第参話 市役所駅 ~参~


 目的地である市役所駅、すなわち市役所電停に到着した二人は、これからの行動を決める必要がある。普通の鉄道駅なら、いつもの様に駅周辺地図を見ながら宿を決めて、行き当たりばったりの観光へと向かうことになるのだが、長崎は観光地が目白押しで、行き当たりばったりで行くには数が多すぎる。

 それを考慮してなのか、星路羅針がこれからの予定について、話を始めた。


「長崎はさすがに観光地が多すぎて、行き当たりばったりは難しいだろうから、一応行くべき場所はリストアップしておいたし、簡単なプランをいくつか立てておいたから。

 それと、宿は朝食付きのホテルで、ここから500mぐらい離れた場所にあるから、あとで荷物を預けることにしよう。

 それと、これはルールにも抵触することだから確認しておきたいけど、ルール通り今日一日で見られるだけ見て、明日には長崎を離れるか、それとも、もう一日時間を取って、明後日出発するかなんだけど、どうする?明後日と言うことになれば、足を伸ばして軍艦島クルーズにも行きたいと思ってるんだけど。」

「軍艦島か。なかなか行かれないんだろ。行ってみようぜ。どれぐらいかかるんだ。」

 旅寝駅夫が羅針の提案に同意し、所要時間を聞いた。

「往復2時間でプラス観光だから、半日はかかるだろうな。」

「半日か。了解。折角来たんだから、楽しまなきゃ、だろ。やりたいことやろうぜ。ルールは二の次だよ。」

「そうか。それなら、今から予約しちゃうな。」

 羅針が早速スマホで翌日の軍艦島上陸クルーズを予約する。


「これで良し。じゃ、まずは眼鏡橋めがねばしへ行こうぜ。ここから5分位らしいから。これからのスケジュールは歩きながらな。」

「了解。羅針に任せておくと、ホントに旅が楽だな。さすが本職だぜ。」

「本職って、ツアー会社にいたのはもう二十年以上も前の話だよ。今はしがないフリーターだからな。」

「そう言うなって。俺にとっては、お前がツアー会社の担当者なんだからよ。」

「このルーレット旅のか?」

「そうだよ。」

「まったく。なんか無理矢理押しつけられた感が拭えないが。報酬は高くつくからな。」

「デート1回な。」

「おい、なんかのRPGじゃないんだから、花売りの女の子となら最高だけど、おっさんとデートなんて報酬どころか債務だよ。」

「そうか?こんな色男捕まえて。」

「どこがだ!ほら、馬鹿なこと言ってないで、行くぞ、色ボケ男!」

「つれないなぁ、そう言って照れるところが羅針ちゃんの可愛いところなんだよな。」

 駅夫は科を作って羅針を上目遣いで見るが、羅針は駅夫を手で追い払うようにして、歩きだした。


 5分も歩かないうちに、有名な眼鏡橋が見えてきた。

 眼鏡橋とは、石造の二連アーチ橋で川面に映る姿が丁度眼鏡のように見えることからこう呼ばれていて、重要文化財に指定された橋である。興福寺こうふくじの2代目住職となった中国人の黙子如定もくすにょじょう僧侶が、中島川なかしまがわが氾濫するたびに橋が流されるのを見かねて、中国から石工を呼び寄せて、寛永かんえい11年(1634年)に架けられたとされる。


