第参話 市役所駅 ~弐~
武雄温泉駅での乗り換えはスムースだった。
なにせ、目の前に止まっている新幹線の扉に真っ直ぐ向かうだけだから。
新幹線に乗り込むと、東海道新幹線と同じ形をしているはずなのに、どこか九州らしいと言うか、和洋折衷な感じで、なにか別の型式のような気がするのは、やはり内外装のデザインが水戸岡鋭治さんによるものだからであろう。
座席は山吹色のモケット仕様で、リレーかもめ同様、座り心地も良い。
乗り換え時間は3分程あったが、あっという間に出発した感じがした。昨日名鉄一宮駅で乗り換えた時、発車するまでの3分間がもの凄く長く感じたが、気持ちの持ちよう一つで、感じ方がこんなにも変わるのかと、羅針は改めて実感した。
乗車時間は約25分で、途中停車駅は
滑り出すように発車した列車は、高架線をひたすら長崎へと向けて走り始めた。
「あのさ、なんでこの新幹線は博多から直接伸びてないんだ。」
旅寝駅夫がトンネルばかりの車窓に飽きたのか、そんなことを聞いてきた。
「ああ、それね。まあ、色々あるんだけど、要は佐賀県が反対してるからだな。」
星路羅針がそう応える。
「なんで反対してるんだ。だって、新幹線が出来れば便利になるじゃん。反対する理由なんてないと思うんだけど。」
駅夫が理解できないという表情で聞いてくる。
「確かに新幹線自体は便利なんだけど、新幹線が出来ることで不便になるところが出てくるんだよ。
例えばこの西九州新幹線で言えば、博多から長崎に行くのは、今まで長崎本線という在来線で行ったり来たりしていたわけだ。そこには、このかもめの名を冠した特急かもめを始めとした、優等列車が多数運行されていたんだ。
ところが、新幹線が通ったことで、その優等列車がすべて廃止される上、第三セクターと言って、JRの管轄ではない官民一体の企業が運営することになるんだが、その第三セクターが、JRのように他の黒字路線から赤字を補填することができなくなるため、運賃が上がったり、列車本数が減ったりと、利用者の利便性が下がることが常なんだよ。」
この羅針の説明に、理解はしたが納得していない顔を駅夫はしていた。
「でもさ、第三セクターになっても、普通から特急に乗り換えるように、第三セクターから新幹線に乗り換える、で問題なくなるんじゃね。」
「確かにな。ただ、佐賀県が反対してるのは、それだけじゃないんだ。トンネル効果とかバイパス効果とか言われる、要は観光客が通過してしまうことによる経済的損失を懸念しているというのも一つだな。それと、これはホントかどうかは疑わしいけど、諫早湾の干拓事業で長崎と佐賀がいがみ合っているというのも、一因だと言われているね。」
「なるほどね。要は足の引っ張り合いをしているって訳か。大人げないな。
俺からすれば、魅力のある場所だったら、観光客は自然と訪れるし、別に新幹線だろうが何だろうが、来たければ、どんな手段でも来てくれるじゃん。何を文句言ってるんだろって思ったわけ。まあ、いがみ合って、足の引っ張り合いをしてるんじゃ、当分どころか、永遠に解決しないな。」
駅夫が呆れたように言う。
「まあな。それぞれ言い分はあるし、その理由ももっともだし、その立場に立てば相手は悪の権化に見えるけど、それはお互い様だからな。そのうち良い解決案が出てくればとは思うけどな。」
「そうか。俺たち部外者からすれば、繋げれば良いのにって簡単な話だけど、当事者にとっては生きるか死ぬかのプライドなんだな。」
羅針の説明に、駅夫はそう言って納得したような顔をした。
「でもさ、それなら、秋田新幹線とか山形新幹線みたく在来線に新幹線通せば良いんじゃね。」
駅夫が良いことを思いついたとでも言うような顔になる。
「まあ、普通そう思うよな。それも、もめている原因の一つなんだよ。
まず、在来線と新幹線は線路の幅か違うって言うのは知ってるよな。」
「ああ、この前お前に教わったからな。新幹線が速く走れるのは、在来線よりも線路の幅が広いから安定するんだって話だろ。」
「そうそれ。じゃ、新幹線の車両が在来線に乗り入れる時に一番考慮しなきゃ行けないポイントは何だと思う。」
「そりゃ、線路幅だって言いたいんだろ。」
「まあ、そうだな。その線路幅の問題を解決するために、フリーゲージ構想って言うのをJRと国がぶち上げたんだ。要は車輪の幅を自由に動かせるようにしようって、500億円の予算を掛けて研究開発をおこなったんだけど……。」
