第9話 声
09
光の奔流。
輝く天蓋と、一人の男。
しかし、その男は背を向けていて、こちらからはどんな人物かはうかがい知れない。
『私たちはどこにでもいて、どこにもいない。
私たちはすべてを知っていて、けれどなにもできない。
さながら、全知全能かつ無知無能といったところか。
まるで、私たちは神と呼ばれる存在と同じ立ち位置にいるようにも思えないかね?』
男が、誰かに向けて話しかけている。
男が誰に話しかけているのかは分からない。けれど、それはどこか聞いたことのあるような話にも感じてしまう。
なぜ、そんなことを?
『妹の最後の言葉を忘れたのかね。それが本心か単なる強がりだったのか、本当にわからないのかい……』
いったい、あんたは誰だ?
不意に男が振り返る。しかし、天蓋の光のせいか、顔は分からないままだ。それでも男はどこか落ち着いた様子で、穏やかな笑みを浮かべているような気がした。
『君がここへとやって来るのは、まだ先の話だ。ここのことは、自ずとわかるさ』
今度は確実に、男は僕へと話しかけてきている。
「おい――」
男に近づき問い詰めようとするが、頭痛とともに視界が暗転する。一瞬だけ上下の感覚もなくなって、バランスを崩してよろめき、ひざをつく。
「和……彦、さん?」
胸元から困惑した声。抱き抱えた燐だ。
「……くそっ」
気持ち悪い。ワームホールでの移動なんていつまで経っても慣れやしない――。
そう思いながら顔を上げると……そこは晴天で、どこかの建物の屋上だった。
光輝く天蓋も、男の姿も、影も形もない。
「さっきのは、いったい……」
燐を見下ろすが、彼女は彼女で困惑した表情を浮かべて僕を見上げてくるばかりだ。
「今の……燐も見たか?」
「ええと、私は何がなんだか……」
「……そうか。そうだよな」
……考えてみれば、僕よりもよっぽど彼女の方が意味不明な状況だろう。ホテルの一室で寝ていたはずなのに、気づいたら僕に抱えられて見知らぬ建物の屋上にいるのだから。
目が覚めた燐を下ろすと、二人で周囲を見渡す。
屋上はコンクリートの床が広がるばかりで、あとはなにかよくわからない配管と、少し離れたところに出入口の扉のある小さな塔屋があるくらいだった。とはいえ、屋上の広さはちょっとした体育館くらいはあって、ここがそれなりに大きな建物であることをうかがわせる。
コンクリートの屋上の端には少し立ち上がりがあるくらいで、手すりもない。その外側は四方にうっそうとした森が広がっていた。
木々の高さから考えると、この建物は四階建てくらいだろうか。
山の中、手入れもされていない広大な山林の中にポツンと大きな建物が建っている、と考えるとかなり奇妙に思える。
「!」
周囲を見渡し、少し考えてから僕はやっと深刻な事態に気づいた。
慌てて背後を振り返るが、そこにはなんの変哲もない空間が広がっているばかりで、空間の歪みなどすでに残っていない。
僕たちが通り抜けてきたワームホールの痕跡など、とっくになくなっていた。
「マジ、かよ」
燐に念を押されたことを思い出す。
――ワームホールの向こう側に取り残された場合、元の時間に帰ってこられなくなる――。
彼女がそんな風に説明してくれたのは、二ヶ月前にタイムスリップしようと燐の力がどんなものか説明してもらった時のことだ。
そうなってしまったらどうなるか、こんなところで不意に思い知らされるなんて。
ここがどこでいつなのかも分からない。そうなると、さっきまで僕らがいた“現在”には……どうやったら戻れるんだ?
でも、ちょっと待てよ。
ワームホールを使ってここに僕たちを送り込んだのは他ならぬ未来の燐だ。彼女が一番ワームホール先に取り残されることの危険性を分かっているはずじゃないか?
ここに僕の望むものがあるとは言っていたけれど、だからってワームホールの向こう側に取り残さなくたって……。
「え? ここ……」
僕と同じように周囲を見渡していた燐は、いまでは顔を真っ青にさせて怯えている。
「燐、もしかして……知ってるのか?」
「ここ……遺伝子研究所、です……」
「なんだって?」
ここが、僕たちが今日――時間を飛び越えているから、本当に今日といっていいのか分からなくなりつつあるが――見に行った場所なのか?
僕たちが見に来たあの場所は建物などなにもないさら地だったんだぞ。
だとしたら、ここは……轟銀がこの建物を崩壊させたっていう、十年以上前だということになる。
「でも、この風景は確かに――」
「――その通りだよ」
不意に見知らぬ声が響き、僕らは凍りついた。
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