第弐話 国府宮駅 ~弐~


 定刻通りに米原経由姫路行き新快速は近江塩津駅を出発した。

 左へ大きくカーブするとすぐにトンネルへと突入する。

 旅寝駅夫はかぶりつきの位置で前面展望を楽しんでいる。星路羅針はそれを後ろから座席に座って見ていた。

 

「ここから、単線なんだな。」

 羅針がタブレットを取り出して小説の続きを読もうかとバッグに手を伸ばした時に、駅夫が羅針に向かって言ってきた。

「いいや、複線だよ。さっきの近江塩津から敦賀方面は単線だけど、ここは複線のはずだよ。ほら、右下を見てみろよ、崖の下に線路が走ってるだろ。次の余呉よご駅あたりから平地に出るから、あの線路が合流するはずだよ。」

 少し離れたところを走る対向線を指して、羅針が教えてやる。

「あっほんとだ。複線て言うのは隣に走ってるものだと思ってたけど、上下で走る位置が違うこともあるんだな。」

 駅夫は、良いこと知ったと言わんばかりの表情で、再び前を向いて前面展望にかぶりついた。


 羅針の言うとおり、長いトンネルを抜け、右側に線路が見えてくると、余呉駅到着のアナウンスがかかった。

 そこからは、ほぼ真っ直ぐの線路が、上下線併走して田園地帯の中を抜けていく。しかし、昨日乗った湖西線とは違い、高架線ではなく、内陸を通っているためか、琵琶湖を車窓から見ることはできなかった。


 駅を過ぎるたびに、地元の人々が少しずつ乗り込んできて、長浜ながはま駅では観光客も混じって来たため、かなりの人が立っていた。

 羅針が二人の荷物を邪魔にならないように足元に寄せ直して、ふと顔を上げると、駅夫の隣には小学生の男の子が一緒にかぶりついて前方を見ていた。その姿は後ろから見ると、まるで祖父と孫である。


 長浜を出ると右奥に琵琶湖がチラリと見えてきた。少し距離があるのか、湖面がキラキラ光っていなければ琵琶湖とは認識できなかったかも知れない。

 米原駅が近づくと、キンコンキンコンという警告音が車内に鳴り響いた。

 駅夫が驚いて振り返り、目線で羅針に説明を求めたが、混み合ってる中で大声で説明するのははばかられるので、もったい付けるほどの話ではないが、「後で」と言って前を向かせる。


「この後ホーム上にて一度列車が止まります。止まりましても列車を繋ぐ作業が終わるまで、列車のドアは開きませんので、お降りのお客様はお支度をしてお待ちください。」

 車内放送が流れ、列車はゆっくりと米原駅へと近づいていく。ポイントを超えるガタンガタンと言う車輪の音が何度も響き渡り、ホームに入線しても、キンコンキンコンという警告音はまだけたたましく鳴っていた。

 列車は前に停車している列車に後数メートルと言うところまで近づいて止まった。


「ただいまから列車を繋ぎます。揺れますのでご注意ください。」

 車内放送が入ると、ホーム上に今朝近江今津駅で見たような赤と緑の手旗を持った駅員が緑の旗を振り始めた。すると、列車はすぅーと音もなく前の列車に近づき、ガチャリと言う音がしただけで、ほぼ振動なく連結作業が終わった。


 扉が開き、乗客が降車していくと、駅夫も自分の荷物を取りに来て、二人して降車した。

「今の運転手すげぇな。手元を見てたけどハンドルを一瞬動かしただけで、あの距離を縮めたんだぜ。それもピッタリと。」

 駅夫がホームに降りると興奮したように捲し立てている。

「確かに凄かったな。普通ならもっと振動が起こっても良いはずなのに、連結したとは思えないマスコン捌きだったな。ちなみにあのハンドルはマスコンって言うからな。」

 羅針は、駅夫の言葉を訂正しつつも、運転手の技術には心底感心した。

「そうそう、さっきのキンコンキンコンという警告音は、あれは何だったんだ。めっちゃビビったんだけど。」

 駅夫はさっきからずっと気になっていたのだろう。

「やっぱりあれのこと聞きたかったのか。あれはATSの警告音だよ。ATSっていうのはAutomatic Train Stopの略で、日本語では自動列車停止装置っていう、いわゆる安全装置だな。色んな種類があって、仕組みもそれぞれ違うんだけど、基本的には前に列車がいたり、終端に入線する時、それから速度超過なんかがあると、ああやって警告音が鳴り響いたり、運転手の動作に関係なく自動的にブレーキがかかるようになっていたりするんだ。」