 眼鏡橋では観光客が何人か写真を撮ったりして、思い思いに楽しんでいた。

 二人も他の観光客の間隙を縫って、記念撮影をしたり、思い思いに撮影をしたりした。

「そうそう、近くにハート石があるんだけど、どこにあるか分かるか?」

 羅針がクイズのように駅夫に聞く。

「なんだよ、クイズかよ。ってかあそこに人集りができてるから、あそこだろ。」

 駅夫が、ぐるりと見渡して、一発で当ててしまった。


「なんだよ見つけるの早いよ、正解だよ。あのハート石を見つけると恋愛が成就するらしいぞ。」

「こんなのイージーだよ。ってお前やっぱり俺のことが……。」

 駅夫が色めきだつが、羅針は無視して話を続ける。

「イージーなら、ここに後19個あるから、全部見つけてみな。」

「まじで!あと19個もあんのかよ。無理ゲーじゃねぇか。って、あれもそうじゃね、あっちにものがあるし。」

 駅夫は更に2個を簡単に見つけてしまった。


「おっ、すげぇじゃん。あと17個な。」

「もういいよ。このハート石で記念撮影したら、次行こうぜ。次はホテル寄ってから中華街だろ。」

「そうだな。じゃ、報酬はなしってことで。」

「なんか、言いくるめられたような気がするけど、そしたら、お前の報酬も無しだからな。」

「いいよ、お前とのデートが報酬じゃ、マリアナ海溝よりも深い悔いが残るからな。」

「だから、そんなに照れなくても良いんだよ。」

「ほら、次行くぞ、次。」

 羅針は、呆れたようにそう言うと、ホテルに向けて歩き出した。


 元素記号のような名前がついたホテルは、中に入ると和モダンな雰囲気のある、素敵なロビーが広がっていた。フロントで予約した者だと伝え、荷物を預かって貰いたいのと、一日延泊したい旨を伝えたら、快く応じてくれた。

 用事を済ませた二人は、ホテルを後にすると、そのまま徒歩で新地しんち中華街へと向かう。


 昼時と言うこともあり、中華街は観光客と地元の会社員たちでごった返していた。

 食べ歩きにはもってこいの商品がそこかしこで売っていたが、まずはどこかで落ち着いて昼食を摂ろうと、比較的空いていた店に入る。

 様々な中華料理に混じって、ちゃんぽんと皿うどんの文字がメニューにあり、具だくさんの写真が食欲をそそったので、大盛りをそれぞれ頼み、二人でシェアすることにした。

 

 ちゃんぽんは、チェーン店で食べるものとは違い、具だくさんでスープも豚骨ではなく鳥出汁でさっぱりと頂いた。皿うどんもたっぷりの具材が乗っていて、揚げた麺のパリパリとした食感が、他にはない味わいで、二人してペロリと平らげてしまった。


 ちゃんぽんの語源は様々な説があるが、もっとも有力な説は中国語で様々な物を混ぜることを意味する〔ちゃん (chān)〕と、食物を油で炒めて調味料を入れ、すぐに火からおろして煮る料理法を意味する〔ぽん(pēng)〕を合わせて「攙烹ちゃんぽん」と呼んだというものだ。

 そして、このちゃんぽんを出前するために開発されたのが、汁を少なくした、焼きうどんのようなちゃんぽんで、時代が下り中国から堅焼き麺が伝わると、それに取って代わり、今の形になったという。


「って言うことは、ちゃんぽんも皿うどんも元は同じものだったのかよ。」

 ちゃんぽんの語源について質問した駅夫が、羅針の説明を聞いて、驚いたように言う。

「まぁそう言うことになるな。今ではもちろんまったくの別物だけどな。」

 羅針も調べてみて始めて知った事実に驚いた。


 二人は、店を後にし、羅針がどうしても寄りたいという店に向かう。

 羅針のお目当てはトンポーローである。

 漢字で書く東坡肉とんぽーろーは豚肉料理で、中国杭州こうしゅうの料理として有名である。皮付きの豚ばら肉を一度揚げるか茹でるかして余分な油を取り、醤油と酒と砂糖で煮含にふくめ、八角はっかく五香粉ごこうふんの香辛料を利かした料理である。

 日本では角煮として名が通っているものでもある。


 しかし、羅針が目指したのは、中華パンとか蒸し饅頭とか言われる、いわゆるマントウにこの東坡肉を挟んで食べる〔トンポーロー〕、すなわち角煮マンである。

 中華風の立派な門構えをしたかなりの高級店であったが、羅針は躊躇なく入っていく。席に通されると、羅針はすぐに角煮マンを二人分注文した。

 羅針は、いつも何かに夢中になると、周りが見えなくなるのか、猪突猛進に豹変する。駅夫はいつものことなので、また始まったかと諦めつつ、よほど食べたかったんだなと、高級店で角煮マンだけ注文するという暴挙に出た羅針を見守る。


