第216話
*海辺の小屋
あっという間に夜空に消えてしまったトキオに、手を伸ばしながらもイラーザは笑っていた。
トキオ様…なんて面白い人ですか。
飛んで行かれては探しにも行けないが、彼を心配する必要は無い。イラーザはライムに目を向けた。
ドアから漏れた明りに縁どられながら、ライムは呆気にとられていた。両手が中途半端に上がったまま止まり、それが心情を表しているかのようだった。
イラーザは口元を引き結ぶ。
この場は私に任せたという事ですね。お任せください。
じゃあ出て行きなさない。子供だからって甘ったれるな。
言ってやります。自分が傷ついたからって、誰彼構わず噛んでいいわけじゃない。
もうあなたは、お嬢様じゃないんです。
今日の件は、トキオ様が選んだ道しかなかった。それが嫌なら家に戻るとよいです。
あなたが戻れば父親は、やはり国を捨て逃亡を図るでしょう。今夜の様子を見なさい。それは決して上手くはいきません。
親友であっても裏切らねばならない事態なのです。どう立ち回ろうが、必ず父親は断罪されます。
あなたは貴族の予定通り、奴隷として売却されるでしょう。一家離散、財産没収、あなたは別の国へ。
あなたに甘々のあの父親は、その結果に耐えられないでしょう。復活できない。きっと壊れます。
それを知った母親と兄はどうでしょうか。果たして幸せに暮らせるでしょうか?
それ以前に、あなたと逃げる為の離縁という経緯を貴族に知られれば、財産を隠したとも思われるでしょう。
あなたの母親と兄は父を失い、身ぐるみ剥され楽しく幸せに暮らしましたとさ。
――ってなると思っているんですか?
トキオ様が興味本位で、あなたをお金に換えてみようとした。
父親は、お金を払ってでも、娘を自らの手で断罪しようとていした。しかし、折り合いがつかず決裂する。
あれなら、父親らが作ったシナリオ通りでいけるんです。
今回の惨事の全ての要因は、横からあなたを奪おうとしたトキオ様。
父親からも警吏からも、力づくで奪った。全くの横暴でした。
あなたの父親は愛国の被害者。決して悪の仲間じゃない。なにしろ炎までかけられたんです。皆見ていた。彼を疑う人はいない。これからもやっていけます。
あなただって魔人の仲間には見られなかった。勾引かされた可哀そうな子供です。噂はどうあれ、皆そう思ったでしょう。
トキオ様がしたのはそういう事です。大損ですよ。彼に何の得があるんですか?
イラーザは言いたいことをまとめる。今回は、独り言は自粛していた。
改めてライムに目を向ける。彼女は全て言ってやろうと思っていた。
ライムの涙は止まっていなかった。止めどもなく零れ落ちている。
手は拳を作り、腰の横で震わしていた。肩は怒り、口はひょうたんのような形を作り、その下には梅干しが作られている。唇が震えていた。
イラーザは、いざと口を開いたが、また閉じた。
この子は言う事があるようだ。どうしても…言いたいことがあるんだ。
その言葉は…。
「…ごめんなさい」
「…あなたはトキオ様が、あなたの父親に魔法を放つ時、愉しんでいたと思いますか」
「そんなこと!」
「そうですね。あなたには…わかりますね」
あなたは、いいように考えるバカな子です。
この小屋が、都市が鎮座する崖の上からは見えない位置にあるとしても、明りがこれ以上人目につくのはまずい。
そう思ったイラーザは、彼女を導き、トキオが空けてくれた小屋に二人で入った。
小屋には大きな魔石灯がある。ドアを閉めると、砂浜に浮かんでいた四角い明かりは消えた。後には青く泡立つ白波だけが闇に浮かんでいた。
イラーザは少しだけ考えた。彼はどこへ行ったのだろう。
女の子が飛び出す前に、飛び出して行くなんて人、見た事ありません。
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