第249話

*鑑定の祠



 道に描いた線。


 それが事実だったかのように、ガーはロープの上に乗り出した。たいして揺れもしなかった。


 そういうものか。意外と簡単なことだったのか。ライムは思ったが、いざ彼女の一歩目、右足がロープに着地した時に思い知った。


 揺れるんですけど!めちゃ沈むんですけど!キャー!キャー!キャー!

 ライムは心の中で、一歩ごとに叫んでいた。


 手を引いて貰ってなかったら、間違いなく即落ちしてる。彼の手が安定しているので、なんとかバランスを保てていた。


 後ろから突如現れた何か大きな塊が、ライムの足下を横切って落ちて行く。


 あれが狸ザハンマー?勢い余って落ちたのか。これは死ぬかしら。もう走らなくていいんじゃない?


 あはは…止まれないよね。振り向けもしないし。笑ってる場合じゃない。もっと真剣に!ちょっとでも踏み外しちゃダメなんだ!


 そう思い、しっかりしようと思った瞬間に、彼女の足はロープを踏み外した。


 そういうものだ。



 ライムは、もしかしたら落ちないんじゃないかと思っていたが、そんなわけはなく、彼女の下腹をひやっとさせた後、びっくりするほど強力に谷に吸い込まれた。



 あっと言う間もなく、ロープが目の高さに来る。

 終わった。


 ライムは思ったが、腕が抜けそうな程引っ張られる。

 ブラーン。そんな効果音がぴったりな様子で彼女は振り子の様に揺れる。

 ガーは、左手と両足を使ってロープをつかみ、右手でライムをぶら下げていた。


「だ、大丈夫なの?」


「なに、その質問?」


 ガーは軽く笑った。

「このままじゃ大丈夫じゃないから、少し頑張ってね」


 ガーの綺麗な形の目が眇められる。女の子みたいな口の、歯が食いしばられる。ライムは感じる。自らの体重が上方に引き上げられるのを。


 この女の子みたいな細い腕のどこからこんな力が出るんだろう。

 ライムがそう思うほどの膂力が、ガーにはあった。ブルブルと震えてはいたが、その姿勢のまま、彼はライムの手をロープの高さまで引き上げた。


 ライムはロープを両手で掴む。だが、これで一安心とはならない。彼女はこれで、いっぱいだ。ぶら下がっていられるのも、二、三分だろう。


 ガーはロープに掛けた足をといて、ライムのようにぶら下がる。膝を曲げてライムを見て、顎で指し示す。


「ここに足を掛けていいから。ロープに登って」

「本当に?大丈夫?」


「僕はさっき、ライムを片手でぶら下げたんだよ」

「じゃあ…遠慮なく」


 ライムは慎重に右足をガーの腿に乗せる。少しずつ体重をかけるが、ガーの顔色は変わらない。彼の腹筋も相当鍛えられているようだった。

 少年の腿を土足で踏むなんて…。わたしにそういう趣味は無いのだけど。


 体重をじわじわかける。ガーは少し動いたが、問題なかった。それを土台とし、ライムは、腹部まで身体を引き上げられた。


「ふぅー」

 布団を干すような形で二つ折りになり、ライムは息をついた。


 眼下に、ぶらぶらとする不安定な両足。その向こうには遥か遠い地面が見える。切り立った岩、真上から見下ろす木々の頂上、枯れてしまった川床が見えている。

 地上までは百メートルはありそうだった。


 落ちるまでに一節歌えるかな…。

「少し休んでいい?」



「ライム、さすがトキオの仲間だね」

「うん?」


「ふふっ…こんな事になったら、普通の女の子なら泣き叫んでるよ」


「獣人の子でも?」

「あたりまえだよ」


「くふふ、あは、あっはっは、あはははは」

 ライムは無性に笑いたくてしょうがなかった。つられたのか、ガーも一緒になって笑った。


 不思議と余裕ができた。

 谷を繋ぐロープにぶら下がった二人は、冷静に辺りを見回す。


 狸ザハンマーは、残りの二匹が断崖上から惜しそうに二人を見ていた。彼らに綱渡りはできない。ロープを切る知恵も悪意もないだろう。



 後は、このロープを渡り切ればよい。ゴールまで残りは八メートルくらいだった。

 ライムはいわゆる豚の丸焼き状態になり進んだ。


 ガーはライムと向き合う形で進んだ。ぶら下がり、足を延ばして後ろに下がって行く。


 ライムは一瞬、なんのつもりかと思ったのだが、彼が妙に離れない様子から、落ちたら捕まえようとしてくれている事に気付いた。

 そんな、女の子みたいな顔をして…。



 ゴール地点のロープも地面に繋がっていた。垂直に切り立った壁だ。足がかりの一つもない。ガーに引っ張り上げてもらい、ライムは危機を脱した。



 彼女は、緑の濃い草地に膝と両手をついて息を整えている。

 ガーは草の上に座って、ライムの様子を見ていた。彼はとても楽しそうだった。


 ライムも、その気持ちがわからないでもなかった。冒険の成功を実感していたのだ。


「…これでゴールなの?」


 ガーはにっこりしながら首を振った。


 彼は目をハッキリ開いてる時は、つり気味の眉を起点とした凛々しさがあって、男の子のようにも見えるが、笑うと何故か眉毛が下がり、女子そのものだ。


 そのかわいらしい顔で言った。


「まだ全然、一割もいってないよ」


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