第17話 取捨選択
先日はえらい目に遭ったが、無策で挑む程、簡単な問題では無い事が分かっただけでも儲けものだ。外に出る事を目標とする僕がまず必要なのは、不安定な精神の安定化。故に座禅だ。昔、テレビ番組でお坊さんが座禅を組んで、内に秘めた邪を消滅させる様を見た記憶が微かに残っている。
そうして、1時間くらい座禅を組んでいるが、足の感覚が無くなっただけで、精神が安定している実感が湧かない。そもそも、自分の精神が乱れているかどうかすら判別出来ないのに、実感が湧くはずもない。人は変化に疎いものだ。他人は当然として、自分自身の変化は誰かに指摘されるまで気付かない。物や時代には敏感なくせに、人間の変化には遅れて気付くだなんて、つくづく批判種族だ。
「……あー。今、乱れてるのか」
なるほど、精神の乱れ方とはこういう感じなのか。気付かない内に捻じ曲がっていき、ハッと我に返って、さっきまで思っていた事や発言していた言葉の違和感に気付く。まるで自分が自分じゃないような、第二の人格とでも言うべきか。
足の感覚が痺れと共に戻ってきて、一歩進む度に走る電流の刺激に声を漏らしながら、テーブルの上に置いていた携帯を手に取る。メールを見ると、敦子姉さんから一件と、花咲さんから一件きていた。
敦子姉さんのメールから確認すると【今日は遅くなるかも! ごめんね!】と書かれている。僕が朝起きた時には既に敦子姉さんは出掛けており、その行き先は不明だ。
次に花咲さんのメールを確認しようと開いてみると【大事なお話があります】とだけ書かれていた。今の時刻は17時。空が夕焼けになる時間だ。という事は、あと少しで花咲さんがこの家にやってくる。
「紅茶でも淹れてやるか」
花咲さんのコップと僕のコップを取り出し、熱い紅茶か冷たい紅茶にするかを悩んでいると、玄関のチャイムが鳴った。
玄関に赴き、扉を開けると、玄関前には花咲さん……そして、見知らぬスーツ姿の女性が立っていた。花咲さんは暗い表情を浮かべていて、もう一人の女性の方は上手な作り笑いを浮かべている。
「……どちらさまで?」
「あの……佐久間君……」
「桜の母親です。あなたが、佐久間君ですね」
花咲さんの母親と名乗った女性は、僕に軽く会釈をすると、作り笑いを崩す事なく僕に告げた。
「不躾なお願いですが、桜と縁を切ってくれませんか?」
「……はい……で?」
「でって……!? ゴホンッ! 4月に入ってからの桜は、よく家を空けていました。学問や部活動に明け暮れているならまだしも、遊んでばかりだと最近になって気付きました。それもよりによって、男の子の家に入り浸るなんて」
「要するに、非行少女になった責任を取れって言いたいわけですか?」
「そこまでは……ですが、今後一切桜と関わらないと誓ってくれるなら」
「ふ~ん。で、どうするの花咲さん。誓うの? 誓わないの?」
「……え? 私が、ですか?」
「そりゃそうでしょ。僕から関わった事なんて一度も無いし」
まるで冤罪を掛けられた大罪人の気分だ。全くもって見覚えの無い罪を押し付けられ、罪を犯した張本人が被害者のような立場にいる。
口には出さないが、花咲さんの母親はお世辞にも良い人とは思えない。初対面の相手に作り笑いを浮かべ、自分の主張ばかりを押し付けてくる。子供の人生が自分の物だとでも思っているのだろうか?
「私は……佐久間君とまだ―――」
「桜。昨日の夜、お話、しましたよね?」
「……ごめんなさい」
僕はどうして他人の家庭の闇を見せられているのだろうか。家庭の事は家族内だけにしてほしい。家族じゃない他人に見せられても、気分が悪くなるだけだ。
「じゃあこうしましょうか、花咲さんの母親。花咲さんがいたい方に行かせる。この家の中に入ったら僕の方。一歩後ろに下がったら母親の方って事で。僕の方に来たら勘当で、母親の方に戻れば僕との縁を切る」
手短に済ませようと、二択の選択肢を装った一択の選択肢を提案した。失う物の多さから考えて、花咲さんは母親の方へ行くだろう。そうなれば僕と縁を切る事になるが、家族を捨てるよりは容易に投げ捨てられる存在だ。例え性格が悪い親だとしても、親は親。初めての依存先であり、向ける想いの重さは親が一番大きい。
花咲さんの母親が花咲さんに鋭い視線を送り続ける中、花咲さんは何らかの決意を抱いた真剣な表情を浮かべた。これでようやく終わると思い、花咲さんの母親にこれ以上余計な事を言われる前に、僕は扉を閉めた。
扉を閉め、玄関に立っていたのは、僕と花咲さん。
「……」
「……」
「……え?」
なんで花咲さんが玄関にいるんだ? 扉を閉める時に巻き込んでしまったのか?
「……私は! 木島さんのように家事が得意な訳ではありませんが、精一杯頑張ります! 不束者ですが、これからよろしくお願いします!」
そう言って、花咲さんは僕に深々とお辞儀をした。玄関の扉が激しく叩かれているが、そんな事がどうでもよくなるくらい、花咲さんの全てに僕は困惑していた。言葉の意味。この家に入った事。
しばらく考え込み、やがてある一つの答えに辿り着く。
「花咲さんって、家族よりも僕の方が大事なの?」
「はい!」
「あ、そうなんだ……あー、そっかー……」
罪悪感と責任感が僕の背中に圧し掛かってくる。今の今まで、僕は気付けなかった。花咲さんが僕に向けている想いの重さに。言葉にせずとも、行動と立ち姿で分かる。家族との天秤から僕を選び、先程の暗い表情が何処かに飛んでいってしまったかのような凛とした姿。
逆再生をして、僕がいらない提案をした時まで戻れないだろうか? いや、ただ単に逆再生をしても、僕は同じ提案をするだろう。例え別の事を言っても、別の事がキッカケで、結局今と同じ結果になる気がしてならない。
「佐久間君! 私、頑張るから! 木島さんに負けないくらい、とにかく頑張るから!」
「……とりあえず、お茶でも飲もうか」
「お茶ね! 任せて!」
花咲さんは僕を置き去りにして、一人でリビングへと駆けていった。遅れてリビングに行くと、僕がキッチンに用意していたカップに、花咲さんが紅茶を淹れていた。テーブルに運ばれてきたカップを手に取って確認すると、色は紅茶らしいが、匂いからしてほうじ茶だ。
「これ紅茶じゃなくてほうじ茶だよ」
「え!? だ、だって! お茶って言ったじゃん!」
「僕いつも紅茶出してるでしょ。別にいいけどさ」
「佐久間君がお茶って言ったら、紅茶を出せばいいの?」
「いや、その時の気分によるから。お茶は僕か敦子姉さんが淹れるから」
「そうですか……」
「まぁ、とりあえず飲もう。飲んで一旦整理しよう」
そうして、僕達はほうじ茶を飲んだ。ほうじ茶をティーカップにだなんて場違いだが、ほうじ茶の味に変わりはなかった。緑茶と違い、スッキリとしたお茶の味がスッと喉を通っていく。
さて、どう敦子姉さんに説明しようか。このほうじ茶のように、スッと了承してくれる事を願うばかりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます