兄は弟の話を聞く
「や、やあレイス。今日は何の用があって来たんだい?」
ベイクドは震えてしまいそうな声をなんとか抑え、平然を装いながらレイスに尋ねる。
できれば、さっさと用件を済まして帰ってほしい。
ベイクドは心の中でひたすら祈った。
「実は兄さんに頼みたいことがありまして」
「た、頼み?」
そんなの、実質的な命令じゃないか。
忌まわしいことに、ベイクドはレイスの奴隷にされているのだ。
目の前の悪魔が命じれば、それに応じるほかない。
いったいどんなことを命令してくるのか。
ベイクドは戦々恐々としながら、次の言葉を待つ。
――と、そこで。
「頼みだと!? 追放された無能のカスが、ベイクド様に図々しくも頼みごとだと!? 恥を知れ!」
なぜか突然、執事が顔を真っ赤にしながらレイスを罵倒し始めた。
「そもそも、貴様が今こうしてノータリン男爵家の敷居を跨いでいること自体が、ベイクド様の優しさなのだ! その上にさらに頼みごとなど、そんなもの許されるわけがないだろう!!!」
唾を撒き散らしながら怒涛のような怒りを見せる執事。
ベイクドには彼の気持ちがよくわかる。
仮にあの森での一件がなければ、今でもこの執事のように弟を見下し続けていたことだろう。
魔法の使えない無能。
追放された出来損ないのカス野郎。
そう言って罵倒しまくったに違いない。
というか実際に決闘でボコされる前に罵倒しまくった。
しかし、これはよくない。
ベイクドはレイスの強さを知っているのだ。
この男がその気になれば、自分はもちろん男爵家のすべてを軽く蹴散らしてしまう恐れがある。
レイスは怪物なのだ。
そんな男をこの執事はこれでもかと刺激している。
まるで、凶暴な魔物の群れの中で「私はここに居ます」と声高らかに主張するような暴挙。
向かう先は死、あるのみ。
ベイクドは白目を剥いて現実逃避する。
「――ベイクド様は素晴らしい! 昨日は、Dランク魔物をであるオークを単独で討伐し、次期当主たる器をお示しになられた! それに比べて、貴様はどうだ? 役に立たない棒切れを振り回すばかりで、どうせゴブリンすらまともに倒せないのだろう?」
いや、あの。
その男はオークとかゴブリンとかそういうレベルではなく、Cランク魔物のオーガを倒してみせたのだが。
「……」
レイスを見る。
彼は無言だった。ただ、無言でにっこりと微笑んで執事の話を聞いている。
ふと、そんな彼と目が合った。
言葉はない。表情も変わらない。
ただ、その目が。
塗りつぶされたような暗黒の目だけがこちらを真っ直ぐに見ていた。
目は、時に口以上に饒舌だ。
その瞬間、ベイクドはレイスの視線が何を言いたいのか理解してしまった。
『こいつ、そろそろ殺しますね?』
脳裏によぎるレイスの声。
――やばい!
