第229話


 青空の下、大きな断崖を望む海岸に三人は並んでいる。


 俺は小屋を収納した。


 アリアーデは感心する。

「凄いな、本当にしまえるのだな。最初から何もなかったようだ」


 規則性のある敷石だけを残し、忽然と小屋は消え失せた。その景色を眺めるため、俺も彼女らと並んだ。


 波打ち際に四人で立ち、何も不思議なことがなくなった、ただの断崖を見上げる。

 あの上にヨウシの街はある。


 ライムが振り返り海を指さす。

「あっちに行くんだね。海の方に!」


「いやいや、まずはガーの村に行くから、山だ」

 俺は答える。


「楽しみです。道標を見つけた私が、あの時…目指した場所です」

「そうだね、姉さま。どんな所なんだろうね」


「獣人の村、噂では聞いていたが」

「じゃあみんな、行った事がない町だね!」


 ライムは、期待に胸を膨らませた子供らしい笑顔を見せていた。屈託がないってヤツだ。今回の事で屈託が生まれないとは大した奴だ。


 …さっき、アリアーデにパンを届けさせたからかな?


 断崖の上、都市壁に張り付いて建つバラックの子供たちに、マルーン邸から頂いて来た食料やらをプレゼントしたのだ。

 勿論、足のつかない物を吟味した。


 アリアーデにその役を頼んだのは、俺もライムもイラーザも。この街では咎人だからだ。関わっては彼らに迷惑になると思った。



 全員で行って、アリアーデに託し、俺たちは陰から様子をこっそり見ていた。


 子供達は皆大騒ぎ。まるで天使が降臨したような騒ぎだった。子供たちがお腹を満たし、彼女を天界の者のように慕う様子を、俺たち三人はうっとり見つめたんだ。



 俺はライムの頭に手を載せる。

「ここに、また来ような」

「うん!」


 俺は船を出す場所を探していると。アリアーデが崖上を眺めながら呟いた。


「結局の所、我らはこの街に居場所はない。追われる身のはずだが、なにか切迫感がない。なんだろうか」


「わくわくだよ!新しい世界への旅立ちにわくわくしてるんだよ!」

 ライムは、自分と同じ人を見つけたようで、ジャンプしながら手を上下に振ってしゃいだ。


「私は、そんなでもないです」


 イラーザは最年長らしく、すました顔で大人ぶっていたが、俺は見逃さない。彼女は浮き足立っている。

 いつも、いつの間にか背景に埋没してしまう姿が、今日はよく見えている。動きに落ち着きがないんだ。


 皆、それはそれはキラキラしてた。

 女子三人。黒髪、白銀の髪。淡い緑を放つ銀の髪。海風に髪をなびかせ、冒険に出発する思いに、それぞれが胸をときめかせているんだ。


 笑顔、笑顔、笑顔。ああ、最高…。



 でも俺は、ちょっとおかしかったんだ。なにか、胸がちりつくんだよ。最高の気分のはずなのに何かが…引っかかっていた。


 気のせいだよな。俺の人生史上、今は絶好調といえる瞬間だ。


 俺は微妙なひっかかりを胸にしまい、船を砂浜に出した。三人はそのキャラクターなりに、小躍りして乗り込んだ。この船は四人くらいなら難なく乗れる。



「これはオランジェ号。ライムの父ちゃんが逃避行に用意した船だ。見ろよ。荒波被っても平気なように、こんなに覆いがデカいんだぞ。

 父ちゃんは、おまえと行く気だった。海の化け物を恐れずにな」


 いきなりライムに抱き付かれた。

 彼女は何も言わない。顔を見せないようにしている。泣いてしまったんだろう。俺はよしよしと頭を撫でてやる。


 切なくなるようなことを突然言った俺が悪い。好きなだけ鼻水をつけたらいい。

 というか、言い出しといて。なんか実は俺も泣きそうになっていた。



「…さあ、行こう」


 俺は重力を操作する。船は空中を滑り出す。息の長い風魔法を放出する。グイグイ上空に昇り詰める。

 崖の高さを越え、都市壁に囲まれた街が見える。オレンジの屋根瓦たちがモザイクのように目に映るが、一瞬で遠ざかった。



 なんか胸が苦しかった。


 大切な何かを忘れてしまっているような気がする。友達に借りた、大事な物を返して無いような嫌な気持ちだ。


 100円借りても忘れられない、小心な俺には耐えられない。



「どうした…トキオ」


 風で踊る銀髪を押さえたアリアーデが俺の顔を覗き込む。心の色を感じ取れない銀眼が俺を見据える。


 うわ、チューされちゃう。そう思わせる動作で彼女は俺に顔を寄せた。

「漏らしたのか…」



 …アリアーデ様。心配してくれてありがとう。仕方ないけど君の中の俺は、尻の穴が大分緩いんだね。


「違うよ」



「トキオ様、どうしたんですか?」


 イラーザが手をつき、四つん這いで前進して来た。船内は割と広いが、解放されている間口は狭い。ぐいぐい来られるとすぐ接触してしまう。

 こら、なんだ。足の間に入って来るな。


「んん?」

 前を見ていたライムも振り返って寄って来た。もう泣き止んでやがる。


 後ろから前から、六つの瞳が俺を覗く。なんか追い詰められた。何も隠し通せない気がして、俺は引っ掛かっていたことを漏らしてしまう。



「あの、執事が…」


「えっ…ウエハスさん?」

 ライムの、輝いていた緑の瞳が瞬時に曇った。



 やっぱり捨て置いていけない。胸が詰まる。俺は、思っていた事を述べる。


「彼は裏切ったが、裏切ってない気が…」





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