第230話
「え、どういう事ですか?」
イラーザが、俺の正面で首を傾ける。彼女は俺の腰辺りで両手をついている。
近いっておまえ。
「彼は、警吏に家族を人質に取られ、裏切りを約束させられたんだろう。
彼は官権に従順だった。おかしな話だけど、それで敵に信用されていたんじゃないかな。
だから、ライムと父ちゃんを連れ出す算段は任された。
彼は、都市壁を越えられたら逃走できるルートを潰してなかった。だから、この船が置いてあった所に人はいなかった」
「なるほどな…」
「でも、トキオ様。二人はあそこまで引き出されてしまっていました。もう、逃げ道は無かったんじゃ?」
イラーザは当時の現状を確認してくる。
そうなんだ。確かにその通り。
でも彼は、その後自分の胸を貫いた。あれはマルーンがいった通り、彼らの要求に沿った上の最大の抵抗だったのだろうか。
自身の潔白を証明する為とはいえ、そこまでするかな…。
そうだ。俺が引っ掛かっているのはここだなんだろう。
俺が消してしまった世界。もう存在しない世界。父ちゃんに言葉を貰ったウエハスは清々しい顔で胸を貫いた。
俺が改編させてしまった。今、彼は生きてるが、あの男気は消えた。
俺が消した。
彼は何を…。
何かの気を引くため。何かのきっかけに…。
結局何も起きなかったが、実は何かがあったんじゃないのか。
最後に彼とすれ違った時、警吏と共に座り込んでいたあの哀れな姿。死を覚悟していた男のそれだったか…。
イラーザに腹を見せたという愉快な執事、年老いた紳士。
オランジェの家で見たという、彼のキャラクターを、イラーザが殊更強く紹介していなければ、ここまでは気にならなかっただろう。
想像で浮かべてみた、腹を見せる姿。
紳士然とした、あの容姿でやられたら驚くだろう。ただ者じゃない。
そして、もう俺しか知らない、彼が胸を貫く姿。
気になってしょうがなかった。
「……すまんが、彼を探してもいいか?」
突然の俺の言葉に、アリアーデは当然の質問を返す。
「何故だ」
「彼が、ただ裏切ったとは思えないんだ。なにか、あったんじゃないかって…」
イラーザとライムは目を見開く。楽しい冒険に出るはずが、危険のあるこの地に留まるというんだ。そりゃ驚くだろう。
俺は言い訳を述べる。
「俺は気が小さいから…小さな事が気になってさ。これだと夜も眠れない」
「行こう!行く、行く!」
「探しましょう!」
「え?」
俺が、乗り気の二人に驚き絶句していると、彼女らはアリアーデの説得にかかる。
「いいよね?アリーは知らないだろうけど、ウエハスさんはそんな人じゃないんだよ。わたしも信じられなかったんだよ!すごく気になってたの!」
アリアーデは、俺の方に目を向ける。彼女にしては優しい瞳だ。
「トキオ。彼の誇りがかかっている。小さな事じゃない。探しに行こう」
残念ながら、既にウエハスは街を出たという。
この情報は得るのは難しかった。他の誰にも頼めない。アリアーデに変装してもらって、オレンジ商会関係者に聞いて貰ったものだ。
茶髪のカツラを被って、色眼鏡をしてもらっただけだが、誰もが自然に敬語を話してしまうような迫力は抑えられていたと思う。
でもその姿も素敵だった。緑系の色眼鏡似合う。なんか色気を感じる。お忍び貴婦人といった雰囲気があった。
オランジェ号で先回りし、行き先と思われる馬車を幾つか止めて聞いたが、彼の行方は掴めなかった。
商会関係者も、彼の立ち回り先もライムから聞きだしたものだ。彼の家族が住んでいるのも、父ちゃんが譲ったとされる家も運よく同じ方角だった。
街道での人探しは、やはりお忍び貴婦人を立てた。人気のない街道で馬車を止めたら野盗を疑われるが、変装して尚、彼女の容姿に不審な感じはない。
逆に、彼女が一人でいると心配されるので、俺は従者のふりをしていた。
その配役はめちゃ似合っていた。
時々タマを掴まれたり、ケツを蹴られたりしてそうだ。
朝のスタートながら夕刻近くまで、有用な情報は得られなかった。でも俺たちは諦めずに空から彼を探した。
実は俺はこの時、誰より高揚していたと思う。ウエハスと長い付き合いがあるライムよりもだ。絶対に成し遂げたかった。
俺が手を加えた事で、無くしてしまったピースを返してやれる気がしていたんだと思う。
俺が妙にエナンに優しいのはそれなのかも知れない。
なにか、これは俺の使命だと思っていた。
高く上がるほど地上は遠くなるが、不思議と距離は詰まって見える。この世界の旅路は大概馬車に乗るものだが、徒歩の旅人がいないわけではない。
安全が保たれた地域では節約派は歩く。
高空からは、ぽつりぽつりと二、三人で行く旅人がよく見えた。
「いた!あれ、ウエハスさんだと思う」
彼女はやはり目が良い。
ライムが、一人で街道を行く旅人を見つけた。一人旅は珍しい。
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