第1話 登山
01
落ち葉の積もった腐葉土を運動靴で踏みつけ、道とはとても言えない山肌を登る。
手頃な木に手をかけ、身体を持ち上げる。慣れない山登りを初めてもう二時間にはなる。息が切れ、僕は木にもたれかかって少し息を整える。
視線を上げると、まさに登山スタイルといった感じの、薄ピンクのパーカーとカーゴパンツにリュックを背負った三峯燐が、なんの苦もなくひょいひょいと山肌を登っている。いつもとは違うポニーテールにキャップを被ったスポーティーな後ろ姿からは、息切れしている気配など感じられない。インドア派だった僕と違って、彼女は運動も得意のようだ。
うっそうとした森の中だ。整備された登山道を歩くのとはわけが違う。……というか、そもそも登山というもの自体を甘くみていたと言うべきか。
燐がこちらへと振り返り、心配そうな視線を向けて引き返そうとしてくる。
「和彦さん――」
「――大丈夫だから。心配されるほどじゃないよ」
彼女を手で制して、僕は木から手を離してゆるやかな斜面を登る。
少し無理をして燐の隣までやってくると、ほら、と両手を広げて笑って見せる。
「……無理はよくないですよ? 行きで無理をすると、帰り道は本当に苦労しますから……」
「う……」
燐の的確な指摘に、僕の笑みがひきつる。
「はは……。体力、つけないとな」
「それがいいかもしれませんね。健康にもいいですし」
柔らかな笑みと共に、燐がうなずく。
「まだ学校もしばらくは再開しないでしょうし、ランニングだったり、ボランティアで瓦礫の撤去を手伝うのもいいんじゃないでしょうか」
「そうだけど……それは帰ってから考えようかなぁ」
確かに、正直に言って今はあまりやることがない。けれど、まだしばらくは自分のこれからのことなんて考えられそうにない。
「それもそうですね。一度休憩しますか?」
「いや……ついてからでいいよ。もう近くまで来てるはずなんだろ?」
「そのはずです。この斜面を上がりきれば、おそらくは」
燐の視線を追い、斜面を見上げる。まだ遠そうに見えるが、それでもせいぜい百メートル程度に見える。
「じゃあ、登りきって考えよう」
「わかりました」
二人でうなずきあって、またゆるやかな傾斜を登り始める。
無理はよくない、と言われたものの、少し無理をしてその斜面を登る。
脚が笑いそうだったけれど、これで終わりのはずだ。
そう思って斜面を登りきると、そこで不意に木々も途切れ、開けた場所に出る。
パッと見て、さら地という印象の場所だった。
「ここか……」
燐に言われなくても、ここが目的地たとわかった。
さら地はかなり広い。サッカー場くらいはあるだろうか。それくらいの広さの土地が、木々のない不自然に平らな地面となっている。
地面には雑草が好き勝手に生えているが、よく見れば大きめの石だと思っていたものは、コンクリートやアスファルトの破片のようだ。砂利の地面も、転がっているのは川原にあるような丸みを帯びた石ではなく、鋭利な角が多く、破片、と言うべき形状をしている。ここには昔なにかの建物が建っていて、それを取り壊してさら地になったのだと容易に想像がつく。
ここは、明らかに人の手によって作られたさら地だった。
……とはいえ、よっぽどのことがなければこんな山奥のさら地に疑問を抱く人などいないだろう。そもそも、ここに来る人がまず皆無だろうし。
「ここが私が生まれ……育った所です」
静かに、なにかを噛みしめるように燐がつぶやく。
「……」
色々な思い出があるのだろう。つらい思い出もあるだろうが、それだけでもないはずだ。
ここにあったはずの研究所が崩壊したのは、もう十年ほど前のことらしい。それからここに足を踏み入れたのは、たぶん僕らの他にはほとんどいないはずだ。
少し集中してみると、未だにここの空間が安定しておらず、不安定なままたゆたっているのが感じられる。
「燐」
「はい」
「もう一度……話してくれるか?」
「……。分かりました」
彼女は覚悟を決めるように、息を吸い込む。
「十六年前、私はこの場所で生まれました。この……遺伝子研究所と呼ばれる場所で――」
さら地に立ち尽くした僕は、ただ静かに燐の話に耳を傾ける。
乾いた風が吹き、砂煙が舞うそこに響く燐の声は……どこか、空虚にも感じられた。
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