第18話 終点

 朝目を覚まし、顔を洗って歯を磨き、朝食を食べ、歯を磨く。僕の朝のルーティーンだ。そして数日前から、そのルーティーンに新たな枠が増えた。それは二階の両親の部屋で眠る花咲さんを起こす事。     


 敦子姉さんが家を空けている間、とりあえずその部屋を花咲さんに使ってもらってる。本格的な部屋決めは、敦子姉さんが帰ってきてからだ。


 ベッドで眠る花咲さんの乱れた服を直してから、体を揺さぶって花咲さんを起こす。起きている時はあんなに元気なのに、寝起きの花咲さんは萎んだ風船のようにやる気が感じられない。起きてるのに、まだ夢の中にいるようだ。


 そんな花咲さんの両脇から手を通して、ベッドから引きずり出す。そのまま廊下へと出て、階段を下り、ようやくリビングにまで辿り着いたのも束の間、今度は朝食を口に運ばなければいけない。


 


「花咲さん。口開けて」




「……アーン」




 食パンをかじらせ、合間に牛乳を口から零れないように流し込む。僕は一体何をやっているのだろうか。これじゃあまるでお年寄りの介護だ。不本意ながらこの家に住まわせる事になった当初、花咲さんは頑張りますと意気込んでいた。あの時の言葉は嘘だったのか。


 それから1時間が経つと、ようやく目を覚ました花咲さんが活動を始める。花咲さんに任せたのは家の掃除。学校に行く事が無くなってしまった花咲さんには時間が有り余っている。ただダラダラと家の中で過ごさせる程、僕は甘くない。


 掃除内容は家の中の掃除と、庭の手入れだ。家の中の掃除なら、今まで僕がやっていたから汚れていないが、庭は別だ。外に出る事が出来なくなってから、どんどん成長する雑草を放置させたままにしてしまっている。他の家よりも特別庭が広いわけでもなく、むしろ狭い方だ。機械を使わなくても、人の手で処理しきれる。


 


「暑い~!」




「はいはい。暑いのはもう分かったから」




「今日の気温何度だっけ? 25以上はあるでしょ……」




「愚痴だけじゃなく手も動かして。そこ一帯を毟り終えたら今日はもういいから」




「アヅイィィィィ……!」




 毎日少しずつしか進まないから、前に毟った場所に新たに雑草が生え始めている。これは夏が終わるまでエンドレスだな。




「さ、佐久間君……もう、限界……!」




「……まぁ、いいでしょう。麦茶淹れますから、中に入ってきてください」




「やったね!」




「ちゃんと手を洗ってくださいね。ついでに服も着替えて」




 こうして、約30分程の花咲さんの活動が終わり、僕達はソファに座りながら、氷入りの麦茶を飲んだ。テレビを眺めていると、ニュースが流れる。僕がいる場所から遥か北にある地で、一人の女性が亡くなったらしい。死因は自殺らしく、死んでから二日後に、自室にて母親に発見された。


 自分の娘の死に二日も気付かなかったのは不思議だ。親との関係が良好ではなかったのか?




「自殺、ですか……なんだか、他人事とは思えないニュースです」




「どうして?」




「……私も、一時期考えていたんです。まだずっと幼い頃から、両親に勉強を強いられてきました。間違ったりサボろうとしたら怒られて、でも良い成績を取っても、親は無反応で……そうやってストレスが積み重なって、ある日家出をしてやろうと考えました」




「いつ頃?」




「小学生の時です。衝動的な家出でした。友人を作る暇も無かった私に行く当ても無く、かといって遠出する資金も勇気もありませんでした。グルグルと歩き回って、最終的に公園に辿り着くと、私はベンチに座って泣きました。両親の教育と自分の無力さに……そんな時、一人の男の子が私の前に来てくれました。私と同じぐらいの子で、その子は泣いている私を慰めると、このヘアピンをくれました」




 そう言って、花咲さんは前髪を留めている色褪せたヘアピンに触れた。初めて会った時から外した姿を見た事がなかったが、思い入れのあるヘアピンだったのか。


 


