第参話 市役所駅 ~伍~
出島を出ると、次に向かうのは
長崎電気軌道の5番系統に乗るため、まずは新地中華街の電停へと向かう。
スマホに24時間乗車券を準備し、電車を待つ。9分間隔で運転中とあったが、5分と待たずに次の電車が来た。
現れたのは、5000形で、赤い線がまるで歌舞伎の隈取りのようにも見える。車両は超低床電車、3両が連結されている。二人は乗り込むと早速前の方に行く。席は埋まっていて星路羅針は座れなかったが、旅寝駅夫は無事運転台後ろを陣取ることが出来て満足そうだ。
「これはマスコンだよな。」
駅夫は小声で羅針に聞いてくる。
「そうだな。正確にはワンハンドルマスコンって言うけどな。」
羅針は、更に新しい言葉を小声で教える。
駅夫は、はぁって顔をしていたが、すぐに電車が発車したので、正面を向く。
新地中華街を出発した電車は狭い通りをひたすらまっすぐ行く。すぐに右へそれる線路と分かれるが、この電車は更に真っ直ぐ進む。右へカーブすると、大きな交差点の手前で止まった。信号が変わり、電車が発車すると、先程とは打って変わって幅の広い通りに出た。右側には運河が見え隠れしている
メディカルセンターから大浦海岸通りの間は、道幅が広いためか、併走する車がスピードを上げてドンドン電車を追い越していく。
それを見ているだけで、慣れない羅針には恐怖を感じたが、正面を凝視している駅夫は、意にも介していないようだった。
大浦海岸通りの電停を出ると、電車は交差点で左折待ちをした。道路の真ん中から左折するのは、羅針にとって違和感と恐怖でしかなかった。左折待ちで左後方から直進車が吹っ飛んでいくのだから。
よく見ると正面の信号には、左折用信号らしきものがあり、おそらく路面電車専用信号機なのだろうが、今は消灯している。
直進車が止まり、前方の右折車がすべて捌けると、漸く正面の左折信号にオレンジの矢印が灯った。やはり路面電車専用信号機だった。
電車は、運転手の「発車します。」の声とともに、ゆっくりと交差点に進入していく。
この交差点から単線になっていて、新地中華街のあたりよりも更に幅の狭い道路に入っていった。
次の交差点の先に目的地である大浦天主堂電停があった。この停留所は一本の線路を挟んで対面ホームが設置されており、停車位置が斜向かいになっていて、停車位置の違いで進行方向を区別しているようだ。
運転手に、スマホの画面で表示した24時間乗車券を見せて、お礼を言って降りる。
後から降りてきた駅夫も運転手に礼を言って、電車の出発を見送っていた。
電車が出発すると駅夫が待ってましたとばかりに質問してきた。
1つ目はマスコンとワンハンドルマスコンの違いで、ワンハンドルマスコンはマスコンに含まれ、アクセルとブレーキが一本で操作できるようになっているものと、羅針は答える。
2つ目は電停と駅の違いについてだ。
電停とは、路面電車停留場の略で、駅の一種であり、併用軌道内に設置するものを指すこと。かつて停留場とは
3つ目はオレンジ色の矢印信号の事で、これは路面電車専用信号機であることを羅針は教え、さすがに自動車教習所で習ったはずだから、覚えてないとまずいぞと叱った。
「そんなの習ったっけ。全然覚えてないよ。」
駅夫がそう言うのも無理はない。なぜなら、彼らが住んでいる場所には路面電車など走っていないし、教習所に通っていたのは30年以上も前の話だ。それでも、羅針は駅夫が事故るのを心配し、ネットで検索した該当ページを見せてやる。
「ほらここにあるだろ、こう言うのだよ。」
「習ったような気もするけど、やっぱり記憶にないな。ごめん、ちゃんと覚えとくよ。」
駅夫は済まなそうに言った。
「ウチの近場には路面電車ないから良いけど、都内とか走ったら見かける可能性あるから、気をつけてくれよ。オレンジの矢印が点いたからって、交差点に進入すると、路面電車に潰されるからな。」
「了解。肝に銘じる。」
駅夫は羅針が言外にもの凄く自分を心配してくれているのを感じて、さすがにまずいと思ったのか、神妙な顔をしている。羅針も駅夫の顔を見て、それ以上咎めようとはしなかった。気持ちが伝わればそれで良いのだ。お互い分かりきっている。
「ほら、大浦天主堂に向かおうぜ。」
「ああ。」
羅針が努めて明るく促すと、駅夫も顔を上げて、羅針の後ろを付いていく。
グラバー通りに入り、坂を上がり始めると、路地から車が出てきたので、慌てて避けるとそこには〔ボウリング日本発祥地〕と赤字で書かれた石碑が、誰にも見向きもされず、薄汚れて、ひっそりと立っていた。出島では日本で始めてビリヤードがおこなわれたと言われていたが、さすが長崎、ボウリングも発祥だったようだ。
車を避けなければ気付くこともなかった石碑であるが、こんな石碑一つ取っても、長崎が西洋と深い関係にあったことを窺える。
更に坂を上り、土産物屋で賑わう通りを抜けると、白亜の教会が現れた。
「この辺で記念撮影しようか。」
羅針が誘うと、漸く笑顔を取り戻した駅夫も、いつも通り二人で自撮りをして、各々で一枚ずつ撮り合った。
