第220話



 座った位置に対する、アリアーデの疑問には答えなかった。

 彼女は、暫く俺に目を向けていたが、その銀眼を炎の方に戻す。


 焚火に照らされ、明滅する横顔がとても奇麗だ。金髪も悪くない。


 エナンの奴に教えてやりたいぐらいだが、奴は俺に狛犬のような顔を向けている。なんだったっけ、あんぎゃだか、うんだか?ここは神社の入り口か。



「ところでトキオ、何をしていたんだ」


「いや…着替えないかなーと思って」


「ふっ」

 アリアーデは笑った。



「チッ…」


 こらエナン、舌打ちやめろ。おまえのフォローのつもりだろーが。


 ここにいても…しょうがないかな。


 彼の想い出もダメにしちゃったし。二人には飛ぶことも知られてるし。やっぱり城に飛んで帰ろうか。言おうとしたところだった。


 背後から、細波と違う水音が響いた。



 波を割って何かが迫る。その黒い触手は真っすぐにアリアーデに向かっていた。やはり暗い海から見ても彼女は光輝いて見えるのだろう。


 海中から次々に黒い触手が伸びるが、その全てが彼女に向かう。

 にょきにょきと林立し、長さは十メートルを超える。その太さはまちまちだが大物では、直径二十センチ以上ありそうだ。


『超速』



 俺は、砂を飛ばして立ち上がると剣を抜き、切りつける。


 人の手首を人参のように切り落とせる高速の一撃だが、ぬるぬるとした物質が刃を防ぎ、断ち切ることができなかった。


 俺は即座に剣をしまい、魔法を構築する。風を集めて、真空の刃を作り出す。


『かまいたち』


 僅かばかりの組織片が触手から飛ぶ。両断できない。魔法の一撃でも、傷つけることしかできなかった。


 敵のぬめぬめ保護膜は風にも強いらしい。これは氷でも、炎でも通用しないだろう。威力を上げればいけそうだけど、乱戦ではその余波をこちらも受ける事になる。


 断ち切れはしなかったが、触手がアリアーデに向かう勢いは反れた。


「トリャー!セリャー!」


 金髪に青い目、王子様風の容貌のエナンだが、それに似つかわしくない武道家のような奇声を上げて、果敢にも触手に立ち向かっていた。



 違うだろ。

 なんか似合わん。誰かあの男にプロモーション指導してやればいいのに。


 エナンは剣を力強く左右から振るうが、やはりぬめぬめとゴムのような感触に刃を阻まれているようだ。


 何本かの細い触手が暗がりの砂浜を這い、エナンの足首を捕える。


 巻き上げられ、海に引きずり込まれそうになるエナン。

 彼の危機を見て取ったアリアーデが、それに飛びついた。


 彼女は、まるで軽い物の様にエナンを陸側に引き寄せる。


 エナンは兵士として問題のない屈強そうな体型をしている。更にいえば鎧をまとっているが、モンスターと羽枕を奪い合うような様だった。


 触手には柔軟な伸縮性があるようで容易には振り切れなかった。アリアーデはエナンを片手で扱い、小脇に抱えるようにして長剣を振るう。


 アリアーデの剛力が乗った長大な剣は、触手を地面にめり込ませた。

 一瞬、断ち切れたかに見えたが。砂がクッションとなったようで分断できていなかった。


 その間に、別の細い触手がアリアーデに迫り彼女を捕える。白銀の妖精のような少女が黒い触手に弄ばれ空中に運ばれてしまう。



 俺は焦った、時間停止を使おうかと思った程だ。


 だが、俺の脳はいきなり素晴らしい手を思いついたんだ。絶対に勝てる算段だ。俺にしかできない禁断の手だ。


 それのお陰で、俺の心にはちょっとした余裕ができた。

 アリアーデに目を向ける。


 彼女のとてつもない膂力に、巻き付いた触手はちぎれんばかりに引き伸ばされているが、四肢を捕えんとする動きはいやらしく彼女の身体を這いまわる。


 アニメのお色気担当とは全然違う、清楚なさまのアリアーデに黒い触手が這い回る。ああ、凄い…。


 彼女の白く輝く姿。焚き火に映えて黄金に輝くハイライト、ヌメヌメと光り蠕動ぜんどうする黒い触手。

 さしものアリアーデも涼しい顔はしていない。

 アリアーデ様の胸が強調されて、おお…なんて背徳感のある、神々しいエロなんでしょうか。


 彼女は未だエナンを手放していない。見ると金髪騎士も、いい感じであの辺を締め上げられている。


 見る人が見たら楽しいのかもしれないが、俺には気色悪いだけだった。やめて欲しい。美しい絵が半分散った。



 俺は、それを間近で見る為に彼女のそばに近寄った。


 いや、違う。アリアーデを救うため近付き、彼女を海中に引き込もうとする黒い触手に触れる。


 俺は対象に触れないと操作できないんだ。敵の重力を操作する。アリアーデを苦しめる触手の動きが突然緩慢になった。自身の異変に気付いたのだろう。


 海上や海辺に現れた獲物を、自由が効かない海中に引きずり込んで、ゆっくり賞味する。今まではそういうやり方だったのだろうが、今回は俺の番だ。



 海中から引きずり出してみると、イソギンチャクのような構造のモンスターだった。形はウミウシに近い。


 うねうねと身を捩り、テリトリーから引きずり出された苦しみを表していた。


 重力操作の対象外である体表についた水が海面にじゃばじゃばと落ちて行く。

 俺は触手の根元を狙って火魔法を放つ。


 放つまでもなかった。黒イソギンはいつもと逆の立場にとっくに戦意を喪失していた。触手はすぐにアリアーデを手放した。


 俺は空中で彼女を抱き留める。


 エナンは海中に落下する寸前で足を掴んだ。

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