「失敗したのか。」
「そう。失敗も失敗、大失敗。高速路線では成功していた車両が、在来線を通した途端踏切が作動しなくて、計画自体がおじゃんになったんだ。」
「なんでそんなことになったんだ。」
「要は、踏切を作動させるためには車輪に電気を通さないといけないんだけど、フリーゲージの車両は車輪が特殊だったために、その必要な電気を流すことが出来なかったんだよ。」
「まじで。頭いい人も案外馬鹿なことやるんだな。どんな仕組みなのかはよく分からないけど、そんなの基本中の基本の話なんだろ、そんなの最初に分かりそうなもんだけど。」
「それが分からなかったんだろうな。開発ありきだったのか、体質だったのか、その辺は知る由もないけど。結局それで、在来線を通すって話はなくなって、フル規格、つまり、今乗ってるこの形の新幹線を通すってことになったんだ。」
「じゃ、秋田とか山形はどうしてるんだ。あそこだって、在来線は線路幅が狭かったんだろ。」
「あそこは、全部線路を敷き直したんだよ。特殊な車両を開発するぐらいなら、線路敷いちゃった方が早いじゃん、って言ったかどうかは知らないけど、要はそう言うことだな。」
「なるほどね。じゃ、ここも線路敷き直しちゃえば、新幹線の車両を通せるんじゃないの。」
「それがそうもいかないんだろうな。線路敷き直すにはお金がかかる。線路幅が変われば、在来線の車両全部の車輪を交換しなきゃならないし、その上線路設備、保安設備も新しい物にしなければならない。フル規格で通すよりは安いかも知れないけど、もし、トントンになってしまったら、スピードが出せない分費用対効果は著しく減少するから、メリットがないって話になる。」
「なるほどね。結局プライドとコストが絡み合ってるってことか。500億円も無駄遣いしちゃったら、そりゃ
「確かにな。利用客がこれからドンドン増えれば良いけど、結局少子高齢化問題があるから、それも見込めずに、小手先だけの解決を図ろうとしてドツボに嵌まってるんだろうからな。」
「俺たち今回は長崎に行くことになったから、面倒くさいって感じるけど、佐賀に行くことになってたら、印象も違ったのかも知れないからな。一概にどうだって話にできないことは良く分かったよ。やっぱり羅針に話を聞くのが一番分かりやすいな。ありがと。」
「どういためしまして。」
「それ、さっきも言ってただろ。なんだよそのいためしましてって。……あっ、いためしってイタリア飯のことか。只の捩りかよ。ずっと考えてたんだよ、何の意味があるのかって。お前のことだから、外国語なのかとも思ったりしたけど、ネットで調べても出てこないし。なんだよ、そう言うことか。」
「意味なんかないよ、どういたしましてって意味以外はね。」
羅針はそう言って笑った。
そんな話をしているうちに、長崎到着の放送がかかった。
二人は、降りる準備をした。
長いトンネルを抜けると、車窓には斜面にへばり付くように建物が所狭しと建っていた。それが見えたら、列車は長崎駅の13番ホームへと滑り込んでいった。
話し込んでいたせいもあり、25分の乗車時間はあっという間だった。
出来てからまだ日の浅い真新しい駅は、どこもピカピカで、眩しく輝いていた。この長崎駅は新幹線開業に伴い、旧駅舎を取り壊し、新しく駅舎を造り直したのだった。そのため出来てからまだ5年も経っていないのだ。
改札口に向かい、外に出ると、目の前に〔かもめ市場〕と言う商業施設が現れた。相当盛況なのか、観光客で賑わっている。
「羅針、ここ寄らないのか?」
駅夫が物欲しそうに眺めている。
「ダメ。ってことはないけど、取り敢えず目的地に行ってからな。それに行くなら帰りだな。また長崎駅に戻ってくるんだし。」
「分かった。じゃ、仕方ないな。」
羅針の言葉に納得した駅夫は、諦めてついてくる。
「あっ、そうそう、今から路面電車に乗るから、さっき予約した一日乗車券準備しておいてくれよ。」
羅針は、新幹線の中で長崎電気軌道の24時間乗車券というのがあるのを知り、アプリを入れて、購入しておいたのだ。駅夫が目を覚まして復活した後、彼にも申し込みをさせておいた。
「了解。」
二人はかもめ口から駅舎を出てきた。
長崎は、今日も雨ではなく晴れ渡っていた。汗ばむぐらいの陽射しが、肌に痛い。
