第弐話 国府宮駅 (愛知県)

第弐話 国府宮駅 ~壱~


 星路羅針は6時過ぎに目が覚めた。

 普段からこのぐらいに目が覚めているので、別段旅行先だからと言う訳ではない。ただ、昨日の石段が利いたのか、足が少し重く感じる。痛みはまだないが、おそらく明日ぐらいには出るのだろう。気休め程度に、足をマッサージする。


 羅針がゴソゴソやっていると、旅寝駅夫が目を覚ました。

「もう、朝か。」

「おはよう。6時半だよ。」

「相変わらず早いな。」

「早起きは三文の得だからな。」

「三文しか得しないんだったら、俺は睡眠を選ぶがな。」

「毎日三文得したら、1年で1095文の得だぞ。」

「随分細かいな。それに1095文って言われてもピンとこないよ。今のお金でいくらぐらいだ。」

「物価の違いとか、換算方法が色々あるから一概には言えないけど、約3万円だな。」

「1年で3万か。まあないよりはマシ程度だな。じゃ寝る。」

「おいおい、朝風呂するんじゃなかったのか。朝食は7時からだから、それまでに入ってこいよ。」

「おう。忘れるところだった。」

 漸く駅夫はゴソゴソと起き出して、眠そうな顔で着替えを持って風呂へと向かった。


 羅針は二人分の布団をたたんで、ノーパソを開いて昨日撮影した写真のデータをハードディスクに移しながら、昨日のことをワープロソフトに纏めていく。

 そうこうしているうちに、駅夫が風呂から上がってきたので、一緒に朝食へ行くことにする。


 昨日と同じ宴会場には、すでに朝食が用意されていた。白飯と焼きジャケ、冷や奴、それに生卵と味付けのりという定番のメニューに、和風ポテトサラダ、焼き茄子の煮浸し、それにサヤエンドウの和え物と漬物が付いていた。

 そして二人のテンションが爆上がりになったのは、味噌汁に入っていた丁字麩だ。

「この宿は、俺たちを朝から腑抜けにさせる気か?」

「まったくだ。こんな美味いものを朝から喰わされたら、今日一日何もできないぞ。」

 二人はそんな冗談を言って笑う。

 いつもなら朝食を抜いてしまうこともある二人は、ご飯をおかわりしてまで、たっぷりと堪能した。

 

 朝食を済ませて、部屋に戻り、荷物をまとめたり、部屋を片付けたりしていたら、そろそろ、9時近くになったので、宿をチェックアウトした。

 女将さんが、わざわざ玄関先まで見送りに来てくれたので、素敵な宿と美味しい料理、特に丁字麩に嵌まってしまったことを伝えた。女将さんは大いに喜んでくれて、

「おおきに、次お越しになる時は、丁字麩を山ほどご用意させていただきますわ。」

 なんて冗談を言われた。

「では、何にも食べないで、腹を空かして来ないと行けませんね。」

 そんな風に駅夫が冗談で返し、皆で大いに笑った。

 女将さんに感謝と別れを述べて、宿を後にし、駅へと向かう。


 今日も天気は良く、駅へ移動しただけで少し汗ばむぐらいだった。

 駅のホームに上がって、暫く列車を待っていると、けたたましい警告音とともに、接近放送が流れた。

 この駅で切り離し作業をおこなってから出発するらしく、駅員さんに確認すると、列車が出るのは切り離しが終わってからなので、作業を見学することは可能だと言う。

「こういうの、なんかワクワクするな。」

 駅夫が楽しそうに、目をキラキラさせていた。

「ただ、列車が切り離されるだけなのに、何だろうなこのワクワク感。」

 羅針も駅夫同様目が輝いていた。


 やがて、競走馬のブリンカーをしたような223系が現れた。入線してきた列車が所定の位置で停車すると、4両目と5両目の間で駅員が慌ただしく確認作業を始め、後ろの車両には清掃員が入っていき、車内清掃を始めた。