「……思い出しませんか、佐久間君」




「え?」




「このヘアピンをくれた男の子は、佐久間君なんですよ?」




 花咲さんは少し寂し気な表情で、僕を真っ直ぐと見つめてくる。罪悪感が湧いてしまう。花咲さんが大切に留めていた思い出を僕は全く憶えていない。亡くなった両親との思い出以外の記憶なんて、今の僕は持っていない。




「……ごめん。憶えてない」




「そっか……もう、何年も前の事ですもんね! 忘れても、しかたない、ですよ……!」




 花咲さんの精一杯の強がりが、罪悪感を募らせる。きっと、前の僕なら憶えていた。前の僕なら、花咲さんが満足する言葉を送れたはずなのに。


 今の僕は最悪だ。失ったものの記憶は大切に保管して、未来に繋がる記憶を捨て去っている。傷付くと分かっていながら、優しい嘘の言葉も思い浮かばない。こんなんだから外に出れないんだ。前へ進むと言っておきながら、心は未だに過去にしがみついている。これではいつまで経っても、外の世界に出る事なんか出来ない。


 いや、マイナスに考えるのはやめよう。常に0を保つんだ。未来への不安を募らせ続ければ、本当に進む事が出来なくなってしまう。




『警察は現在調査中の事で……たった今、亡くなった方の名前が発表されました。亡くなったのは、宮田繭さん。24歳』




「……え」




『ご両親のお話によりますと、宮田繭さんは精神を酷く病んでいたらしく、過去何度も自傷行為を繰り返していたようです。続いてのニュースです』




 宮田繭。僕が知っている宮田繭? 歳は同じだが、本当に僕が知っている宮田繭? 死んだ? 自傷行為? 死んだ? 


 切り替わる前の画面が脳裏に焼き付いて離れない。知っている人の名前と、知っている人が亡くなった報道。グルグルと回り続け、一向に理解が追い付かない。そうだパソコン! パソコンで繭さんに連絡をすれば分かる事だ! 


 


「佐久間君? 急に立ってどうしたの?」 




 階段を駆け上って自分の部屋に入ってすぐ、僕はパソコンの電源を点けた。繭さんと通話する時にいつも使うアプリを起動して、繭さんにメッセージを飛ばそうとした。


 メッセージ欄が開かれると、繭さんから何件もメッセージが届いていた。花咲さんがこの家に住んでからしつこく関わってくる所為で、メッセージの確認を忘れていたのか。




【水樹。今、大丈夫?】




【水樹。寝てるの?】




【水樹。少し話したい】




【水樹。寂しいよ】




【水樹。会いたいよ】




【どうして返信してくれないの?】




【早く来てよ】




【頭がおかしくなりそう。早く返事してよ】




【私が嫌いなの? 私は鬱陶しいの? 私じゃ駄目なの? 私は水樹が好き】




【水樹水樹水樹水樹水樹水樹水樹水樹水樹水樹水樹水樹】




【水樹。さようなら】




 気付けなかった。知ろうとしていなかった。繭さんの依存。繭さんの精神状態。繭さんの孤独。初対面の時にお父さんを求めていた繭さんの言葉から察するべきだった。繭さんは孤独に蝕まれていて、依存出来る相手を探していたんだ。


 僕はまた失ってしまった。今度は止める事が出来たはずなのに。知り合ったキッカケ、知り合ってからの長さなんて関係ない。僕は繭さんの友達だったのに、助ける事が出来なかった。




「佐久間君? 本当にどうしたの? 何か―――」




「ッ!? お前の所為だ!!! お前の所為で滅茶苦茶だ!!!」




「キャッ!」




 僕の部屋に入ろうとしていた花咲さんを廊下に押し出し、扉を閉めて鍵を掛けた。今、花咲さんの姿を見る事が出来ない。見れば、殺したくなってしまう。花咲さんも友達なはずなのに。繭さんが死んだのは僕の所為なのに、全て花咲さんの所為にしたくなってしまう。


 心に砂嵐が吹き荒れている。前に進む事も、戻る事も出来ない。




【ごめんなさい】




 気付くと、僕は繭さんにメッセージを送っていた。繭さんはもう、インターネットを通しても届かない場所へ行ってしまったというのに……

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