第46話 最後の晩餐
今日が人生最後の日だと決めていたが、ほんの僅かに猶予が出来た。今日、三人でクリスマスを過ごす程度の猶予。あの時計の針が12時を刻む時、僕はこの世から去る。行き着く先は天国か、あるいは地獄か、そのどちらでもない場所か。不思議な事に、恐怖を感じていない。あんなに生きる事にしがみついていたのに。避けられない死というのは、安寧を呼ぶのか。
「さぁ、二人共。まずは野菜からよ」
敦子姉さんが僕と花咲さんの分のサラダをテーブルに置き、再びキッチンへと戻っていく。ただのサラダだが、かけられている黄金のドレッシングには特別性がありそうだ。
「……納得いかないです」
「ハァ……まだ言うんですか? こうして三人でクリスマスを過ごせるんですから、いいじゃありませんか」
「二人っきりのデートが楽しくなくて、家に戻ってきた……そんな理由は、独り寂しく留守番をしていた私への情けとしか聞こえません」
「いや、だから。本当に楽しくなかったの。大体、こんな寒い夜に外へ出掛けるのが馬鹿馬鹿しいんですよ」
「……私、頑張って見送ったんですよ? 泣かないように、頑張ったんですよ? それなのに……」
「はい、もうおしまい。これ以上グダグダ言うなら、雪だるまの中に埋めますから」
「む、惨いお仕置きですね……ハァ。分かりましたよ! 佐久間君がそこまで言うなら、もう何も言いません!」
どうして僕が我が儘を言っていたようになるんだ? 花咲さんの思考回路のネジかヒューズが外れてるんじゃないのか?
なにはともあれ、ようやく晩ご飯を食べ始められる。キッチンでは、敦子姉さんが並行作業でこの後の料理を作っている。ノンビリしていたら、テーブルに置き場が無くなってしまう。
フォークでサラダを突き刺し、口の中へと運ぶ。噛むと、野菜のシャキシャキ感が生き生きとしており、野菜の味を全く感じさせない黄金のドレッシングが口の中を占領する。これは、美味い。食感は野菜だが、味は別の何かだ。薄くも濃くもなく、丁度いい。というより、酸味か。梅干しのようなスッキリ感でありながら、口の中が酸っぱくなることはない。子のサラダは、この後に出てくる料理の為の準備という所か。
サラダを食べ終えた頃、次の料理が運ばれてきた。秋の落ち葉のような紅色のスープ。スプーンですくい、口に入れ込む。美味い……美味いが、何のスープだろうか? 喉をすんなり通っていきながら、味は確かに口の中へ残していく。飲む度に体の芯から暖かくなるが、舌を火傷するような熱さはない。
「美味い……が」
「美味しい……ですけど」
「「何のスープ?」」
結局、スープの正体を特定する事が出来ぬまま完食してしまった。僕はおろか、花咲さんも分からないようだ。スープの正体は作った本人である敦子姉さんだけだが、答えを教えてもらうのは、なんだか負けた気がして嫌だ。
次の料理が運ばれてくると、それは魚のムニエルと呼ばれる料理であった。急いで作っているとは思えない程に、盛り付けがホテル並みだ。フォークとナイフを使い、一口サイズにした魚を口の中に持っていく。間違いなく美味しい。これも何の魚かは分からないが、凄く美味しい。食べてるだけで、自分が貴族になったかのように思える。
「佐久間君。こういう時って、魚の皮も食べた方が良いのでしょうか?」
「それは、まぁ。一応食べられるし」
「でも、なんだか卑しい印象を持たれませんか?」
「確かに……いや、ここホテルじゃないから。食べたきゃ食べな?」
「じゃあ食べます」
魚の皮も、付け合わせの野菜も、無論美味しかった。まだ満腹ではないが、既に充実感は限度を超えている。今まで少量でありながら値段が高い高級店を良しとしていなかったが、考えを改めざるをえない。
僕達が丁度食べ終えた頃、敦子姉さんが次の料理を運んできた。今度の料理には蓋がされており、開くまでどんな料理かが分からなくされている。人は隠されている物に最も興味を示す。
「メインディッシュです。お二人共、召し上がーれ!」
そう言って敦子姉さんが蓋を開け、隠されていた料理の正体が露わになった。その料理は、カレーライス。そう、カレーライスだ。しかも具無しカレーライス。
普通、この流れでいけば肉料理なのだろうが、買い出しに行った食品店には既に肉が置いていなかった。時間も時間だし、仕方のない事ではある。一緒に買い物に行った僕は事情を知ってるし、カレーライスが好きだから問題ないが、花咲さんはきっと文句を言うだろう。
「なんでいきなりカレーライス!?」
予想通り。百点満点の反応だ。
「木島さん!? 今までコース料理の流れでしたよね!? なんでカレーライスが!?」
「桜ちゃん。コース料理は国によって出てくる物も順番も違うのよ。サラダ、スープ、魚料理、その次にカレーライス。言うなれば、佐久間家のコース料理ね!」
「僕の家の名前を勝手に使わないでください。裁判ですよ?」
「そうです! 木島さんには何かしらの罪に問われてもらいます!」
「注文の多い料理店ならぬ、クレームの多いお客さんね。せっかく頑張って作ったのに、お姉さん悲しんじゃうぞ?」
「気持ち悪……」
僕の呟きに、砕いたガラスの様な動揺をする敦子姉さん。しまった、つい口に出てしまった。いや、僕に非は無い。歳も立場も考えずに可愛い子ぶる敦子姉さんが悪いんだ。
「……そうよね……私ったら、年甲斐もなく可愛い子ぶっちゃって……大人で、綺麗系の私には似合わないと分かっていたはずなのに……」
「悲し、んでませんね? まぁ、いいや。カレーライスは僕の好物ですし、最後の晩餐には丁度いいです」
「最後の晩餐? 佐久間君、それってどういう意味?」
「……はいはい! お喋りはそこまでよ、二人共! 冷めないうちに食べて! 木島敦子特製、涙が出る程美味しいカレーライス!」
スプーンを手に取り、カレーライスを一口食べた。今まで出てきた料理と比べて、特別性も無ければ、意外性も無い。ただの、僕が好きな味のカレーライスだ。
「……美味しいな」
流れそうになる涙を必死に堪え、カレーライスを食べ続けた。本当に美味しい。今まで誰にも両親以上の感情を向けた事は無かったが、敦子姉さんが作ってくれたカレーライスは……三人で囲む食卓だけは、何者にも代えられない幸せだ。
やっぱり、死にたくないな。まだ、生きていたいな。何も起きない平凡な毎日を、三人で過ごしていたいな……。
「水樹君……」
「佐久間君? 涙が出る程美味しいんですか? 私は、まぁ、あれだけ文句を言ってなんですが……美味しい、です」
「……うん……僕は……幸せ者だよ」
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