 さすがに気が引けた駅夫は、ウエイトレスを呼び止め、紹興酒をグラスで頼んだ。氷砂糖はいるかと聞かれたが、以前、横浜中華街で紹興酒を飲んだ時に、氷砂糖を頼もうとして、羅針に烈火のごとく怒られたことを思い出し、遠慮した。

 羅針曰く、既に甘くなっている紹興酒に氷砂糖は邪道なんだそうだ。美味けりゃどうやって飲んでも良いだろうにと、駅夫は思ってはいるが、いつも駅夫の我が儘に付き合ってくれる羅針の数少ない我が儘は、できるだけ聞いてやることにしている。

 その上、特に中華関係は、羅針の逆鱗に触れる可能性が高いのだ。なぜなら、5年ほど北京に駐在していた羅針は、向こうで相当仕込まれたのだろう。こだわりが強いのだ。

 

 程なくして出てきたトンポーローに、早速羅針が舌鼓を打つ。

「これは美味い。確かに噂通りだ。……八角や五香粉の利きが少し日本人向けなのは致し方ないとしても、……そこら辺で売られているものとは一線を画すこの味は、確かに噂通りだ。……これならば中国人でも唸るわけだ。……これはいける。」

 羅針が一口食べるごとに唸っては、何かを念仏のようにしゃべっていた。


「確かに美味い中華マンだけど、そこまで唸るほどのものか。」

 駅夫が、一心不乱に貪り食っている羅針の異様な姿に、少し引いていた。

 甘辛い味付けの豚肉も、タレが染みたパンも、最高に美味く、香辛料が中華らしくて、確かにそこら辺のものとは違う気がするが、唸るほどのものとは、駅夫には思えなかった。


「すみません。角煮マンをもう一つお願いします。」

 羅針が、食べ終わるや否やウエイトレスに追加注文している。いつもなら気を遣って駅夫もいるかどうか聞いてくるのだが、そんな余裕はないようだ。

「ああ、すみません、もう一つお願いします。」

 駅夫も慌てて、追加注文した。


 次がくる間、駅夫は紹興酒を口に含む。度数の高い中国酒は、あまり酒に強くない駅夫にとっては喉が焼けるような気がするのだが、この紹興酒だけは甘みを感じられる分、カクテルのように飲めるのだ。

 羅針は、こんなに度数の高い酒でも平気で飲むような奴なので、彼にとってはこの甘さが鼻につくのかも知れない。そう言えば、昔、日本には甘くない紹興酒が流通していないって嘆いていたっけ。そんな物があるのかどうか駅夫は知らないが、羅針が言うのだから中国にはあるのだろ。その味が忘れられずに、氷砂糖を入れて更に甘くする紹興酒の飲み方に、怒りが湧いてくるのかも知れない、と駅夫は思った。只、羅針のお陰で、本来の紹興酒の味を楽しめているのかも知れないと、今では駅夫も納得している。


 角煮マンを二つ食べ、紹興酒を飲み干した羅針は、すっかり落ち着いて、いつもの穏やかな表情に戻っていた。

「ここのトンポーローは、本場の味に近くて、最高だったよ。どうだ?」

 羅針が、満足そうに駅夫に言う。

「ああ、確かに美味かったな。香辛料が利きすぎてないのも、慣れない俺のような人間にとっても食べやすかったし。」

 駅夫もそう返す。

「だろ。ここは当たりだよ。中国人のSNSで見て、どうしても来たかったんだよ。まさかここまでとは思わなかったけどな。」

 羅針は、先程までとは打って変わって穏やかな表情をして、満足げだった。

 美味い角煮マンに満足した二人は、店員に礼を言って、店を後にした。

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