 構内アナウンスは、この先へ行く人に対し前4両に移動するようにということと、JRバスの乗り換え案内を伝えていた。

 それと、どこからしているのか自動音声で「ここは車両連結部です。ご注意ください。」と女性の声が繰り返し流されていた。

 プシューと言うエアー音とともに、ガチャリと連結器が外れる音がすると、駅員さんがホームに備え付けの緑と赤の手旗を手に取って、後方に合図を送っていた。

 まずは赤い旗を掲げ、その後で緑の旗を振り始めると、後ろの車両がゆっくりと5m程バックをし、駅員が緑の旗を背中に隠すようにして振るのを止めると、列車は止まった。


 正味3分程の作業だったが、滅多に見られる光景ではないので、二人とも子供のように見入っていた。

 敦賀行きが間もなく発車すると構内アナウンスがかかり、二人は慌てて列車に乗り込んだ。車内は日曜日にもかかわらず、さほど混んではいなかった。

 

 座席に着くと、発車のベルもなく出発した。

「なんかさ、発車のベルなかったよね。まるで猫みたいな駅だな。」

 駅夫が突然変なことを言い出す。

「なんでよ。」

 また馬鹿なことを言い始めたと思い、羅針がその理由を聞いた。

「接近放送の時はけたたましく警告音が鳴ってたけど、発車の時はなんにも鳴らないなんて、近寄ってくるやつには声を上げて威嚇して、立ち去るやつには知らん顔する猫みたいだと思わないか。」

 駅夫は至って真剣に答えてきた。 

「言われてみれば、確かにそういう猫っているけど、猫みたいな駅って初めて聞いたよ。」

 駅夫の案外まともな回答に、羅針も面食らったが、言ってることは謎理論であることに変わりはないので、羅針の頭からクエスチョンは取れなかった。

「そうか?言い得てると思ったんだけどな。」

 駅夫は不服そうに言って、窓の外を眺めていた。


 列車は暫く真っ直ぐな線路をひたすら北上していたが、近江中庄おうみなかしょう駅を出ると、右へ大きくカーブしてマキノ駅へと到着する。

 ここまでは右手に琵琶湖が見え隠れしていたが、マキノ駅を出ると、すぐに山間部へと差し掛かり、琵琶湖は見えなくなってしまった。

 車窓が法面ばかりになって来たため、退屈になった駅夫が、羅針の読んでいるタブレットを覗き込んだ。

「何読んでるんだ。」

「小説だよ。」

 羅針は、最近話題になって、アニメ化もされた、近年流行はやりの異世界転生ものである原作小説の題名を告げた。

「お前そんなのも読むんだな。俺はてっきり、夏目漱石とか芥川龍之介とかお堅いのを読んでるのかと思った。」

 駅夫が、羅針らしくないとからかい半分主張する。

「夏目漱石や芥川龍之介だって、お堅くないぞ。今でこそ文体が古くさくなって堅いイメージが付いているけど、当時は若者がこぞって読んだって話だからな。」

 羅針が顔を上げて、大真面目に反論してくる。

「おいおい、言い返すのそこかよ。」

 駅夫はてっきり「何でも読むよ。」とか「好きなの読ませろよ。」とか「そんな古いの読まねぇよ。」とか、そっちで反論されると思っていたので、肩透かしを食らった気分だった。当の羅針はきょとんとしたが、何事もなかったかのように、またタブレットに視線を戻した。

 

 永原ながはら駅を出て、再び長いトンネルを潜り、右手に北陸本線が見えてくると、近江塩津おうみしおづ駅に到着する。

 二人が降り立つと、そこは何とも言えない寂れた雰囲気の光景が広がっていた。

 山間やまあいに位置するこの駅は、湖西線と北陸本線が合流する交通の要衝であり、3面5線の大きな駅であるにもかかわらず、ホームが狭く特急が通過すると恐怖すら感じる程であった。