「へぇ。良く出来てるんだな。でも、以前スピードの出し過ぎで脱線して大勢が犠牲になったって事故があったじゃん。あの時はこの装置が働かなかったのか。故障してたとか。」

「いや、あれは、この装置自体がなかったんだ。いや、なかったというより、車両に付いていた最新式のものが、線路側で対応していなかったみたいだな。速度の設定値も危険な状態だったらしいし。まああの事故は他にも色んなことが複合的に絡み合ってるから、一概にATSのせいだけではないんだけど、ちゃんと作動してれば、あんな痛ましい事故にはならなかっただろうな。」

「そうなんだ。まあどんなに良い機械があってもそれを扱うのは人間だってことだよな。人間がしっかり運用しないと、どんな良い物も宝の持ち腐れってことになるからな。」

「まったくだ。さっきの運転手みたいに、技術が飛び抜けている運転手ばかりじゃないから、いろんな安全装置が開発されてきたんだけど、それでも事故は起こる。俺たちが安全に旅行できるのは、運用してくれている人たちが安全に対して神経を尖らせてくれているからだからな。感謝して乗らないとな。」

「お前の言うとおりだ。ありがたい話だよな。」

「さて、ありがたい話をしたところで、次は8番線に移動な。東海道本線で大垣おおがき駅に向かうから。」

「了解。」

 二人は乗り換えするため跨線橋に向かって歩き始めた。


 米原駅は新幹線も停車するかなり大きな駅で、階段を上ってくると、そこは橋上駅舎になっていた。かなり綺麗で、出来てからまだ新しいことが窺える。

 コンコースを抜けて、8番線に降りてきた二人は、一番前へと向かう。

 次の列車は大垣行きの普通列車で、約10分後の11時丁度発である。

 車内は冷房が効いていたので感じなかったが、ホームに立っていると、それだけでじわりと汗ばんでくる。


 漸く大垣行きの列車、313系が到着する。

 JR東海と言えばこの顔とも言える車両が入線してきた。二人は乗車すると、羅針は一番前の席へ、駅夫は羅針に荷物を預け、前面展望かぶりつきの位置を陣取る。

 今度も定刻通り出発した列車は、大垣へと向けて走り出した。山間やまあいを抜けて、トンネルを潜り、緑豊かな沿線を掻き分けるように進んでいった。

 列車が田園地帯を走るようになり、かの有名な関ヶ原駅を出発した頃、途中知り合いを見つけた女性が大きな声で、「あんたこんなとこにいたの。」と騒ぎ始めた。しかし、天下分け目の令和のいくさが勃発とはならず、女性たちのケタケタ笑う声が車内に響いていただけだった。

 列車は平和的に、何事もなく大垣に到着した。


 列車の到着番線は1番線で、乗り換える次の列車は、島が異なる5番線ホームから出る。東海道本線新快速豊橋とよはし行きの出発時間までは8分しかないが、跨線橋を越えるだけなので、慌てるほどではない。

 無事に乗り換えを済ませた二人は相変わらず、羅針は一番前の席、駅夫はまた羅針に荷物を預けて、前面展望のかぶりつきに行った。しかしそこには既に小学生の男の子が陣取っていて、仕方なくその後ろに陣取った。

 本当に孫に場所を譲ってあげてる祖父そのものである。


 二人がそれぞれの場所に陣取ったところで、間もなく列車は出発した。

 この新快速、名前は新快速と付いているが、二人が降りる駅、尾張一宮おわりいちのみや駅までに一駅しか通過しない、ほぼ各駅停車である。


 大垣を出ると、先程まで所々車窓に広がっていた田園風景がなくなり、一挙に住宅街が広がって景色が様変わりした。

 揖斐いび川を渡り、長良ながら川を渡り、途中の駅では、時刻がそろそろお昼になるせいなのか、乗ってくる人も多く、車内はかなり混雑してきた。

 岐阜ぎふ駅を出ると、線路は右に大きく曲がり、木曽きそ川を越えると、目的地の尾張一宮駅はもうすぐである。

 

