第221話



 黒イソギンは、触手を除いた体長が五メートル程、体重は三トンぐらいだろうか。大量に海水を含んでいるようで、正確には計れそうもない。


 砂浜の上に引き出し、空中に晒したまま火炙りにするとおいしそうな匂いがしてきて、そのうち絶命した。



「アリアーデ、おいしそうな匂いするけど食べてみる?」


「やめておけ。毒かも知れんだろう」


 こんなセリフだが、アリアーデの表情に嫌がる素振りはない。いつもの感じだ。極めて淡々としている。

 なんか彼女の、この感じが好きな気がしてきた。



 そういえば、この世界で俺は海鮮を食べていない。海はモンスターの領域で、人が進出していない。少し油臭かったけど、海鮮を焼くような匂いもした。


 イカの丸焼きを思い出し、少々涎が垂れそうになる。



「助かった。礼を言う。それでどうだ……まだ私を抱いていたいのか?」


 ああ、そうだった。エナンは頭から砂浜に降ろしたが、アリアーデは抱いたままだった。

 俺が手にした物は自身と同じで、フレキシブルに重力を操作できるので何時間でも持っていられる。


 売り物になるのかよくわからないが、黒イソギンを収納にしまう。捨てたりしない。嫌がらせにだって使えるし。



 俺たちは、ほどなく海辺から出発することになった。エナンの集めた大量の薪が無駄になるが、こんな危ない場所にはいられない。


 陸路だ。よく考えると馬が二頭もいるし、手を繋いでいくのは難しすぎる。大きな魔石灯を使い、夜道を明るく照らしてして行く。



 俺はアリアーデの後ろに座って魔石灯を掲げる係だ。腰の形を確かめたり、匂いを嗅いだりとか、そういうセクハラはしなかった。

 今回は自重した。


 だって、道中のエナンの様子が哀れすぎた。


 彼はめっきり元気を無くしていた。馬を駆る姿が処刑場にでも向かうようだった。魂が口から抜けている。見えるようだった。


 愛しい人を守ろうとして、逆に危機に陥らせたんだ。凹む気持ちもわかった。そっとしておいた。




 夜明け前にシカランジの町に着いた。


 城の門前で、馬を降りたエナンはずっと下を向いていた。俺もアリアーデも不審に思い様子を見る。


 彼は、思い切るように顔を上げた。


「アリアーデ様、私を…救おうとか思うのは決してしないで頂きたい…二度と」


 それはめっちゃ小声だった。

 あ、しまった家にハンカチ忘れた。みたいな。どうでもいい忘れ物をした、呟きに聞こえたぐらいだ。


 だが、アリアーデの耳は言葉を正確に捉えたようだ。

「エナン、私は…」


 エナンは、アリアーデの言葉を待たず走り去った。

 失意のうちに走っていく金髪騎士。少年かよ。


 アリアーデは黙って見送る。風に髪がふわりと靡いた。彼女の銀色の髪は、夜明け前の空に青く染まっている。


「ムカッとする所もあるし、バカだけど、前しか見てないようなアホだし。悔しがってる時は顎に梅干し作るし、顔がイケてるようでいて全然そうでもないし、子供みたいな精神性で、誇りとか微塵も感じさせないけど、片鱗はあるんだ。おまえの騎士ではある」


 ついつい、余計なことを語ってしまった。


 アリアーデは振り返った。

 肩くらいまでの銀髪が頬にかかる。アリアーデの銀の瞳は、辺りの色をよく映す。今はやはり青く見えた。


 その姿に息を飲んでしまった。

 笑顔だったんだ。


 殆どが悪口だったのに、どういう…。

 読み取った笑顔でなく、本物の笑顔だった。


 笑顔にこんなに破壊力がある人間がいるだろうか。普段人形のように変化がないからなのか、鮮烈さに心を奪われた。


 目をほんの少しだけ細め、うっすらと口が笑みの形を作っただけで。俺の心臓を掴んだ。翼竜の足についてるような、荒々しく武骨な鉤爪で。


 アリアーデはその表情のまま、手の背で俺の胸をうった。



 エナンから知らせを聞いたのか、城から家人たちが駆けて来るのが見える。

 アリアーデは彼らの方に、歩いて行く。


 ちょっと、彼女のリアクションの意味がわからなかった。


 俺は呆けた顔のまま考える。

 突っ込みなのか?言いすぎだぞ的な?


 でも悪くはなかった。

 時々その顔を見せてくれるなら、何もいらないと思うほどだ。



「アリアーデ!」


 俺は彼女に小走りで追いつき、声を掛けた。同時タイミングで、集まっていた家人が一斉に、俺を見る。


 従者、メイド、家令、馬番、衛兵、爺、彼女の無事を喜び、周りに集まっていた全員の敵意を目の当たりにする。


 呼び捨てかな?お嬢様を、主人を、出所不明の男に呼び捨てにされたら怒るよね。

 まあ、俺は婿に入ろうとか思ってるわけじゃないし。気にしない。


「アリアーデ、俺は戻るよ。イラーザたちをこれ以上放っておけない」

「では私も行く」


 間髪入れずに、彼女はそう答えた。家人が一斉に青ざめる。


「アリアーデ様!」

「お嬢様!」

「なりません!」


「これから私の心配はいらない。それを告げるために戻って来た。

 用は済んだ。後は兄上にお任せする」


 愕然とする家人に囲われた、アリアーデは声を張った。


「アリアーデ・グレン・ディランドは、先の戦役の負傷が原因で今日死んだ」



「…アリアーデ様!そんな!」

「ご無体な…」

「お前たち。この先、私の窮状を知っても駆け付ける事はない」


「お嬢様!なにを勝手な…」


「だが、お前たちの危機には、地獄から戻って駆け付けよう」



 家人の不平の言葉が止まった。


 ミドウ領の危機から逃げださず、立ち向かった。可憐で美しい姫君の、見捨てて行くつもりのまるでない言葉に胸をうたれたようだ。



「さらばだ」


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