第3話 誘う

 ジェンガで遊んでいたら、玄関のチャイムが鳴った。時計を見ると、15時を少し過ぎていた。敦子姉さんが訪ねてくる時間ではない。


 玄関に赴き、ドアチェーンを掛けたまま扉を開ける。扉が開いた隙間から訪ねてきた人の顔を見ると、僕と同年代と思われる女の子が立っていた。




「佐久間君……!」




 彼女は僕の名字を呼び、ボクの顔を見て笑顔を浮かべた。品行方正を思わせる清楚な容姿だが、目元が少しおっとりとしているので、あまり堅苦しい印象を受けない。前髪を分けている桃色のヘアピンが白く色褪せている所から、長く愛用しているのが分かる。  


 とりあえず害は無さそうな彼女だが、問題は僕が彼女の事を全く知らない事だ。安易に名前を尋ねて、過去に交流があった人だった場合、彼女を傷付けてしまう。僕は彼女を知らない。でも、どうしてか、彼女が悲しむ姿は見たくなかった。


 だから、僕は無言を貫いた。下手に言葉を出せない現状、彼女から話してくるのを待つのがベストだと思った。




「あれ? もしかして、憶えてない? 花咲桜、だよ? 小学校からの同級生の」




「花咲、桜……文学少女の?」




「良かった! 憶えててくれたんだね!」




 花咲桜。小学校からの同級生だ。厳密に言えば、もっと前に一度交流をしているが、何処で何をしたかは思い出せない。最近、過去の記憶を思い出しにくくなってる。




「それで、花咲さんはどうして訪ねてきたの? 記憶が正しければ、家は近いわけじゃないよね?」




「う、うん。その、今日来たのはね……これを渡そうと思って」




 花咲さんはカバンから一枚の紙を取り出し、扉の隙間から差し出してきた。紙を受け取り、内容に目を通すと、それは体育祭の案内であった。学校の名前を見ると、僕が通うはずだった高校の名前であった。


 そうか……もう、体育祭が行われる程にまで時間が進んでいるのか。今頃、学生達は体育祭にむけて練習や身体つくりに励んでいるのだろう。それなのに、僕は家の中で、独りでジェンガなんかで遊んでる。惨めだな。




「あと一週間後に、体育祭が行われるの。クラスの皆、張り切って練習に明け暮れてる。部活がある人や塾に行く人も、皆この体育祭の為に練習してるの」




「……それで、僕にどうしてこれを?」




「その……佐久間君も、一緒にどうかなって……皆、佐久間君の事を知りたがってるし、体育祭で一緒に頑張れば、すぐに皆と仲良くなれると思うんだ」




「……なるほど。つまり花咲さんは、僕を学校に連れて行こうとしてるわけだね」




「気に障ったならごめんなさい! でも、私は佐久間君とも体育祭を楽しみたいの……佐久間君との思い出を作りたいの」




 そう言って、花咲さんは俯いてしまった。花咲さんの気持ちはありがたいし、僕だって皆と高校生活を送りたい。


 でも、外の景色を見るので精一杯なんだ。外に出れば、あの日のトラウマが鮮明に思い出されて、僕は今よりもずっと深い場所で殻にこもってしまう。皆と汗を流し、思い出を作るような青春は、僕にはまだ無理だ。


 


「花咲さん。気持ちはありがたいけど、僕は行けないよ」




「……そっか」




「……ごめん」




 落ち込む彼女の姿を見て、無意識に謝罪の言葉が出てしまった。落ち込んでいるのは花咲さんの方なのに、僕の胸に針が突き刺さる。これ以上直視出来ず、僕は逃げるように扉を閉めようとドアノブを引いた。


 すると、花咲さんが扉を掴み、ドアチェーンが壊れるような勢いで扉を開いた。扉の隙間から見える花咲さんの表情は、さっきまでの落ち込んだ顔ではなく、芯のある決意を秘めていた。




「佐久間君! 私、諦めないから! 必ず佐久間君が学校に行きたいって言わせるから!」




「……無理だよ」




「絶対に言わせる。あの時のような、佐久間君の笑顔を見る為に!」




 僕はハッとなった。玄関横に置いてある鏡で自分の顔を見ると、酷く暗い表情を浮かべている自分が映っていた。他人が来たのに、僕は笑顔を作り忘れていた。習慣化したつもりだったけど、まだ出来ていなかったようだ。




「今日はもう帰るね。また来るから」




 花咲さんの言葉の後、強く引っ張られていた扉を容易に引き戻す事が出来た。どうやら帰ったみたいだ。去り際の花咲さんの表情は見れなかったが、あの言葉と声色から察するに、彼女は有言実行するだろう。


 玄関の扉に鍵を掛け、リビングで放置していたジェンガの元へ戻り、高く積み上がったジェンガの塔を蹴飛ばした。怒っているわけじゃない。ただ単純に、これ以上ジェンガを積み上げていくのが面倒だと思ったからだ。


 床に散らばったジェンガを片付けた後、時計を見ると16時になろうとしていた。携帯を見ると、敦子姉さんからのメールが一件届いている。




【今日の晩ご飯は何がいい?】




 どうやら、今日も作りに来てくれるようだ。敦子姉さんに初めてカレーを作ってもらった日から、ほぼ毎日のように晩ご飯を作りに来てくれようになった。おかげで冷蔵庫に弁当を貯蓄する事も無くなり、食べた物を吐き出す事は無くなったが、申し訳ない気持ちが積もっていく。


 でも、敦子姉さんの厚意を無駄にしたくない。それに、敦子姉さんがいなければ僕の体は細くなる一方だ。




【何か魚を焼いた食べ物】




【新しい困らせ方ね。分かった、魚ね。今から買って帰るから、少しだけ待っててね】




 こんな僕のワガママを敦子姉さんは甘やかしてくれる。敦子姉さんから何かしてもらう事はあっても、僕から何かした事は無い。




「……何か、贈り物でも渡してみようかな」




 そう考えたはいいものの、僕には敦子姉さんの好みが分からない。晩ご飯の時に、それとなく聞いてみようかな? あまり高い物は買えないけど、敦子姉さんが喜ぶ物を贈りたいな。

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