 3番線に入線した二人が乗ってきた列車は、そのまま敦賀方面へと向かって行った。

 向かい側の4番線ホームから出る米原まいばら経由姫路行きの新快速は、26分後である。暫く時間があるので、二人して構内探索をする。

「あのさ、さっき乗ってきた列車の行き先に〔B敦賀つるが〕ってあったけど、AとかBとかCとか複数の敦賀駅があったりするのか?」

 歩き始めた羅針に、駅夫がまた奇妙な質問をしてくる。

「いや、あれはどこを経由するかってことを表していて、Aなら米原駅を通る北陸本線、東海道本線経由で、Bなら今日泊まった近江今津駅を通る湖西線経由ってことだよ。」 

 暫く駅夫が何を言ってるのか理解できなかったが、反対側の2番線ホームにある赤い看板に〔B線確認〕とあるのを見つけ、漸く合点がいき、羅針はそう説明してやる。

「なるほどね。漫画家さんみたいに区別するためのものじゃないんだな。」

「まあな。敦賀駅がそんなに沢山あったら驚きだけど、複数あったらA、Bって区別するのもありかもな。……ってねぇよ。名前自体を変えるわ!」

 羅針は漫才師よろしく手の甲で駅夫を叩く真似をする。

「そっか。そりゃそうだ。」

 駅夫は合点がいったように笑った。


 二人は階段を降りて、連絡通路を通ってみた。

 途中の踊り場には座布団が敷かれたベンチがあり、冬場の冷え込む時期のためにこうした心遣いがあるんだと、二人して感心した。

 更に下へ降りると、まるで秘密基地のような細くて薄暗い通路が続き、改札口へと繋がっていた。改札の位置には無人駅に良くあるICカードスキャン用の機械が2本立っているだけで、何もなかった。

 さすがにそのまま素通りしてしまうと、不正乗車と疑われてしまうので、きちんとICカードをスキャンしてから表に出た。


 改札を抜けると、駅員対応の窓口があって、その奥に人がいた。てっきり無人駅だと思っていた二人は、ビックリして二度見してしまった。

「人がいたんだ。」

 駅夫が驚いたように言う。

「いるとは思わなかったよ。でもJRの制服着てないから、職員じゃない感じだな。委託職員かな、多分。」

 羅針も驚いてはいたが、分析は欠かさない。

「なるほどね。あのまま改札素通りしてたら、確実にお縄だったな。」

 駅夫がてのひらで額の汗を拭く振りをする。

「ちょっとだけ、が何でも命取りってことだよ。これも弁財天様、龍神様の御加護だな。ちゃんと感謝しとこうぜ。」

「そうだな。」

 そう言って二人は竹生島があると二人が思っている方向に向かって手を合わせた。

 祈り終えると二人は、思わず吹き出して大笑いした。


 こぢんまりとしてはいるが、古民家のような趣のある雰囲気をした待合室を抜けて、駅舎の外に出ると、更に二人は驚いた。まるで古民家のような造りの駅舎が、コンクリートの壁に張り付いていたのだ。

 中の雰囲気から、外観はある程度想像できていたが、まさかコンクリートの壁にへばり付いてるとは、二人とも想像だにしていなかった。


 その駅舎の佇まいもさることながら、もう一つ二人の目を引いたのが、真っ白いポストである。ポストには〔白ポスト〕とあり、その下に有害図書等回収箱とあった。

「駅夫、お前持ってるもの全部ここで出して行けよ。その荷物全部有害図書なんだろ。」

 羅針がからかって言う。

「お前こそ……って、その荷物の量じゃ何も持ってねぇか。いや、そのタブレットに入ってるはず。ここで全部削除していけよ。」

 駅夫も苦し紛れに言い返す。

「それにしても、こんなものあるんだな。」

 羅針が冗談を抜きにして感心したように言う。

「初めて見たよ。関東にもあるのかな。あるのかも知れないけど聞いたことないよな。」

 駅夫も初めて見る白いポストには感心していた。

「まあ、青少年と縁のない俺には隠しておかなきゃいけないものもないが、駅夫はあるだろ。」

 羅針が追い打ちを掛けるように駅夫をからかう。

「人を犯罪者みたいに言うな。俺だって青少年とはまったく縁はないよ。……ってそれ寂しい人生を送ってるって言うことか!」

「良いんだよ、独身貴族の特権なんだからな。寂しいなんてことはないんだよ。有害図書というお供もいるんだろ。」

 真面目な顔をして慰める振りをしていた羅針が思わず吹き出してしまうと、茶番を続けられなくなった二人は大声で笑った。


 あちこち写真を撮ったり、駅舎をバックに記念撮影をしたりしていたら、そろそろ列車の時間が迫ってきたので、改札を抜けてホームへと戻った。

 暫くして、留置線から折り返しの新快速が入線して来ると、二人は一番前の席に陣取り、駅夫は荷物を置いて、前面展望かぶりつきの場所に立った。

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