第207話
俺はイラーザと、表通りが見渡せる屋根の上にいたんだ。
ずっと見てた。
「トキオ様…大変なことになってますけど、大丈夫なんですか?」
場面は、今さっき観衆の中からギーガンが飛び出して、戦い始めた所だった。
足元の交差点は騒乱状態になっている。
彼女からの、再三の助言にも曖昧な返答でかわし、ここまで突っ立っていた。
「げんなりするよ。全然…大丈夫じゃないな」
「じゃあ、早く…なんで」
彼女はその目を、俺に向けたり下の騒乱に向けたりして落ち着かなかった。
下にはライムもいるんだ、気が気じゃないだろう。
彼女の、知り合いのウエハスは死んだ。俺は何もしなかった。あれじゃ何もできなかったけど。
「こうなるだろうとは、思ってたんだ」
「トキオ様、なんで…」
剣戟の音が散発的になり、そして止んだ。
興奮した警吏の怒鳴り声だけが響く。
こんな会話をしている内にギルドのおじさんたちは制圧されてしまった。あっという間だった。イラーザの言葉が止まる。
「様子見だったんだ。ごめんな。…誰が善玉で、誰が悪玉か見なきゃいけなかった。最終的にどうなるのか見極めるつもりだった」
「一体、あなたは何を…」
「失敗…できないからな」
これはダメだ。彼女を任せられる人はいない。なるべくなら親元に返してあげたかった。けど無理だ。腹は決まった。
やりたいわけじゃないけど。俺はこういう事ができる。
性格が悪いから通せる。清廉潔白な人間にはできないだろう。俺はできる。そういう人間だ。
イラーザを見ると、その黒い瞳は涙で濡れている。頬にはいく筋も涙の跡があった。
「大丈夫だ。その胸の痛みは…これはおまえには無かった事になる。
俺は、時を戻せるんだ」
「トキオ様。何を…言ってるんですか…」
「俺は時を戻せる。これは全て無かった事になる。さっきいた、倉庫に入る前の場所からだ。もう一度そこから始める」
「もう…一度……。あなたは…時を戻せる?」
「そうだよ。俺は時を戻せる。未来を知れる、やり直しが利く無敵の能力だけど、先を知るためには、一度通らなきゃいけないんだ」
「なかった事にできる。あなたは、今までにもそれを体験して…それを私は、忘れて…いるんですか?」
「幸いな事に、おまえが死んだ事はない」
「…嬉しい事を言ってくれますね。私は…これを覚えていられないんですか…」
「おいおい、いきなり信じるのかよ?」
「今、こんな嘘を言っても…意味がないでしょう」
やっぱりイラーザは恐ろしい。勘がいい。頭がキレすぎる。
「覚えてるのは俺だけ。全て無かった事になる。俺が、俺だけが覚えておく…」
おまえが泣いたのも、ギーガンが立ち向かったのも、冒険者たちが恰好いい奴らだったのも。そして面白いおじさん、ウエハスが潔かったのもな。
「そうですか…残念です」
イラーザは呟いた。
切なく感じた。真に迫っていた。それがどこにかかっているのかはわからないが。
放っていける雰囲気じゃなかった。けど、俺は彼女に背を向ける。
俺は進まなくてはいけない。この場面は終わりだ。もう、なるようにしかならない。そう思っていた。その時だ。
ライムが吠えたんだよね。
思わず俺の口も開いたよ。今回最高のシーンだ。
充分だ。
いくらやり直しが効くといっても、俺はこれ以上は見ていられない。
その場でリバースしても良かったのだが。タイミングを計って危機のライムの横に降り立った。
少女が殺される。そんな残酷なシーンに、その場全ての注視が集まった舞台に、突然、奇怪な仮面の男が現れた。
処刑執行人のマルーンも止まる。正騎士も警吏も、ルイゼも観衆も息を詰める。
「ライム、おまえ意外と恰好良かったぞ。これは俺だけが覚えておいてやるよ」
俺は彼女を本気で称えた。無意味だが、これは言ってやりたかった。
これを述べたライムは、この世界にしかいなくなる。
勇ましい事を言ったライムだけど、涙でぐちゃぐちゃだった。
「トキオ様…来てくれたんだ。わだし、二人を置いて行ったのに…」
ふっ、面白い奴だ。笑わせる。
おまえが主人公だったか。俺は出発地において行かれたわき役だったわけだ。
まあ…誰でもそうなのかな。彼女の頭をぐしゃぐしゃとかきまわす。
「貴様ー!待っておったぞ!」
もう一つの目的の、白い毬状のデブが視界に入る。
ファナに目を向ける。彼女はライムを護ろうとして警吏に切り倒されていた。まだ彼女を護ろうと這っている。本気だった。
何かを成そうと求めるその目は、彼女の瞳は綺麗な青色をしていた。
俺は超速をかけ、マルーンを蹴とばした。吹っ飛んで行ったマルーンを華麗に蹴り返したのも俺だった。
このくらいは、どうしてもやっておきたかった。
『リバース』
オランジェが待つ、倉庫の廊下の窓から侵入する。その前の時間に戻る。
場所は隣の建物の屋根の上だ。陸屋根なのでそこを選んだ。俺はここでショートリバースを刻んでいた。
少し風が強い屋根の上で、別れに際してイラーザがライムに冷たいことを言った。相変わらずだ。間違いなく前の通りだ。
彼女に、もの凄い告白をした後だ。イラーザの様子を伺うが、変な所は無かった。
それでいい。無かった事になった。俺は、時は戻るのだと信じている。俺が消えた瞬間、その世界も消えると。
でなければやっていられない。さっきのイラーザを置いて来た。吠えたライムを、美しい少女を、放ってここに来たんだ。
二人の前回と同じ会話が終わり、俺もライムに別れの言葉を口にする。
「じゃーな」
「ごめんなさい…わたし」
ライムが申し訳なさげに言う。
俺たちと一緒に行けなくて済みません。さようなら。
そういう意味だったのか。一回目は何言ってるのかと思ったよ。俺は別れのシーンとは思っていなかった。
ライムの髪が、下からの風で揺らぐ。不安そうな目を向けている。イラーザより少しふくよかな胸が視界に入る。
俺は気づいた。これは、きっとストップが手に入るシーンだ。
今、ライムの胸をつつけば…。
しかしどうだろう。実際ちょっと難しい。
いきなり動揺しだした俺を、イラーザが不審そうに見ている。
しかし、ストップは是が非でも欲しい魔法だ。他に手はないのだろうか。
どうするか考える。
スカートをめくる。
どうだろう。うん、確実に止まるだろう。袂を分かつ。旅立つ。人生の分岐点。幼いながらも彼女はそんな思いなんだ。
そんな鮮烈なシーンで唐突にスカートをめくったら、止まるだろう。
ストップが確実に手に入る。
だが、実行を心に命じてみても無理だった。手が動かない。どうしてだかわからない。こいつは俺の好みじゃないのかな。
前世の法律に引っかかるからか?
イラーザに不公平だと言われそうだが、今はちょっと無理そうだ。勘弁してほしい。申し訳ないのだが、イラーザとアリアーデに稼がせてもらおう。
深呼吸した。気持ちをリセットする。
この後、誰も死なない最高の結果を導き出す。
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