第5話 遭遇

05

「ん、んん……」

 目が覚める。

 慣れない山登りの疲労か、いつもと違う柔らかいベッドのせいか、彼女の浅い吐息さえ聞こえるほどの近さで燐が寝ているせいか……いや、それはいつもと大差ないかもしれないけれど。

 駅から十分も離れていないビジネスホテル。

 受付でツインとダブルがあると言われ、僕にはなにが違うかよく分からなくて燐に任せたら、彼女は躊躇せずにダブルにしてしまった。

 ツインがベッド二つ、ダブルが大きめのベッド一つと知っていたら、僕はツインと言っていただろう。

 まあ……部屋に入ってその事実に気づいたところでもう手遅れだ。なんだか妙にワクワクしている燐を見ていたら、わざわざ受付に戻って「ツインに変えてほしい」と告げるなんて無理な話だった。

 ……宿泊費用も燐の「第四項対策室の臨時支出で計上できますから」という言葉に甘えて任せてしまった後ろめたさもある。

 今までそんなに必要としなかったのもあってアルバイトをしたこともなかったし、地震後からは母さんに遠慮して小遣いももらっていない。僕の所持金はもともと、ここまでの交通費で使い果たすくらいしかなかった。

 普通に使うには横幅の広いサイズのベッドに、僕と燐は寝ていた。

 もともと泊まる予定でもなかったから、二人とも昼間着ていた服のままだ。

 僕がベッドから身を起こすと、そんな気配を感じてか寝たままの燐が身をよじる。

 見下ろすと、暗がりの中であどけない表情をした燐が穏やかな寝息をたてている。

 彼女が起きてしまわないように、僕は優しく頭をなでた。

「かず……さん……」

 夢の中でも僕のそばにいるのだろうか。彼女はどこか幸せそうな笑みを浮かべている。

「……」

 たぶん、誰もがうらやむ状況なんだろう。

 すぐ隣に美少女がいて、全力で好意を向けてきている。……いや、すぐ隣どころか、同じ屋根の下で暮らしているし、母さんが使い物にならないから家事も僕と燐で分担している。

 それって考えてみれば同棲しているようなもので、普通の高校生ならあり得ないシチュエーションじゃないだろうか。

 ……でも、今の僕にはそれにさして惹かれたりしない。

 天原つかさ。

 僕の幼なじみ。

 轟銀に殺された少女。

 僕が救えなくて……まだ救おうとしている少女。

 彼女と比べてしまったら、燐なんて……。

 いや、そういう考えもよくないんだろうか。だけど、どうしてもつかさのことが頭をよぎる。

 燐が無邪気に向けてくる好意に、僕はどう応えていいか分からない。なぜ彼女が僕に好意を向けてくるのかも。

 地震直後は、第四項対策室としての責務からそういう演技をしているんじゃないかと思っていた。

 燐や珪介さんが、多次元時空保全委員会からの指令として“葉巻和彦に天使の疑いがある”ことを理由に接触してきていたのだと知ったのは、つかさの死を目の当たりにした直後だったからだ。

 転校してきて僕にべったりと付きまとったのも、第四項対策室としての任務だったからなんだろう、と。

 だけど、どうやらそうでもないのかもしれない。

 だって、じゃなきゃ第四項対策室に黙ってまで僕に協力して、一度起きたことのやり直しを――つかさの死をなかったことにする試みを――するはずがない。

 いや、でも……。

 それはちょっとおかしくないか?

 僕に好意を寄せているなら、僕がつかさを救おうとするのを手伝うのは、彼女にとって不利になることではないだろうか。

 ちゃんと告げたことはないけれど、僕が燐ではなくつかさが好きだということを、燐が気づいていないはずがない。

 燐が“同じ時空にワームホールを繋げられる”という……言わばタイムスリップが可能だという力を僕に教えなければ、僕は過去を変えてつかさを救おうなんて思いもしなかったのだから。

 過去を変えることができたら、つかさの死をなかったことにできたら、僕が燐とつかさのどちらかを選ぶのかなんて……分かりきっている。

 それが分かっていながら、彼女は僕に協力しているのか?

 彼女は「過去は変えられないと思っている」と言っていた。

 ……まさか、僕に試行錯誤させた挙げ句に「つかさを救えない」と思い知らせ、絶望に叩き落とそうとしているなんてことは……さすがに考えすぎか。

「……ずひこ、さん……ダメ、ですよ……」

「……はあ」

 むにゃむにゃと寝言を漏らす燐を見下ろし、僕はため息をつく。

 妙なことばかり考えているな。

 考えすぎるのもよくない。

 僕は頭を振って身を横たえ、ベッドのシーツにくるまる。少しだけ……燐から距離をとって。

 けれど、寝ようと考えれば考えるほど、変なことばかり考えてしまったせいか目が冴えて眠れない。

 瞬間、近くで強烈な空間の歪みを感覚する。

 ゾワッと全身の毛が逆立ち、静電気が肌の表面をはい回るような感覚を味わう。

「……ッ!」

 僕は反射的にシーツを跳ねあげてベッドから飛び出し、周囲を見回す。

 天使の力……だけど、隣で眠る燐じゃあないし、もちろん僕でもない。なのにこんなところで別の天使に出会う? そんな偶然があるか?

 まばたきをして視界を蒼く染める。

 空間の深さにあわせてゆらゆらと揺らめく四次元空間を見渡す。

 空間の歪みはすぐそこにあり、部屋の外の廊下だった。それはまもなく収束しあっさりと元に戻ってしまう。

「なん、だ?」

 なにか違和感を覚える。それをどう表現したらいいんだろう。その空間の歪みは……言ってしまえば、大したものじゃないのだ。

 歪んでいるには歪んでいるけれど、魔法陣を展開できるほどの歪みには見えない。

「……」

 とりあえずは疑問を脇にやる。

 蒼の世界では、三次元空間に存在する壁で遮られていても、四次元空間を通して向こうを見ることができるからだ。空間の歪みがあった場所には、人影が一つ、こちらを向いて立っていた。

 シルエットからは女性のようにも見えるが……暗くてそれ以上のことはわからない。

「……」

 蒼の世界を見たまま、僕は恐るおそる扉に近づく。

 敵だろうか。

 わからないが、少なくとも僕たちに接触しようとしていることは確かだ。じゃなきゃこんなにわかりやすく天使の力を行使したり、こっちを向いて僕の様子をうかがったりするわけがない。

 明らかに、僕に気づかせるためにやっている。

 ……そうすると、罠だろうか。

 だけど、罠だったとしても、違ったとしても、いったい何のために?

 僕は扉に手をかけてロックを外すと、静かに扉を開けて恐る恐る廊下に出る。

「……」

「……」

 廊下には一人の女性が立っている。さっきから動いているようには見えないけれど、こちらにはちゃんと気づいていたようだ。僕より年上……二十代後半くらいか。廊下の明かりは落ちているが、それでも線の細い美女だということはわかった。敵対心がないことを示したいのか、瞳は輝いていない。

「あんたは……誰だ」

 僕はいつでも重力を操れる体勢をとったまま、静かに問いかける。できれば燐を起こさず、穏便に済ませたい。

「和彦さん」

「……!」

 その人の声音に、ぎくりと身体を震わせる。

 見知らぬ人のはずなのに、とても聞き覚えのある声だ。

「私が三峯燐だと言って……和彦さんは信じてくれるかしら」

 そう言って、女性は僕に悲しげなほほ笑みを見せた。


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