第2話 独白


02

「十六年前、私はこの場所で生まれました。この場所……私たちが遺伝子研究所と呼んでいる所で。

 五条錫姉さまと五条沃太郎兄さま、そして兄である三峯珪介兄さんの第四項対策室の全員が、ここで生まれたんです。

 両親、と言える人は……いないんです。私たちは……試験管ベビーとでも言えばいいんでしょうか。正直に白状すれば、私たちは……実験体、だったんです。

 ……。

 え……?

 ああ。それはその、ええと。

 私と珪介兄さんは、卵子側のドナーが一緒なんです。

 ドナーが誰かも分かりませんし、もし誰か分かったとしても、今さら親だなんて思えないでしょうけれど……それでも、私と珪介兄さんは兄妹なんだって思います。

 錫姉さまと沃太郎兄さまも家族だとは思っているんです。でも、そういう精神的なことじゃなくて、私たちは確かに……同じルーツのある、血が繋がっている兄妹なんだって、そう思うんです。

 変な考えだなって思いますか?

 ……そうかもしれません。

 私たちは……一般的な家庭というものを知らずに育ちました。だから今、和彦さんの家で暮らしているのがすごく新鮮なんです。私にも親がいたら、こんな感じなのかなって……。

 ……あ、ごめんなさい。

 話が、それましたね。

 それで、この遺伝子研究所なんですが……。私たちがそう呼んでいるだけで、正式名称かは分かりません。私たちは本来の名前を知らないんです。

 内閣府多次元時空保全委員会に記録されているのは、ここで遺伝子に関する研究が行われ、結果として「天使」と呼ばれる超能力者を確認した、ということくらいでした。それ以上の記録はほとんど残されていなかったんです。

 ……。

 ええ。そうです。

 研究所についての記録がそれだけのはずがないと私たちも考えました。ですが……第四項対策室からの情報開示申請への回答は「該当情報は保持期間を越えたため抹消済み」というもののみでした。轟銀の暴走により、この研究所は破壊されています。だから、そのせいで情報が失われている、というのも事実ではあると思いますが……それを踏まえても情報が少なすぎます。

 どこかにここの記録が残されているとしたら……厳重に秘匿されているのでしょう。当事者であった私たち……第四項対策室でさえ、アクセス権限がない。アクセス権限がある人は、ほんの一握りしかいないのでしょうね。

 なので、ここからの話は私たちの……というか、錫姉さまと沃太郎兄さまの見解、もしくは推定が多分に含まれます。

 その点を留意の上で聞いてください。

 この遺伝子研究所では、さまざまな遺伝子デザインを施された生命についての研究を行っていたのではないか、と考えています。本来は純粋な研究目的の機関だったのだろう、と錫姉さまと沃太郎兄さまは考えています。

 はい。本来は、です。

 初期は植物の品種改良や動物のクローン実験などもやっていたのではないでしょうか。ですが、関連施設で過去の偉人の遺伝子情報の研究などが行われていた記録が残されていたことからすると……ここでも似たようなことが行われていたのでしょう。過去の偉人の遺伝子のパターンや全く新しいパターンなど、さまざまな遺伝子配列を本当に再現した人類を作っていたのだと思います。

 非人道的な研究だったからこそ、どこにも情報を残さないまま研究されていたのではないでしょうか。

 私の記憶では、ここは研究所のようでもあり、同時に保育所のようでもありました。

 定期的に入念な検査があったり、当時の私には意味の分からない実験などはありました。けれど、他の子供たちと遊んだり、勉強をしたり……そんなに虐げられた記憶はありません。

 ……はい。

 他者から見れば、おそろしく奇妙な場所だったのでしょう。私も今になってみれば異常な……常軌を逸した場所だったと、そう思います。けれど、当時の私たちはここの施設の中しか知らず……それが世界の全てでした。私にとっては当たり前の光景だったんです。

 ……。

 ともかく、ここはそうやって本当に人間を作り、育て……研究を行っていたんたと思います。

 どれだけの遺伝子配列を試し、その中でどれだけの受精卵が作られ……どれだけの存在が生命と言えるほどに成長したのかは分かりません。

 研究所崩壊当時、子供まで成長した第一世代は、錫姉さまを含めて三、四人。沃太郎兄さまの第二世代も十人に満たなかったと記憶しています。

 遺伝子研究所は、その第二世代でたまたま天使の力を持った生命を偶然作り出してしまいました。

 はい。

 沃太郎兄さまのことです。

 恐らくはそれがきっかけとなり、この研究所は遺伝子配列を研究する場所ではなく、天使の遺伝子配列を再現し、その力を調べるための研究所へと方向転換したのだと思います。

 珪介兄さんがこの研究所での第三世代、私や轟銀が第四世代になります。

 保育士というべきか研究員と呼ぶべきか分かりませんが……職員たちは表面上は誰に対しても平等に接していました。

 ですが、天使の力を持った子に対しては、彼ら……大人たちの対応が違っていたのを覚えています。

 私たちみたいな実験体でも……子供ってやっぱりそういうことに敏感なんでしょうね。子供だった私たちはその対応の違いを敏感に感じ取っていたんです。それで、子供たちの中でいじめのようなことも……ありましたし。

