第245話

*獣人の村



 ガーの、自信ありげな表情が消えた。


「やめて、ライム。お願いだよ」


 こんな小さい子に脅され、上に立たれたと思ったライムの機嫌はそれで簡単に直った。


 彼女は、姉のような親切な気持ちになって尋ねる。


「ねえ、ガー。何をしに行くの?」


「鑑定の祠には、時々だけど鑑定盤が現れるらしい。僕はそこで鑑定する。

 なにか…良い才が出たら、そしたら、トキオは考え直してくれるかもしれない。

 連れて行ってくれるかもしれない…から」


「ろくな才が出なかったらどうするの?」

「……そこに一人で行って、無事に帰って来られたら…きっと認めてもらえる…」


「そんな無茶する人、トキオさんは連れて行かないと思う」


「…けど、ライム。僕は今のままじゃ、絶対に連れて行って貰えないんだ」



 ガーの、奇麗な湾曲を描く目が、ライムに縋る。彼女は思った。


 この世の終わりみたいな顔してる。そんな自信なさげなことに、命をかける必要ないでしょう。父さんと母さんがいるのに、なんでそんなにトキオさんについて来たいの?


「どうして…そんなに…」


 ガーは、ライムに視線をやってから、過去を振り返った。




 適度に伐採されて日差しが良く入る雑木林。

 ガーは眩しそうに空を見る。


「僕は奴隷だった。聞いただろ。何をしても棒きれで殴られた。

 大きくなったら高値で売りつける、とかいってたよ。それで躾けられた。

 裸で一晩中外に立たされた事もある。食事だって犬のように食べさせられたよ。

 あいつは、俺は犬を飼ったんだって、言ってた。黒って…名前を付けられた」


 ライムは姿勢を正した。適当な気持ちで聞いていい話じゃない。棒となった木を立てかけ、両手を前に揃える。


 ガーは鞄の前に立ち、視線を落とした。

「僕も、最初の頃は逆らったんだよ。死んでも、殺されてもいいと思って立ち向かったんだ。

 でも彼らは狡くて、ギリギリ殺さないように痛めつけるんだ。

 これで終わりだ。死んだと思っていたのに目が覚めるんだ。


 傷が治るとまた殴られた。

 永遠に終わりが来ないのかと思った。

 本当に痛いんだよ。


 段々心が死んで、僕は痛いのだけが嫌になった。恐れたんだ。

 僕はいつの間にか飼いならされていた。


 逆らう気持ちも、睨む元気も、心の中で悪口いう事も忘れちゃったよ。


 いつか、彼らが間違って僕を殺しちゃう。その時だけを待ってた。

 そんな時、彼は…トキオは現れた。


 あの酒場で怒鳴り声をあげたんだ。

 …最初、彼が誰に怒っているのかわかんなかった。僕は、床に落ちた食べ物を食べるのに忙しかったから。


 酒場でよく起こる、ただの喧嘩だろうと思っていた。彼は、子供が腹すかせてるだろーって叫んでた。自分が子供だって、その時思い出した。


 そう言えば…お腹がすくのも嫌だったな。心が死んでたんだ。体だけが生きてたんだ。そんな気持ちになった事ないだろう?」


 ガーはライムの目を見た。彼女は視線を逸らす事で返答する。



「トキオはね、彼はね…毒を吐きまくったんだ。

 人に言っちゃいけないような悪口を言ってさ…それがちょっと可笑しかった」


 ガーの顔に、そこまでの語りではなかった笑顔が浮かぶ。


「怒って向かって行った冒険者たちを、それは見事に返り討ちにするんだ。皆ね、吸い寄せられるように殴られるんだ。トキオが拳を出した所に顔を出すみたいにね」


 ガーは、目をキラキラさせて語る。


「見てて、僕はわくわくして来たんだ。久しぶりに胸がドキドキしてた。

 最初はね、彼が英雄や、勇者なのかと思ってたよ。正義の味方だよ。でも、ぼんやり眺めている内に、彼が冒険者に見えてきたんだ」


 ガーは時折ライムの顔を、同意を得ようと見るが、彼の藍色の瞳はその時の事を、目の前で見ているようだった。


「僕はね、元々冒険者に憧れていたんだ。出会ったのはクズばかりだったけど。

 僕が憧れた冒険者は自由な人だよ。

 口汚くって乱暴で、妙な拘りがあって、ろくな奴じゃない。でも、一人で生きてるんだ。なんだって決めるのは自分だ。


 彼は思うまま生きてた。

 トキオは女の人だってね、グーで殴ってた。吹っ飛んでたよ!」



 ライムはここまで、姿勢を正し、口を挟まず、ガーの言葉に頷いていたが、そこには眉をひそめた。

 ちょっと…嬉しそうに話すところじゃないでしょ?



 ガーは、明らかに朗らかになった声音で続ける。


「彼になら、なりたいって思った。

 僕はね、ライム。あの時、止まってた心臓が動き出したんだ。

 もう一度、生まれた気がしたんだよ」


 ガーの顔にはまるで屈託がなかった。

 その大きな瞳に木陰を映し、夢のある素敵な童話の話をしているようだった。


「全てが終わって、彼は僕に近付いて来た。


 僕は勇者らしい発言なんか待ってなかった。そしたら彼はこう言ったんだ。


 冒険するかって?

 キューンとした。気絶するかと思ったよ。


 僕はすぐに頷いたよ。

 その瞬間、僕は奴隷じゃなくなったんだ。

 彼は魔法のアイテムを一瞬で吹っ飛ばした。


 誰にも手が出せないといわれる呪法を、いとも簡単に打ち破った。雑魚を蹴散らすみたいにね。

 わかるかい君に、その時の僕の気持ちが。

 僕は、その返事をした時から、彼と冒険する運命なんだ」



 マナーを守り、ずっと黙って聞いていたライムだが、イラーザ張りの突っ込みを見せる。


「そんだけなの?」


 ライムはガーの返答を一瞬しか待たなかった。


「あんた、それは単純すぎるでしょう!」



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