第219話



 俺は、岩陰からこっそりと二人を伺う。


 アリアーデとエナンは、炎に照らされ闇夜に引き立っていた。



 エナンは手頃な流木を手に、焚火を調整している。パチパチと巻き上げられた火の粉が上がる。

 彼の脇には、そんなに要らんだろって量の、流木の薪が山と積まれていた。


 そんなに集めて…おまえ。文化祭の後夜祭かよ。手を繋いで踊る気か?

 犬がボールを追いかけて戻ってくるように、必死で集めた姿が目に浮かんだ。


 先に、二人は絵になってると言ったがそれは訂正しておこう。

 アリアーデは神の領域だ。エナンはただの人間だ。ちょっと整っているだけ。


 麗しの女神と、ちょっとイケてるパンピーが、焚き火を囲んでいる姿でしかない。



 エナンは、焚き火を整えているようでアリアーデをガン見していた。

 いやらしい男め。

 ――と言いたいところだったが、彼は俺と違ってガン見はしていない。ちら見だ。これではイラーザに視姦していたと断言はされないだろう。


 視姦は俺だけか…。



「アリアーデ様、ご無事で何よりです」

「ああ…心配かけたな」


 アリアーデは普通だった。いつも通り淡々としている。


「アリアーデ様、本当にご無事で何よりです」

「ああ…」


「ツェール様も心配なさっていました」

「…そうか」


「出会えてよかった」

「そうか…」


「アリアーデ様、ご無事で何よりです」

「ああ…」


 エナンはコンマ一秒しかアリアーデを見ない。炎越しにそれじゃ目に焼き付けられないだろうに。

 いや、どうだろう。もしかすると一瞬の残像の方が焼き付くのかな。


 エナンは炎に照らされて、朱に染まっているのかと思ったが、どうやら頬を染めているらしい。



 愛する人と、二人きりの夜。彼女は領主の娘、お貴族様。自分は一介の兵士。手の届かない禁断の恋。きっと彼には忘れられない夜になるのだろう。


 観察してみると、アリアーデに仲睦まじい様子はなかった。いつも通り感情が見えない。というか、いつも以上に感情が無い。

 エナンが一方的に仲睦まじかったようだ。勘違いしてしまったな。


 そうだよ。この娘は俺のパンツ洗おうとしてくれたんだよ。

 並じゃない愛情を持ってくれているんだ。 だよね?


 恋愛感情を測るデータとしてはあまりに逸脱したエピソードとは思うが、俺にとっては美しい思い出なんだ。言われたんだ。



 しかし、エナンよ。台詞が単調すぎるぞ。彼の空回りが哀れすぎる。



 無くなった世界での事だ。

 エナンは、この男は、アリアーデを護るため、最後の献身を捧げるため行動したことがある。


 彼女の命令を聞き、そして聞かなかった。

 心無い俺でも泣けるシーンだった。


 剣を掲げ、馬を駆って行く姿を今も覚えている。

 一人、大軍に向かって行った。大地を蹴る馬に揺らされても、まるでぶれない視線の向こうに彼女はいた。

 こいつの事だ。ウニのように剣を刺されてもアリアーデに届いただろう。

 きっと、その心臓が止まっても彼女から離れなかっただろう。


 敵兵もたじろいだはずだ。



 こいつが彼女に不逞を働くことはまずないだろう。せいぜい、一秒くらい見つめちゃうくらいだろう。

 そのくらいなら…許せる。


 俺に、不思議な優しさが芽生える。夜明けまで放っておいてやろうと思った。

 こっそり、その場所を後にしようとする。



 俺はここに無音で近づいた。地面に足を付けず移動したんだ。忍者にも不可能なチート業だ。そしてそのまま離れようとした。一切、音はさせていない。


 なのに、無駄に気合の入ったエナンは首を回し、俺を発見してしまう。

 おそらく五分に一度、ああやってレーダーさながら周りを調べていたのだろう。


「何奴だーー!」




「…よお、エナン。久しぶりだな。元気か?」


 間の悪いやつだ。仕方なく俺は姿を見せる。見つかった以上はしょうがないだろう。逃げるわけにもいかない。



「…貴様は!」

「トキオ」


 エナンが剣を抜く。

「おのれ妖怪め!まだアリアーデ様を諦めておらんのか」


「エナン、剣を収めよ。兄上からも通達されたはずだ。この男はわが領の恩人、客人であると」


「しかし、アリアーデ様…こいつは闇に乗じて近づいてきていたのですよ」



「…トキオが我らに、何をするというのだ」


「覗きです。きっとアリアーデ様の着替えを覗き、その白く美しい柔肌に視線を絡ませながら不埒な行為をしようとしてたに違いありません!」



「用意しておらん…着替えなどせんぞ」


「では、そのお姿のみで行おうとしていたのでしょう。お召し物の上からでもアリアーデ様のお体の魅力は隠しきれない。その張った胸元、きゅっとしまった腰。材料は十分なのです!」


「…エナン黙りなさい」

「ハッ!」




 辺りには海と丘しかない。人造の建築物が一切ない海辺に、焚火がオレンジ色を灯していた。燃えさかる薪が、時折立てる小さなざわめきと波音だけがあった。


「トキオ、何故そんなところに座る」

「………」



 アリアーデはエナンが設えただろう、椅子代わりの丸太状の流木に座っていた。長さが一・五メートル程あり、確かに二人で座っても窮屈感は無さそうではあった。


 でも俺は、そこに座るのを避けた。

 いや、だって、なくない?



 エナンは立場を理解してか、地べたに座ってる。その対面で仲良く椅子に掛ける。それだと上級カップルと下男みたいな配置にならない?


 それでなくても、エナンの一生の思い出を邪魔しちゃったのにさ。


 ちらと彼に目をやる。エナンは、憤怒の表情を浮かべている。俺を睨む時間はコンマ一秒どころじゃない。


 全然、分だ。ミニッツだ。



 

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