第4話 好きと愛情の違い

 両親の部屋は共同だ。僕の部屋の二倍程の広さがある部屋を半分こして使っていた。独りになった今、たまにその部屋に入る事がある。


 部屋の中は真ん中を境目に左右で全く違う部屋作りになっていて、右がお母さんで、左がお父さんのスペースだ。母のスペースには服を保管しているクローゼットやベッド、そして一際目立つ化粧台。様々な化粧品が綺麗に並べられており、新婚旅行先で買った思い出の鏡が中央に鎮座している。小さい頃はよくお母さんに化粧されそうになって、その度にお父さんが助けてくれたな。


 そんなお父さんのスペースには、本棚や写真立てを飾る棚、隅っこに置いてあるベッドの隣に机がある。机には仕事で使った資料が色々な所に挟まっており、自作で作ったパソコンが置かれている。


 この部屋を訪れる目的のほとんどがパソコンを使う為だ。お父さんは皆が使えるように、パソコンの画面端にパスワードの付箋を貼っている。




【love is over 】




 このパスワードはお父さんが好きな歌手の歌の一部らしい。息子の前でもお母さんにイチャつくお父さんには似合わない言葉だ。


 パソコンを開き、ネットワークを起動して通販サイトへとアクセスした。以前まではこのサイトにある弁当を頼んでいたが、敦子姉さんが作ってくれる以上、買う事は無い。


 今回僕が探している物は、敦子姉さんへの贈り物だ。まだ敦子姉さんの好みを把握していないが、事前に目を通しておいて損はない。頬杖をつきながら画面を下にスクロールしていき、気になった物はとりあえずピン差ししておき、一通り見終えたら次のページへと進む。今の所ピン差したのは、ジェンガやパズルキューブ等、全部僕が欲しい物だ。


 


「……ん?」




 とある商品に目が留まった。このサイトは購入した物と関連した物がオススメ商品としてピックアップされる。弁当やジェンガがピックアップされるように。


 だが、僕が購入した覚えが無い商品がピックアップされていた。




「弾ける水とサンサン太陽な彼女 28?」




 詳細を見ると、どうやら水着を着た女性を撮った写真集のようだ。僕はこんなのに興味は無いし、女性のお母さんが買うとも思えない。そうなれば、消極的に誰が購入していたかが分かる。




「……お父さん、こういうの買うんだ」




 ガッカリした訳じゃない。ただ不思議に思った。あんなにお母さんにベタ惚れのお父さんが、お母さん以外の女性の写真集を買うのかが理解出来なかった。


 僕も見れば、お父さんの気持ちが分かるのだろうか? そう思うや否や、気付けば購入ボタンを押していた。届くのは明日の昼頃。弁当や遊び道具以外の物を購入したのは初めてだ。




 14時を過ぎた頃。頼んでいた商品が届いた。小さな段ボールを開封し、中にある写真集を取り出すと、笑顔を浮かべた水着姿の女性が表紙を飾っていた。ソファに座って、コーヒーを淹れたカップを片手に写真集を読み進めていく。


 コーヒーを飲み終えたのと同時に、写真集の最後のページを見終えた。




「これで千円以上か……」




 何も面白くも無いし、何も得る物が無い。正直言って、こんな物を買って損をした。長く続いているシリーズ物らしいが、これを買い続けている人が一定数以上いるという事で、お父さんもその一人。読めばお父さんが何故買っていたのかが分かると思ったけど、結局何も分からない。




 そこで僕は、他人に聞いてみる事にした。自分では解けない難問でも、他人が呆気なく解いてしまう事は珍しくない。




「という訳で、この写真集なんだけど」




 そう言いながら、今日も玄関前に訪ねてきた花咲さんに写真集を見せた。花咲さんは手で目を覆って、か弱いながらも精一杯の奇声を上げた。




「さ、佐久間君!? いきなりどうしたの!?」


 


「いや、分からないんだ。どうしてこんなのを買う人がいるのか」




「私だって分かりません! そ、そんな……破廉恥な本なんて、知りませんから!」




 そう言うと、花咲さんは逃げるように帰っていった。花咲さんは僕と同い年なんだから、僕が分からなければ花咲さんも分からないのも当然の事か。




 そこで僕は、敦子姉さんに尋ねてみる事にした。晩ご飯を食べ終え、食後のお茶を飲んでいる時に僕は写真集をテーブルの上に置いた。テーブルに置かれた写真集を見た敦子姉さんは、頬を少し赤く染めていたが、花咲さんのように取り乱す事はなかった。




「み、水樹君もお年頃だもんね。でも、こういうのはわざわざ報告しなくてもいいのよ?」




「僕、分からないんです。どうしてこんな物を買うのか」




「え?……つまり、水樹君は写真集を買う人の気持ちを知る為に、これを買ったって事?」




「うん。お父さんが買ってたみたいで。お母さんにあんなにベッタリくっついていたのに、お父さんはお母さんじゃない女の人の写真集を買い続けていたんです。その理由を知りたくて」




 敦子姉さんは腕を組んでしばらく考えた後、真剣でいながらも柔らかな表情で僕に尋ねてくる。




「水樹君。愛情と好きって、実は別物なんだよ」




「愛情と、好きは別?」




「そう。水樹君のお父さんの趣味は詮索しないけど、多分こういうのが好きなんでしょうね。お母さんと、この写真集の女の人は似てる?」




「全然。こんなに背は高くないし、胸も無いです」




「アハハ、ズバり言うねー。でも、お父さんはお母さんにベッタリだったんでしょ? 好きっていうのは、一方的に向けるもの。愛情っていうのは、相手を想う事。例えば恋愛。好きな人が別の人を好きになったら、怒ったりへこんだりするのがほとんど。だけど、本当にその人を愛していたなら、例え恋人になれなくても、その人が幸せになる事を祝福するの。お父さんは写真集が好きだけど、お母さんを愛しているし、多分お母さんもお父さんの趣味を知っても、愛は無くならないと思う。まぁ、少し怒っちゃうかもだけど」




 敦子姉さんなりに考えて、僕に説明をしてくれたのだろうけど、やっぱり理解出来なかった。本当に相手を想っているのが愛なら、その人にだけ愛と好きを向ければいい。そうした方が、自分も相手も、不安や不満を募らせる事は無いだろう。   


 僕なりに頭の中で考えていると、果実のような爽やかで甘い香りが僕を包み込んだ。顔を横に向けると、目と鼻の先に敦子姉さんの顔があった。いつもよりも近くで見る敦子姉さんは綺麗で、写真集に載っていた女性よりも興味が湧いてしまう。




「急いで理解しようとしなくてもいいの。好きと愛がどう違って、愛情がどういうものなのか。これから分かるから」




 敦子姉さんの鼻の先が、僕の鼻の先にくっつく。数秒の静寂の後、顔を離した敦子姉さんは、僕を真っ直ぐと見つめながら微笑んだ。

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