二
二 (1)
廊下を近づいてきた女子学生たちのさえずりが、教室の出入口をくぐるなり途切れて、ささやき声に変わるのを意識の端で聞いていた。履修者名簿から顔を上げて彼女らの方を見やると、幾組もの視線が、教卓でかいがいしく働く青年に注がれている。
如月燎が、私の指示に従って授業用の機材を準備しているところだった。
大学の施設課は時代の変化に
教卓の片端には蓋付きの深い箱があり、中にOHP(オーバーヘッドプロジェクタ)が収められている。教師を始めた頃からずっと使ってきた種の機材だ。ホーソーンを読む授業の初回、私は如月に、これでスライド上映をする準備を頼んでいた。作業をする彼に、さりげなく尋ねた。
「如月くんは、TAの研修会には出たんだろうね」
「はい、出ました。一学期はフランス語のTAをやったので、その前に」
OHPの電源を入れてレンズの高さを調節しながら、彼は答えた。
TAを希望する大学院生は、毎年行われる研修会に、最低一度は出席する義務がある。そこで伝えられる注意事項の一つが、担当クラスの学部生と交際してはならない、というものだった。学生の成績評価には教師だけでなく、TAも関わることが少なくない。交際の禁止は、TAが恋愛の相手に不当な高評価をつけるのを防ぐのと同時に、たとえフェアな成績評価をしていたとしても、ひいきをしているのではないかと周囲の学生に疑われる危険を避けるためでもあった。
学生と、教員や教員に準ずるTAとの間に時々恋愛感情が発生するのは事実で、結婚したという話もたまに耳にすることがある。しかし現在、大学は立場の違う者同士の交際を禁じている。TA研修会で禁止の理由を成績評価の観点から説明するのは、それが院生にとっていちばん理解しやすいからで、本当の理由はもっと根本的なところにある。学生と、学生の評価に
弱い立場に固定された者と強い立場の者とがいる場所で、性的なアプローチが野放しにされれば、そこは醜い揉め事の温床となる。私より上の世代の教員は、それも社会の現実、そういうものだとして放置しておく向きが多かったが、今は時代が変わった。
一方で学部生には、TAに交際を申し込んではいけない、といった指導はされていない。もしそういうことがあれば、立場が上の者が自制心をもって断るべきだと、TAには暗黙のうちに求められているのだった。
学生たちに如月を紹介し、彼が窓際のいちばん前の席に退いた後、私はこの授業の基本事項から話を始めた。予習の範囲や成績評価の方法などを説明する間も、数人の女子学生が如月に気を取られていた。彼のたたずまいは確かに、関心を持つなという方が難しい。椅子にゆったりと背を預けて、指の長い手は暇つぶしの本を支えている。昼過ぎの日差しを受け、赤みがかった髪が透けるような金に輝き、薄く開けた窓からの微風に揺れる。本の世界に入り込んでいるのか、教室内で起こっていることと自分の意識とを切り離しているようで、超然とした雰囲気さえ感じられる。周囲の男子学生の粗雑さにうんざりしている年頃の女性なら、心惹かれるのにも不思議はない。彼女らがあとで、予習が必要とは知らなかったとか、成績評価の説明を聞いていないとか言い出さないことを祈りながら、その日の講義内容へと授業を進めた。
今日はまだ前置きで、小説を読む上での予備知識として、アメリカ文学史におけるホーソーンの位置づけ、作品の歴史的背景、彼が暮らしたニューイングランドの自然環境について話す。金曜三限の、この授業が終わればあとは週末という気分のせいもあって、一部の学生の目元には、早くも眠たげな色が漂い始める。だが、受講生の熱が低いのは、時間帯だけが理由ではないのもわかっている。
英語の授業の基本方針は、二十年来変えていない。文法や語義等だけでなく、テクストの背景知識も必ず講義に含める。言語は、歴史と文化から成る巨大かつ精緻な構造の一部だからだ。就職して年数が浅い頃は、アメリカ合衆国への学生の関心は高く、教室内でも彼らが興味を持って講義を聞いているのが肌で感じ取れた。けれども、世紀の変わり目を迎えた頃から、若い世代のアメリカへの関心は薄れる一方となっている。試験範囲に入らない背景知識など、てんから聞く気のない学生が増える中、私は、下へ下へと動く坂道を黙々と上り続けるような心地で、毎年の講義を行っていた。
授業の後半、如月に声をかけてOHPの操作を任せ、ボストンとその近郊の風景をスクリーンに映した。一部の学生の目は、スクリーンではなく如月の一挙一動に向いていた。
講義後に学生たちが席を立つと、如月が言った。
「朝永先生。鍵を返したら、研究室に寄ってもいいですか。お話したいことがあるので」
「いいですよ。では後をよろしく」
教養部教室の建物から文学部に戻り、二階の廊下を研究室へ歩く途中、仏語教員の一人を見かけた。廊下の壁に大きなポスターを貼っている。
「おや、朝永先生。こんにちは」
私はポスターを
「こんにちは。シンポジウムの宣伝ですか」
「ええ。ポストモダニズムとヨーロッパのポップカルチャーのテーマで、今月末です。大物を二人ほど、なんとか講演者に確保できました」
ポスターには、このシンポジウムは一般公開で、仏文、独文、露文の三学科共催とあった。
「合同シンポは去年もやっていましたね。シリーズ化するんですか」
「もうそうなってますよ。二〇〇七年が初回だったんで、今年で三回目です。憶えてらっしゃらないってことは、ご関心がなかったんですね。残念です」
その年に起こったことは何一つ思い出したくなかったが、黙っていた。柳井は続けた。
「こっちは英語と違って、何もしなくても『お客さん』が集まる立場じゃないですからね。埋没しないように頑張らないと、学生がみんな中国語に流れちまいますから」
「英語だって、特にいい状況じゃないよ。人が来ると言っても、それがどんな英語なのかを考えるとね」
「それでも、英語なら仕事がなくなることはないでしょう。われわれとは全然違いますよ。先週の学部長会議の話、聞きましたか? 工学部が、第二外国語の必修を廃止して、選択制にしたいと言い出したそうですよ。そうなったら、工学部生の九割は喜んで履修をやめるでしょうね。理系の連中は本当に教養ってものを知らないですから」
「柳井さん、訂正して悪いけど、理系といっても自然科学系と工学系は、別の種族と言っていいくらい違う。一緒くたには語れないよ」
「そんなの、大して変わりゃしませんよ。どっちも英語が世界共通語だと思っているんですから。それより先生、このシンポ、聴きに来ませんか。最新の話題ばかりですし、ぼくもしゃべるんですよ」
「最近の文化研究の流れは追ってないから、こういうのは難しいな」
ポスターの彼の名前の横には、「バンド・デシネとサイバーパンク――内破するポストコロニアル時代の心象風景」という講演題目が印刷されている。
どんな話をするつもりなのか、皆目見当がつかなかった。
「朝永先生!」
声の方に顔を向けると、如月が廊下を大股に近づいてくるところだった。私たちを見て足を緩める。私といるのが誰か、気づいた様子だ。
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