第272話


*納屋



 イラーザに復讐する。ポールはそれに忌避感があった。

 彼の性根にあった良識がそれを思わせたわけではない。


 ポールは盗賊に育てられた。最初から良識と無縁な人生を送っていた。

 子供の頃は、村に斥候として派遣され、戦士に毒を盛った。


 おまえが腹一杯食べられないのは、奴らが独り占めするからだ。食うものがないなら奪い取れ。そう教わって育った。


 それが世の中の常識でないことに気付いた時には遅かった。

 喰えないなら奪う。金が無いなら奪う。仕事だと思っていた。人は騙すために付き合う。裏切るために笑顔で近づく。どっぷり漬かっていた。


 ポールは思い返す。



 親代わりの、盗賊の頭は語った。誰でも裏切っていいわけじゃない。まず俺だ。俺を裏切るな。義理を欠いちゃいけない。


 いいか、命を助けられたらそれを忘れるな。義理だけは返せ。それが人ってもんだぞ。悪党にだって人間だ。

 守らなきゃいけない事がある。おまえだって人間でいたいだろ?


 みたいなエピソードがあったら良かった。

 彼が言われたのは、俺を裏切るなの部分だけだ。ちょっと、頭の中で信頼されるお頭像を作り、遊んでみただけだ。


 その頭は、警吏に捕まりそうになった時、ポールを切り捨てて逃げた。それきりだ。



 ポールは改めて考える。イラーザを、彼女を再び捕らえる役目を遠慮したい理由を。


 嫌いじゃない。あの胆力。あれだけの悪意を見せたのに、命を助けてくれた。だが、それに対して大して感謝の念はない。甘い娘だと思っていた。


 その後の、こん棒攻撃には参ったが、怒りと害意を隠さない姿には感心していた。だからって助けてやろうとは思わない。一体、何が躊躇させているのか。


 それからポールは記憶を巡り、トキオを思いだし、瞬間に汗する。



 あの男だ。あの男とは二度と戦いたくない。

 痺れるような衝撃を感じ、目が見えないと思ったら、腕を切られていた。


 最後の時。あの男は俺たちを殺す気だった。イラーザが声を上げなければ、間違いなく死んでいた。


 ポールは長年の戦闘経験で、マナの動く気配を感じ取れるようになっていた。瞬時に膨れ上がったそれの大きさに、自身を粉々にする力があると感じ取った。


 少しも躊躇していなかった。やるときは殺る男だ。気がついたら殺されている。

 ポールは自身が冷や汗をかいていることに気づき、彼は自身の心の状態の考察を終えた。


 俺は、あいつが怖いからイラーザに再び手を出すことを恐れている。

 仏心が出たわけじゃなかった。



 マカンとファナは、目立たぬ服装でそれぞれ馬に乗って現れていた。


 古びた納屋の周りは管理されていない風情だったが、外に繋がれた二頭の馬が、周りの草を食べてしまい、その辺りは随分とすっきりしていた。



 テーブルに肘をつきマカンは呟くように言った。

「では、おまえたちの命を救ったのはイラーザという小娘ということだな」


「そうですねー」

 ポールは、わざと感慨なく答えた。


「それらに、もう一度関わって貰いたいのだが…」


「やった。勿論ですよ!」

 アクスが弾むように声を上げる。その他も嬌声を上げた。


 古びたテーブルが土間の上に置かれていて、椅子は三つしかなかった。マカンとファナ、対面にポールが座っている。

 他の者は壁際に置かれた木材に腰かけていた。



「あなた方は、命を救ってくれた彼女に、思うことはないのですかね?」

 少女の姿のファナが、ほんの少し不愉快そうに述べる。目は伏せられたままだ。


「ぐふふ…ぐふふ、俺はよ、思ってるぜ!ひいひい言わせてやろうってな!」

 ダルクは、小さなものを抱えて揺するポーズで腰を振る。


「思い知らせてあげるよ。僕の方が何もかも上だってね!」


「ギャハハ、生意気にも俺の命を助けた事を後悔させてやるぜ!」


「俺は目立たねーようにしてたのに、二度も睾丸打たれたからな!」


 アクス、ジム、トーマがそれぞれ愉しげに語った。



「あなたたちは、糞にたかる蠅以上に汚い糞ですね」


「ひどいなファナは。まあ、糞ですけどなにか?」

「ギャッハハ!」

「ぐふっぐふ…」



 ポールも、これを言っただけで、いきなり殺されるとは思っていなかった。だが緊張はしていた。主人の意思に背こうというのだ。

 だが彼は述べた。


「マスター。私としては、この先イラーザに関わるのは遠慮したいのですがー」



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