駅前はロータリーの工事をしていて、工事の音があちこちから響いていた。それを横目にまっすぐ行くと、路面電車の長崎駅前電停が現れる。
横断歩道を探すが見当たらず、ペデストリアンデッキ経由でないとホームに降りられないため、二人は階段を上がり、漸くホームへと降りることができた。
この旅2社目の私鉄である路面電車は、
1914年8月2日に設立し、1915年11月16日に、病院下(現在の大学病院)から
戦後の一時期はバスも運用していたが、現在は長崎自動車に事業を譲渡している。
二人は電停のホームで、
到着したのは随分レトロな車両、300形だった。下が緑、上が薄黄色ともクリーム色とも言えるツートンカラーがまたレトロ感を醸し出している。
車内に乗り込むと、これまたレトロ感が前面に出てくる固めのロングシートに、年季の入った吊革、都内ではほぼ見なくなった中吊り広告も、二人にとっては郷愁をそそるものでしかなかった。
駅夫は例のごとく運転席の後ろに陣取り、前面展望を楽しむつもりである。羅針はその側でシートに座った。
「羅針、このマスコン、昨日見てたのとは全然違って、レトロ感満載だな。こういうのが良いんだよな。」
駅夫が昨日覚えたばかりの言葉を使って、感動を伝えてくる。
「それ、マスコンじゃなくてダイコンな。機能は同じだけど、仕組みが違うから、名前が異なるんだ。」
羅針が、初心者に対して容赦なく指摘する。
「大根?あの白い大根と同じ名前か?なんか美味そうな名前だな。」
駅夫が混乱している。
「そうじゃなくて、昨日のはマスコンでマスターコントローラーの略、それはダイコンと言って、ダイレクトコントローラーの略だよ。例えば車のオートマとマニュアルを想像してみ。車を走らせるという意味の機能は同じだけど、仕組みはもちろん操作もまったく違うだろ。マスコンと、ダイコンもそれぐらい違いがあるってこと。だから、ダイコンは操作が相当大変らしいよ。」
「へぇ、じゃこれを操作するのは、プロの技術が求められるって訳か。」
駅夫が感心しているその向こうで、運転手が照れ笑いをしていた。
扉が閉まると、運転手の「発車します」の声とともに、ゆっくりと電車は走り出した。駅前の交差点をすぐに左へ曲がる。対向の自動車とすれ違いながら走る様は、あまり体験したことがないので、奇妙な違和感を抱いたが、加速が始まると安定した走りになり、すぐ慣れてしまった。
すぐに最初の電停である
しかしドアが開かない。ふと前を見ると、赤信号で停車していたのだ。路面電車は車の信号に従わなければいけないのかと、羅針は改めて思い出した。
信号が変わり、電車がすぐに電停に進入して止まった。
乗客が乗ってくると、すぐに発車した。
この次が目的地の市役所駅である。桜町を出るとすぐにトンネルのような所を潜る。これ実は市営の駐車場なのだが、車内から見ている二人にとってはトンネルにしか見えなかった。
トンネルを過ぎると、もう間もなく市役所電停である。
二人はスマホに一日乗車券を表示して、降車する。
「運転頑張ってください。ありがとうございます。」
駅夫が降り際に、運転手にお礼を言った。
「ありがとうございます。良いご旅行を。」
運転手は気さくに優しい笑顔でそう返してくれた。
駅夫は嬉しそうに、降車してくると、電車が発車するまで見送っていた。発車する時運転手は駅夫に会釈をしていった。
「あのさ、運転手さんの左手にあったのはダイコンって言うのは覚えたけど、右手で操作してたのはなんだ?昨日の電車にはあんなのなかったぞ。」
「あれは、ブレーキだよ。昨日の列車はマスコン一つでアクセルとブレーキが共用されているけど、さっきの電車はダイコンとブレーキが別になっているんだよ。」
「じゃ、ますます運転が大変じゃん。あんな難しい操作しながら、車の間を走るんだから、集中力は半端ないな。」
「なんだ、それで気を遣って車内で聞いてこなかったのか。」
「まあね。プロだから、そんなことぐらいで注意力散漫になったりはしないだろうけど、わざわざそんなことする必要はないだろ。」
「たしかにな。」
駅夫の疑問が解決したところで、二人は次の行動をどうするか決める。
その前に、駅名標の前で記念撮影である。例のごとく自撮りモードで二人一緒に撮り、それぞれ一人ずつでも撮る。
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