第248話
*森
「ライム…」
お姉さんはどうしたのよ?
ガーの、呟くような声にライムは吞気な突っ込みを入れた。
だが彼に緊迫した面持ちで手を掴まれ、すぐに心を引き締める。
ライムもこの歳の割に、いくつもの経験をしていた。火急時とそうでない時の区別はついた。
「もう戻れなくなった。後ろから狸ザハンマーが追って来てる。行くしかないけど…」
ライムは、ガーの大きな瞳に真剣な顔を向け、即座に頷いた。
話しが早い。ガーはにやりと笑った。
本人は男気溢れる表情のつもりだが、とてもかわいらしかった。
「気付かれないよう音を立てず、少し速足で行くよ。本気で走ったら、あっちの方が全然速いんだ」
道を外れて丘を登る。ライムは景色を不思議に思った。
森の様子がおかしい。向こう側が妙に明るいのだ。まるでその先がないかのように。
そのまま進んでいくと、その先に尖塔のような奇妙な形の山が見えて来た。全てが苔むしたように緑に覆われている。
「あれは?」
「目的地、鑑定の祠だ。あそこまで行けたら、彼らは来られない」
ライムは思った。
良かった。体力的に持つ、あそこぐらいまでなら走って行ける。
狸ザハンマーは三匹の群れだった。細く尖った鼻を地面すれすれにすべらせ、匂いをかぎ取っている。
この匂いの新鮮さは、もう近い。そう思ったかどうかは知らないが、一匹が少し早足になった。するともう一匹はそれより早く走り前へ出る。残った一匹は彼らを追い越し、駆けだした。
地響きを起こし、土煙を立て彼らは走る。
それぞれの尾は、その重さを感じさせる動きだった。彼らは激しく揺れるが、そのハンマーはあまり揺れてなかった。
ガーとライムは、既に駆け出していた。
ライムは大口を開けて息をする。坂を登って行くのは思ったより辛かった。
ガーは走るのがとても速い。手を引かれるライムは、自分が手提げバックのように靡いているのではないかと思ったほどだ。
彼女は転ばないようするだけで必死だった。上り坂でなければ転んでいただろう。
手を放して!置いて行きなさい!
恰好良い台詞を思いついたが、言えなかった。
怖くて言えなかったのもあるが、足を前に繰り出す仕事と、息をするので一杯だった。
揺れて散らばる思考の中で、ライムは目指している目的地を見据えていた。
小高い丘の向こうに見えている、奇妙な山には入り口があるようだ。緑に覆われているがその部分だけは真っ黒に口をあけている。
ライムはやはり不思議に思う。目的の山は見え方が唐突すぎる。道の繋がり方がわからなかった。
あれ、どうなってんの?段差がありすぎじゃ…道、繋がってるこれ?
二人は丘を登り詰め、ブレーキをかける。そこはライムの想像通りの断崖絶壁だった。
眼下に谷底が見える。
「行き止まりじゃない!」
あそこまでと言われた緑の山は、まだ三十メートルは向こうだった。
「こっち、早く!」
手を強く引かれ、ガーの方を見て、ライムは叫び出しそうだった。
それは崖の端に結ばれたロープだった。向こうの山まで繋がっている。
ロープの行く先は、緑の塊と化した、尖塔の入り口に真っすぐ伸びていた。
ライムは疑問に思った。
これにぶら下がって行くというのか。獣人って人達は本気か?なんで地面の高さに張ってあるのか。最初に捕まるとき不安定で危ないだろう。
ガーはそこで、驚くべきことを言った。
「この上を走って行く」
曲芸師じゃないです!イラーザならそう突っ込むところだ。ライムが突っ込む前に、ガーは言葉を続けた。
「大丈夫、絶対落とさないから」
藍色の瞳に光を宿して、少し青めの黒髪を風に巻きながらガーは言ったのだ。
なんて奇麗な目で、なんて恐ろしいこと言う子なんだろう。嘘ならもっとそれらしく言って欲しい。
ライムは自分の冷静さが不思議だった。
モンスターはすぐ後まで来ている。彼女は、その地響きを自らの足に感じている。
振り返りたい欲求をライムは跳ね返す。実は見るのが怖かっただけだが、それで一秒早く思い切れた。足手まといになるつもりで来たのではない。
ライムは前を向く。今は彼を信じるしかないのだ。
これは石畳にレンガの欠片で引いた線!そう思い込んでライムは走った。
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