第45話 誰の得にもならない選択
僕は考えるのをやめた。ここへ来るまでずっと悩んでいたのに、そんなすぐに決断なんて出来ない。誰かの運命を歪める事も、運命を歪めてしまう存在になる事も嫌だ。
だから僕は、諦めた。出会いも、夢も、全てを諦める。多分、それが一番誰の得にもならない答えだ。運命を操作する短剣なんて物騒な物は、僕には必要ない。
短剣のラッピングだけを取り、元の所有者である敦子姉さんに短剣を返した。敦子姉さんは驚く事も、口を出す事もなく、ただただ微笑んでいた。きっと僕がこうする事を分かっていたんだ。それもそのはず。敦子姉さんは人の運命を見る事が出来る存在。運命の管理者だ。
「……分かって、いましたよね?」
「どうかしらね」
「どうしてそこでとぼけるんですか……」
「人の運命は一本道だけとは限らない。枝のようにいくつもの分かれ道が存在する。水樹君はその分かれ道から、諦める事を選んだ。誰の得にもならない道をね」
「ふん……なら、早く帰りましょう。花咲さんのご機嫌取りの為にケーキでも買って」
「ケーキは買えても、今からチキンは買えそうにないわね……グラタンでも作ろうかしら? ショッピングセンターに行きましょうか」
「クリスマスだってのに、休まず働くなんて凄いですよね。せめて夕方までの営業にしたらいいのに」
街の様子も、人も車も、みんな元に戻っている。今日はクリスマス。凡人も平凡もエリートも、みんながちょっと特別になれる日。普段よりちょっと贅沢が出来て、ほんの少しの奇跡が起こる日。
だから、僕もちょっとだけ二人に甘えてみようかな。いつも恥ずかしくて言えないような、感謝でも伝えておこう。理由を聞かれても、こう言えばいい。今日はクリスマスだからって。
「いけません!!!」
地面が揺れ動くような怒号が響き渡り、僕は声が聞こえた空の上を見た。夜空に浮かぶ月の前に立つ鷺宮さんが、歯を噛み締めながら僕達を見下ろしていた。彼女の存在を忘れていた……僕と敦子姉さんが納得しても、彼女を納得させなければ、この場は収まらない。
「佐久間さん! あなたは決断しなければいけません! 世界を元の場所に戻す為に、その者を殺さねばならないのです! 言ったでしょう!?」
「あー……もう、いいじゃありませんか。僕はもう誰とも出会ったり、誰かと関係を持たなくなれば、敦子姉さんも運命を捻じ曲げたりしない。世界は元に戻せないかもしれませんが、辛うじて人は人の形を保っているわけですし、これで一件落着って事に―――」
「なりません! 定めた運命と決められた場所! あるべき物があるべき場所に! それが秩序というもの! あなた方は今まで何人もの運命を変え、本来辿るはずではなかった運命を歩かせた! その責任と贖罪を行う義務があります!」
化けの皮が剥がれてきたな。なんとなくだが、彼女が僕に何をさせようとしているのが分かってきた。鷺宮さんは天使であり、世界の秩序とやらを守る善人……に、見せかけた詐欺師。本当の善人であれば、間違っても誰かを殺せと命令しないし、実行させる為に情に訴えかけたりしない。
つまり、この世界に生きる人間の事など、初めから鷺宮さんは考えていない。運命の管理者である敦子姉さんをどうにかする事しか頭にないのだろう。その証拠に、鷺宮さんは僕に敦子姉さんを【殺せ】と命じた。敦子姉さんを殺さずとも、僕が死ねば世界は元に戻ると鷺宮さんは確かに言った。
「僕は嘘つきが嫌いです。特に、人を利用して利益を得ようとする嘘つきは大嫌いです。だから、鷺宮さんの命令は聞けませんね」
「なにっ!?」
「水樹君ったら! 決める時は決めちゃって! 男の子ね~!」
「言っときますけど、僕は敦子姉さんを許したわけじゃありませんから。僕の人生滅茶苦茶にした責任は一生掛けて償ってもらいますよ?」
「初めからそのつもりよ。生涯ずっと、水樹君の傍から離れないから!」
「短剣持ったまま抱き着かないで! 刺さりますって!」
「おい、コラ! 私を無視するな! こうなれば、実力行使に―――」
鷺宮さんが手を上に上げた瞬間、天使の特徴である翼が消えた。それは鷺宮さんにとって予想外な事だったらしく、悲鳴を上げながら地上へと落下していく。幸い、落下先に【偶然】荷台に水を一杯入れたトラックが通り、その水に鷺宮さんは着水した。
敦子姉さんの顔を見ると、僕に見せた事も無い冷酷な表情で、トラックで運ばれていく鷺宮さんを見下していた。
「……敦子姉さん」
「凄い偶然ね。偶然、水が入ったトラックの荷台に落ちるなんて。本当に、偶然、ね」
「……ハァ。まぁ、今日はクリスマスです。クリスマスのささやかな奇跡と思っておきましょうか」
これからは、敦子姉さんに注意しておこう。いつ、どこで人の運命を捻じ曲げるか、気が気でならない。
なにはともあれ、ある一つを除いて全て解決した。その事について考える必要も、焦る事もない。だって、僕は全てを諦めたのだから。
街の街灯が路地を照らし、同じようなクリスマスソングが共鳴している。手を繋ぎながら歩く恋人や、夢を追いかける者や、家族の元へ急ぐ大人達。同じ者はいない、それぞれのクリスマス。
そんなクリスマスの日を送る人々の中で、僕と敦子姉さんだけは、普段と変わらない日常を送っていた。
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