第6話 接触

06

 三峯燐と名乗った女性が、薄暗い廊下を静かな足取りで近づいてくる。

 目の前にきたことで、彼女の様子が分かってくる。薄手のニットとタイトなスラックスの上下で、その上から白衣を羽織っていた。

 明らかに年上だ。それで三峯燐だと名乗るとしたら、今から七、八年は経過している。

 そんなことができるわけが……いや、彼女になら容易だ。未来から過去へのワームホールを開いて、過去へとタイムスリップすればいいだけのことだ。僕が数日前に二ヶ月前の神稜地区局部地震の時間へとタイムスリップした時のように。

 年を経たからか、それともハイヒールのせいか、彼女の目線は僕より少し高い。整った容貌と長い黒髪に、スタイルのよさも変わっていない。燐が大人になったらこうなっているんじゃないかという、まさに想像通りの姿だった。

 僕はそれだけで、女性が“未来から来た三峯燐”だと信じられた。疑うことができなかった、という言い方もできる。

「十年前……あの日、遺伝科学研究センター跡に行った日なんですね」

 感慨深そうにつぶやいて、未来の燐は右手を僕へと伸ばす。

 ほほにひんやりとした手のひらの感触。

 少し視線を上げて未来の燐を見返すと、彼女は泣き出してしまいそうなほどに潤んだ瞳をしていた。

 その姿に、僕は少しどぎまぎしてしまう。とりあえず警戒する必要はなさそうだ。僕はまばたきをして、ようやく視界を通常へと戻す。

「本当なら……和彦さんを説得しないといけないのでしょうけれど……。きっと、和彦さんは変わらないものね」

 どこかあきらめの入った未来の燐の言葉に、僕は返事ができない。

 説得?

 変わらない?

 いったい……何のことを言っているのか。

 ちっとも意味が分からないが、未来の燐は説明する気はなさそうだった。

 と、未来の燐ははっとした様子であわてて僕から手を離す。

「も、申し訳ありません。出すぎた真似を……」

「べ、別にそんな……」

 僕は僕で気恥ずかしいまま、自分のほほをさする。

 ていうか、未来の燐が僕にこんな態度をとるって……未来の僕はすごく傲慢なやつになっている可能性が急浮上してきた。

 なにやってんだよ、未来の僕は。

「……すみません、そんなに時間がなかったのでした。和彦さん、もうすぐシュタイナー教授がここに来ます。今の私を連れてここから逃げて欲しいんです」

 未来の燐が表情を引き締めてそう告げてくる。

 でも、僕は話についていけない。

「え? ちょっと……シュタイナー教授?」

 確か、山崎さんにもらった神稜地区局部地震前後のタイムラインにあった名前だ。大学側で白衣の男と戦った、第三項の天使。

 だけど、その教授と僕には接点なんて何もない。その人が来るからって一体なんだっていうんだ?

「私の時代から第四項対策部隊を出すのはもう間に合いません。せいぜい今の第四項対策室しか……けれど、今の沃太郎兄さまと私の二人では、教授に勝てるかどうか……」

「えっと、その……もう少し説明してくれないと、僕には何がなんだか」

「お伺いするのが遅くなってしまったことはお詫びします。でも、もう説明している時間的余裕がないんです。お願いです。私を信じて――」

 まくし立てていた未来の燐が不意に口をつぐみ、振り返る。

「――余計な問答をしたくないの。素直に出てきてくださると助かるのですけれど」

「……?」

 廊下の奥、なにもない空間に声をかける未来の燐に疑問を抱いていると、奥から人影が一つ出てくる。

「……さすがね。見たことのない顔だけれど」

「内閣府多次元時空保全委員会、第四項対策室。五条錫ね」

 未来の燐にそう言われ、人影がびくりと震える。……どうやら図星らしい。

 五条錫……五条沃太郎の姉だ。本当にそうなら、やはり僕を監視していたっていうことだ。


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