第227話



*瀟洒なホテル



「治癒の光を見られたら、彼に私だとばれてしまうからね!」


 マカンの声は上ずっていた。早口でもあった。


「はあ…」

「私はね、久しぶりに、命をかけたんだ!」


「生命を、ですか…」

「そうだ!青二才の小僧のように命を張ったんだ!」


 ファナは、口を開くごとに興奮して行くような、マカンの異常なテンションに引いていた。もう、黙って彼の話を聞くことにした。



「喉が…ひりつくほどの興奮を覚えたよ。唾がうまく飲めなかった。癖になりそうだよ。死を予感し、生を感じていたんだ。


 実際ね、彼があの時、気まぐれに私の首を刈っていれば、私は間違いなく…死んでいたんだよ!」


 マカンはファナの方に向き直り、目を見開き語る。彼が上げた声は、もはや叫びに近い大きさだった。


「この私が!この世から、消えていたんだよ!凄い、凄い事だよ!」



 マカンは息を荒げている。かなり興奮しているようだ。身体を捩じり、舞台上の役者のように大袈裟に両手を広げ、胸を開けていた。


 彼の顔は明らかに上気していた。普段の紳士然とした風からは想像つかない程、彼の口は大きく開く。

 歯並びの良い歯をむき、口中の闇を見せて笑った。


 ファナは、彼に一口で食べられてしまいそうだった。


「お前を放っておいて、悪かったね」

 彼の独白には、それこそ役者のような抑揚があった。今は声を潜め、優しい声を用いていた。


 ファナは混乱していた。マカンが何をしたかったのか、まるでわからなかった。彼と対峙する練習でもしていたつもりなのだろうか。


「一体、あなたは…何をなさりたかったんですか?」


「私は…彼の手を握ったんだ!」



 ファナは、それを聞き全てを理解した。



 彼の手を握った。


 男同士で喜ぶことではないが、ファナはそれを聞いて、彼が異常に興奮している理由がはっきりとわかった。


 あの謎の男の能力を奪いたい彼にとって、最重要な課題だった。だから命を懸けたのだ。


 彼の憑依は相手を選ぶという。

 それは手を触れればわかるとマカンは以前言っていた。



 マカンは大きな笑顔を消し、小さな笑顔で彼女を見つめている。

 その大事に、気づいただろう彼女の様子を観察していた。



 ファナは昨夜の騒乱を思い返す。彼女はそれを見ていた。彼がそうだとは気づかず、その様子を見ていたのだ。


 手首を飛ばされた騎士がトキオの前に跪き、手首をつなげて貰う様を。

 憮然として、一礼もしない者がいる中で、感謝して手を取るものもいた。



 あの列の中に、この男はいたのだ。


 なんと恐ろしい男なのか。

 まるで気がつかなかった。


 ファナは息を飲んでしまった。死を持たない彼女にとっては、この世の何もかもがそれ程重要でもないはずなのに。背筋が凍った思いがしたのだ。



「どう…だったんですか?」


 彼女の、少し厚みのある唇から生じた声は、僅かだが上ずっていた。


 マカンの表情は、スローモションのようにゆっくり変化した。頬の肉が持ち上がり、口の端が左右に伸びて行く。


 今度は歯を見せずにマカンは笑った。唇の湾曲が強い弧を描く。



 是だったのだろう。



 おかしな姿勢でソファーの背に座る姿。バルコニーからの逆光に包まれた彼は、手足の細長い蟹や蜘蛛の化身の悪魔に見えた。


 ファナは震えた。

 生きる気力がない、心の薄い自分がどうして緊張したのか、理由が判明した。


 彼女の中では、マカンは無敵の魔人である。

 唯一、この男に立ち向かえそうだった男の力が吸収されてしまったら、彼に勝てる人はいなくなるのではないか。そう思ったのだ。


 彼は、趣味を優先させている為、イースセプテン国を統治してはいないが、その気になれば三日とかからず王位を手に出来る。


 その下地を彼は既に完成させている。

 このように遊び歩いても地位は盤石なのだ。愉しみはとっておくタイプだ。よく肥え太らせてから刈り取る。


 ファナはそう思っていた。



 マカンは窓の外に目を向け、楽しそうに笑っていた。


 何か、残酷で皮肉が効いた場面、彼が心から賛美できる世界でも思い描いているのだろう。



 ファナは、少し開いていた目を元のように伏せる。


 やはり、私には関係ない。彼女の心は落ち着きを取り戻していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る