第214話



*倉庫街


 騎士隊長は素早くマントを脱いで火を叩き、地を転がるオランジェの消火をした。


「これは…重傷だぞ、水を持って来い!」


「おい、水だー!」

 騎士たちが伝令のように伝える。


「誰かポーションを持っておるか」

 騎士隊長は近くに来た従者に尋ねた。


「すみません、予備はもう…さっき使ってしまいました」


 従者は申し訳なさげに応える。これはどうしたものか。自分も止血に使ってしまっていた。隊長は辺りを見回す。



「私が持って…」


 まだ煙を纏っているオランジェが、かすれた声を上げた。


「おお、流石商人、用意がいいな」


 オランジェは腕を回し、ベルトに差していたポーションを隊長に渡す。

 隊長は手慣れた仕草で彼にポーションをかけた。焦げた髪は元に戻らないが、皮膚は健康な色合いを取り戻して行く。



 騎士隊長の目に全壊した馬車が目に入る。 そこで彼は思い出す、守らねばならなかった者の事を忘れていたことに。


「治療士はどこかーー!」


 街路を突き抜けて行く声に、隊長の火急の意思はすぐに部下に伝わった。


「治療士だー!治療士を連れて来い!」

「ポーションをかき集めろー!」


「街中を回れーー!」




 一階はレンガ造り、二階は木造。この辺ではよくみられる様式だ。

 この建物は卸問屋を営んでいた。とっくに営業は終わっていたが、怪我人がいるという事でかんぬきを開けさせられたのだ。


 店の留守番らが黙って目を向けている。違和感のあるシーンだった。

 商店の空きスペースで若い娘が、戸板に乗せられた男の股間に手を当てているのだ。彼女の顔は真剣だった。


 治癒魔法の光が灯り、その一角が明るくなる。



 それまでは苦し気に、額に玉の汗を浮かべていた男だが、股間が光に包まれると恍惚の表情を浮かべた。


「うう…ふうぅ…」

 男が吐息のような、愉悦のような気味の悪い声を上げる。


 妙齢の赤髪の娘は、微妙に顔を背けた。若干不快そうだ。


 男が口を開く。

「うう…もどかしい。やはり直接見て貰った方が…治療魔法は、患部の全容を見た方が治しやすいと聞いたぞ」


「これで…大丈夫です」


「恥ずかしがることはないだろう…おまえは…プロの治療士じゃないのか」


「……」


 治療士は答えなかった。

 彼女は、未だかつてこのような患部を治療したことはなかった。


 勇猛な騎士や兵士は、戦場や修練で傷つこうとも、苦痛を悟られまいと笑顔を向けてくるものだ。気を張って平気な素振りをする。そんな男達を治療してきたのだ。


 今までずっとそうだったのだ。


 股間に両手を当て、息を荒げてくる中年男は初めてだった。

 さっさと終えて、立ち去りたかった。


 扉の外から甲冑の足音や、人が叫ぶ騒がしい声が飛び込んでくる。治療士はそちらに顔を向けた。


「ケベックさん…騎士様が呼んでいるようです。私は行かなければ…」

「待て…私の治療を…終えてから行け」


「でも…あの騒ぎです。重傷者が出ているのかも知れません!」

「私の治療が先だ。急ぎたいのなら脱ぐぞ。直接癒してくれ。見た方が…早く的確に治せるのだろう?」


「や、やめてください。そんなの…集中できません」



 戸外に男達の怒声が近づいて来て、蹴とばされたように木製のドアが開いた。

「治療士、ここにいたのか!なにをやってる、総督が重体だ。早くせよ!」


 騎士が飛び込んできた。一刻を争うようだ。髪は汗に濡れ、顔には疲労の色が見てとれた。この短時間に何があったのか。


 ドアの外、その背後を他の騎士が怒号を上げて走る。

「ポーションを見つけて来い!早くしろ!」

 右に左に警吏が走り行くのが見える。

「備えを使ってしまったんだ。ポーションが足りん!薬屋を叩き起こせ!」


「治療士を、神聖魔法の使い手を探してこい!」

「こっちに馬車を!担架を用意せよ!」


 人が叫び駆け回る、緊急の状況がドアの外から飛び込んできた。治療士は赤い髪を振り、駆けだす。


 ケベックは、彼女の腕を掴むが振り払われてしまった。警吏の長とはいえ、総督と比べたら命の値段は安価である。

「待てー!」


 ケベックは絶望する。今夜中に治療を受ける事は出来ない。

 内臓が引き攣れるような鈍重な痛みが、未だに身体を襲っていた。


「むう…んうぅ」


 後に残った留守番らは、戸板の上で股間に手を当て、唸る男に目をやる。


「どうすんだよ…これ?」

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