入り口で拝観料を払い、中へと入る。〔教会見学時のマナー〕の立て看板があり、堂内は撮影禁止、脱帽すること、飲食、飲酒、喫煙の禁止、堂内は静かにするといったことが書かれていた。ここは観光地ではなく、まさに信仰の場であり、信者が祈りを捧げる場所なのだと、二人は改めて感じ、失礼のないようにしようと、身の引き締まる思いがした。
この大浦天主堂は、
豊臣秀吉の時代、
経緯は複雑且つ長くなるのだが、簡単に言うと、
それまで寛容だった秀吉は一変して、キリスト教の弾圧に舵を切り、大阪と京都において、信者二十四名を捕縛した。
キリストが処刑されたゴルゴタの丘に似ているという理由から、彼らは処刑場所を通常の刑場ではなく、ここ長崎の
大阪から長崎へ向かう道中のお世話係として付き添ったキリスト教徒二名も捕縛され、計二十六名が、1597年2月5日(
この殉教を知ったローマ教皇は後に彼らを列聖し、カトリック教会では彼らが処刑された2月5日を祝日にした。
この大浦天主堂は開国後、長崎に着任した神父の尽力によりフランス人の礼拝堂として、二十六聖殉教者が処刑された西坂の丘に向けて、1864年に建てられた。1953年国宝に指定され、2018年世界遺産(文化遺産)に登録された。
「なんか、そうして歴史を聞くと悲しいな。」
駅夫が、今にも涙を流しそうな潤んだ目で、羅針の説明を聞いていた。
「そうだな。外観のこの美しさの裏にはそんな歴史が刻まれていると思うと、悲しいな。秀吉も日本を守るために必死だっただろうし、殉教者も自分たちの信念のために処刑されたのだから、どっちが悪、どっちが正義ではないけれど、権力の行使は時として悲劇を生むその典型だろうな。」
羅針がそんな風に分析する。
「確かにな。でも俺としてはやっぱり民衆である殉教者たちに肩入れしてしまうな。」
駅夫がそう言う。
「それが自然だよ。何せ俺たちも民衆なんだから。結局、宗教を餌に植民地化を推し進めた西洋諸国と、それを阻止した日本幕府の間の攻防に、民衆が巻き込まれた形だからな。宗教自体が悪いんじゃない、それを利用した権力が悪いと俺は思う。民衆はあくまでも純粋に宗教を、キリストを信じただけだからな。
さあ、中を見学しようぜ。」
二人は外観の美しさに見とれつつも、ゆっくりと階段を上がった。
正面上部に〔天主堂〕と漢字で書かれているのが、西洋人である神父が殉教者たちを敬っていたことが窺えた。
入り口では〔日本之聖母〕が出迎えてくれた。その表情は、慈しみを湛えた優しさの中に、どこか憂いと悲しみを感じさせる。
カメラの電源を切り、スマホがマナーモードになってることを確認して、脱帽し、いよいよ堂内に入る。
堂内は映画などでよく見る教会の形状をしているが、どこか日本的な趣を感じられる。
しかし、参拝席の奥、真正面に鎮座する主祭壇は荘厳で、キリストが磔されているステンドグラスは、まさに殉教を尊ぶキリスト教の教えそのものだと二人は感じた。
美しいステンドグラスは、それぞれ聖書の一節を表しているのだろうが、教徒ではない二人にとって、その意味するところは分からない。もしかしたら、悲劇の場面であるのかも知れないと思うと、描かれている人物一人一人の表情に悲しみを見出してしまうほど、二人の目には、只の美しいステンドグラスには見えなくなっていた。
主祭壇の右奥にはバラの形をしたバラ窓と呼ばれるステンドグラスがあった。
元々、このステンドグラスは正面に取り付けられていたが、増築の際に移設したお陰で、原爆の被害を免れたとあり、ここでも時代の波に翻弄され生き延びたものの姿があったのだと、長崎が刻んできた長い歴史の一端を垣間見た思いだった。
日本二十六聖人殉教図や最後の晩餐、聖心像やマリア像など、すべてが素晴らしく、目を見張るものがあったが、すべてがどこか悲しみに包まれたように感じた。
堂内を一通り回り、外に出てきた二人は言葉がなかった。
素晴らしい意匠に心が奪われたこともそうだが、長崎という地が刻んできた歴史の重みをヒシヒシと感じていたのだ。
只悲劇を悲しんだのではない、歴史に翻弄された人々の思いのようなものに胸が詰まり、憂愁に苛まれていたのかもしれなかった。
言葉もないまま、二人は隣接されているキリシタン博物館に向かった。
博物館といっても、その建物は〔
二人は、旧羅典神学校から中に入った。
中には様々な展示物があり、大浦天主堂の創建当時の姿や、日本二十六聖人の経緯などが紹介され、隠れキリシタンの歴史、開国後の再布教の歴史へと、信仰の自由を勝ち取ってきた歴史が紹介されていた。
旧長崎大司教館は、西洋文化の紹介、長崎及び、日本におけるキリスト教の歴史を紹介していて、お土産物屋も併設されていた。
二人はじっくりと時間を掛けて資料の説明書きを読み、駅夫が理解できないところは羅針が解説し、羅針も理解できないところはスマホで検索した。
たっぷり1時間程掛けて、大浦天主堂と資料館を見学し終えた二人は、正門から出てきて後ろを振り返り、改めて大浦天主堂を眺めた。
先程と変わりない白亜の天主堂が聳えていたはずだが、二人には、只美しく見えていた天主堂が、哀傷を湛えているように感じた。
周囲には楽しそうに談笑する観光客の姿が多数見受けられたが、二人にはその談笑すら悲しみを湛えているように感じたのだった。
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