 大垣から約20分で到着した尾張一宮駅は、2面4線の高架駅で、名鉄一宮めいてついちのみや駅と並んでいたが、乗り換え時間は8分しかないので、できるだけ急ぐ。

 一階に降りて、改札を抜け、コンコースを通り、名鉄の改札口を潜り、ホームへと上がる。こちらのホームも2面4線で、もちろん高架駅である。ただ、JRと違ってこちらは駅全体が完全に屋根で覆われていた。

 実はこれ、屋根ではなく駐車場なのだが、下からしか見ていない二人には気づくはずもない事実であった。


 この旅初めての私鉄である名鉄めいてつは、正式名称を名古屋鉄道なごやてつどう株式会社と言い、愛知県、岐阜県を基盤とする鉄道会社で、民営鉄道としては3番目に古い歴史を持ち、総営業距離もJRを除く私鉄としては第三位の距離を誇る企業である。

 〔名鉄スカーレット〕と言われる独自の赤い塗装は、名鉄車両の代名詞である〔赤〕をイメージづける色として、1970年代頃から全車に導入されたらしい。


 二人は4番線に上がり、次の列車、名鉄名古屋本線普通須ヶ口すかぐち行きを待つ。目的地である国府宮駅は、この列車であと3駅である。 

 程なくして3500系の車両が現れ、二人は先頭車両に乗り込む。そして駅夫は定位置である前面展望かぶりつきができる席へ、羅針はその隣に座った。

 発車時刻まではまだ3分ほどあった。


「まだ、発車しないのか。」

 やがてしびれを切らした駅夫が聞いてきた。

「あと1分な。」

 優等の待ち合わせか退避をするのだろうと羅針は考えていたが、待てど暮らせど隣のホームを通過する列車も、停車する列車もなかったので、単なる時間調整かと思ったが、それにしては長すぎる時間調整に、これが良く聞く名鉄の洗礼の一つなのかもと思った。

 意味不明のまま、漸く普通須ヶ口行きは発車のベルとともに、何事もなかったかのように、名鉄一宮駅を後にした。


 車窓は住宅街の中に田畑が広がる、いや田畑の中に住宅街が広がっているのか、とにかく田畑と住宅が混在したような風景が広がっていた。

 妙興寺みょうこうじ駅を出ると線路は地上に降りて、上下線でホームが対面していない奇妙な島氏永しまうじなが駅を出たら、いよいよ目的地の国府宮駅である。

 近江今津駅を出てから、約3時間の移動は終わりを告げた。


 国府宮駅で降車した二人は、ホームで両手を挙げて伸びをした。

「長かったな。」

 羅針が疲れた様な声でそう言うと。

「そうか?もっと乗っていたかったけど。」

 駅夫はまだ元気いっぱいだった。

「お前子供みたいに楽しそうだったもんな。途中男の子と二人して並んでるのなんか、祖父と孫みたいだったぞ。」

「そうか?夢中になってる子供は邪魔したらかわいそうだからな。優しい目で見てしまうだよ。」

「いや、そうじゃなくて、一緒になって楽しんでるって感じだったな。そうか、正確には祖父と孫じゃなく、小学校をやり直してる老人とその友人か。」

「なんだと。」

「違うか?」

「グヌヌ。」

「おっ、また出たなグヌヌ。」

 羅針が笑うと、駅夫は悔しそうにしながらも、つられて笑いだした。


「冗談はこれぐらいにして、取り敢えず飯にしようぜ、腹減ったよ。観光はそれからだ。宿も決めないとな。」

 羅針が話題を変える。

「まったく、人を散々からかうだけからかって。それかよ。飯にするのは賛成するが。でも、その前に駅名標で記念撮影な。」

「おう。そうだな。忘れるところだった。」

 駅名標の下に立って、それぞれ一人ずつ撮った後、二人一緒に自撮りモードで撮った後、二人は改札口へ向かって歩き出した。

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