 特に彼――轟銀に対しての扱いは明確でした。

 光子を操る、第二項の天使。

 彼の指向性レーザーはおそらく……大天使ウリエルの“炎の剣”と呼ばれる由来となった力でしょう。

 旧約聖書偽典「アダムとイヴの生涯」に記された、エデンの園の門を守る、炎の剣を掲げた大天使ウリエル。

 当時の人々がこの第二項の力を目の当たりにしたからこそ、そういった古代の文献に記されるようになったと、多次元時空保全委員会内では考えられています。荒唐無稽に思える物語であっても、過去の書物には、少なからず真実が含まれていたというわけです。

 私たちが生まれた頃には、この力は古来より一部の人に発現し扱われていた力であり……いくつかの文献にその痕跡があったこだということもわかっていたようです。

 その人知を越えた力を人々は恐れ、また崇め……預言者や神の使い、天使などと呼んでいたのだと。

 第二項の力が大天使ウリエルの“炎の剣”と言われたり、第四項の力では……それこそ天使のように空を飛ぶことができます。

 それらの力を誇張し、戯画化して記されたものは、それこそ旧約聖書を初めとした過去の文献にいくつも見られます。

 そうした過去の文献や歴史を踏まえ、委員会ではこの力を“天使”と呼称しているのだといいます。

 この力があったからこそ、天使という名称が聖書などの書物に残されました。だからこそ、現代においてこの力を持つ者は天使と呼ばれているんです。

 天使の力。

 実際のところ、この力が人智を越えた力であることは、和彦さんも認めるところだと思います。

 第一項のウィークボソン、第二項の光子、第三項のグルーオン、第四項の重力子。それぞれの素粒子に作用する根元的な力を行使できる力。

 もしそれがコントロールできるなら、様々な活用方法があるはずです。

 どの力も大量破壊兵器としても使える力を秘めていますし、第一項は資源問題、第二項はエネルギー問題、第三項は廃棄物処理問題の解決に役立つでしょう。私が思い付きで簡単に考えただけでなく、他の活用方法だって考え出されるかもしれません。

 しかし、轟銀は力を暴走させ、遺伝子研究所を崩壊させました。

 生き残ったのは、轟銀と第四項対策室の四人、あとは……職員が一人。それだけでした。

 それ以外にどれだけの人がこの施設にいたのかは分かりませんが……轟銀はこの時すでに、多くの人命を奪っていたんです。

 けれど、それでもここの研究……実験でも多くの子供の命が失われていたと思います。

 はっきりと覚えているわけではありません。でも……実験に行ったっきり、誰かが帰ってこなくなる、前触れなく、気づけば人数が減っている、急に倒れて、以来姿を見なくなる……。そういうのは、よくあることだったんです。

 当時の私にとってはそれが当たり前のことでしたが、改めて考えみたとき、どれほどの命が奪われたのか……こうして考えると恐ろしい人数のはずです。記憶をたどるだけでも十数人……。実際にはもっと多いのでしょう。

 けれど私たちは実験体で……戸籍も人権もない存在でした。

 だから……「人数」として数えられない存在もあったはずです。

 受精卵になる前、なったあと、細胞分化を始めた頃……どこからを命と称するのか私には分かりませんが、そういった存在まで含めたら、膨大な数が研究の名のもとに処分されていると思います。

 轟銀の言葉を……覚えていますか?

 そう。あの時の……和彦さんと戦う直前に言っていた言葉です。

 彼は言いました。

「君のために、あの施設をめちゃくちゃに壊してやったのに」

「ああでもしなきゃ僕らは一生モルモットだった。学校に通うのだって無理だったし、そもそもこの年齢まで生きていられなかった」

 ……彼は、当時すでに気づいていたのでしょう。

 当時の自分たちにとって当たり前の場所だった遺伝子研究所が、自分の置かれた環境がおかしいのだと。

 破壊してでも逃げ出さなければ、いつまでたってもあの箱庭の中で、研究の成果としてデータとなり処分されるまで、外に出ることも叶わず、殺されるのを待つだけの存在なのだと。

 おそらく、彼の言う通りだったと思います。

 彼の暴走を肯定するつもりもありませんけれど……私が今こうして和彦さんの隣にいるのは、彼の暴走があるのは確かです。

 ……轟銀がなにを考えていたのか、本当のところはもう分かりません。けれど、彼の暴走によって研究所が破壊されたことを受け、天使の力の研究により得られる途方もない実利と比較しても、同等以上の大きなリスクがあることを政府は認めなければならなくなったのでしょう」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る