、と思ったが、すでに白衣の男はこちらを見ていない。マジックミラーの向こうで幼い銀が悲鳴をあげながら、また魔法陣を展開しようとしているのを、止めるでもなくただ眺めている。
「……」
僕は燐と顔を見合わせ、ただ困惑するしかなかった。
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