忠臣である執事の命の危機を感じとったベイクドは、彼の口を閉じさせるためにとっさに動いた。
「黙れッ!!」
ドン、と。
勢いよく机を叩くと、部屋には静寂が下りる。
すかさず、ベイクドは必死に口を回す。
「弟は僕との話をしに訪れ、僕はそれを許可した! この件について、使用人である君がどうこうと口を挟むものではない!」
「っ! も、申し訳ございません! 差し出がましいことをしました!」
「退出してくれ。君はしばらく頭を冷やしたほうがいい」
「か、かしこまりました!」
顔を真っ青にした執事が部屋を出ていく。
出る直前、思いっきりレイスを睨みつけていったことに頭を抱えそうになる。
しかし嘆いてばかりでは待つのは破滅のみ。
気を取り直して、ベイクドは対面に座るレイスへと頭を下げた。
「悪いね。彼には、よく言い聞かせておくよ。客人にあのような言動をするのは、相応しくないからね」
「いえ、別に構いませんよ。言われ慣れていますので」
「そ、そうか。いや、すまない」
ベイクドは冷や汗をダラダラと流す。
当てつけのような言葉に、ベイクドは昨日の自身の言動を思い出す。
眩暈がして吐きそうになった。
「そ、それでレイス。遅くなってしまったが、僕を訪ねにきた要件はいったい?」
「っと、そうでしたね。実は、『キレジー盗賊団』を殲滅しまして」
「え!? キ、キレジー盗賊団!? いつ!? というかどこで!!?!?」
「さっきです。場所は街の近くで」
「さ、さっき!? 街の近くって、キレジー盗賊団なんて超危険な盗賊団が街の近くに!!!???!?」
「はい。普通にいましたよ」
「ふ、普通に!? 普通って……普通ってコト!?!?」
「たまたま知ったので、ちょっと倒してこようかと思って。昼ごろに決めて、夕方に乗り込みました」
「散歩みたいなノリで盗賊団殲滅してる!!?!?」
ベイクドは驚愕した。
キレジー盗賊団といえば、国内でもとくに危険視される犯罪集団だ。
ボスである『血道のキレジー』は国から超高額の懸賞金を掛けられたお尋ね者。
その逸話は数知れず、超エリートたる王国騎士団の隊長格を3人まとめて殺害した話がとくに有名である。
そんな超級の犯罪者が、何も知らないうちにノータリン男爵家の治める領内に巣食っていて。
さらには目の前の弟が散歩に行くような軽い感じのノリで殲滅してるとか、想像をはるかに超えた出来事すぎて脳の処理が追いつかない。
「それで、本題なんですけど」
「ほ、本題? キレジー盗賊団を殲滅したことが本題じゃなくて?」
「それは、前置きです」
「あ、うん」
ベイクドは深く考えることを放棄した。
もう目の前の弟に対して、理解することを諦めたのだ。
だって、意味わからない。
魔法を使えないのにオーガやらキレジーやらを倒すし。
いきなり決闘を仕掛けて人を奴隷にしたり、盗賊団を散歩みたいなノリで討伐したり。
ただシンプルに、頭がおかしい。
「3つ頼みがありまして。まず1つは、盗賊団から救出した人たちの保護のお願いです」
「ああ、うん。まあ、それは必要だね。領地を治める家として、やらなければいけないことだ」
「心に傷を負った者もいますし、家族から引き離された子どももいます。なるべく、助けてあげて欲しい」
レイスの言葉にベイクドは心得たと頷く。
面倒ではあるが、これを無視することはできない。
ぶっちゃけ知り合いでもない人間がどうなろうがなんとも思わない。
とはいえ、盗賊被害にあった領民を助けないなんて貴族としてのメンツに関わる。
それは容認できない。
エリートを自負するベイクドは、貴族たる誇りを持っているのだ。
面倒だけど仕方ないので助けることにした。
というかレイスの頼みに対する拒否権なんてそもそもないし。
「2つ目は?」
「実は、討伐した盗賊たちを生捕りにしたのですが――」
「ちょ、ちょちょちょちょちょ、ちょ、待てよ!? 生捕り!? まさか、キレジーは」
「はい。キレジーも生捕りにしました。というか盗賊団員約50名、全員生捕りです」
「!?」
ベイクドは驚いた。
さっきから驚きまくりで頭がおかしくなりそうだった。
あたりまえの話だが生捕りというのは難しい。
ただ殺すのと違い、手加減をする必要があるため相当な実力差がなくては生捕りなどできないのだ。
ましてや、相手はキレジー。
キレジーを生捕りにできるなど、目の前の弟がいったいどれほどの力を持っているのか想像もできない。
ベイクドは震えた。
とても怖かったので。
「それで、その捕らえた盗賊たちなのですが。その処遇について提案がありまして」
「て、提案? 国に突き出すのではダメなのかい? キレジーには、数千万規模の莫大な懸賞金がかけられてるはずだけど」
「別に金はそんなにいらないので。何もしなくても定期的な収入があるので、困っていませんし」
金に困っていないって何でだろう。
たしか、無一文で放り出されたと聞いたのだけど。定期的な収入って、そんな1日2日で作れるのだろうか。
ベイクドは不思議に思った。
「な、なるほど? じゃあ、提案っていうのは?」
「生捕りにした盗賊たち――全員奴隷にしませんか?」
レイスは、にっこりと微笑んだ。
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