第206話

*交差点



 勢いよく飛び出した冒険者たちは、一瞬、警吏の雑兵を蹴散らした。


 一人二人と立ちはだかる警吏の雑兵を退け、その先頭を行くギーガンは都市総督マルーンに迫る。


 だが、敵の準備も万端だったようだ。幾重にも兵員が用意されており、ギーガンの行き手を塞いでくる。


 ギーガンは焦っていた。思いもよらない援軍を得てしまった事に。


 これは決死の行動なのだ。目的を達しても達せなくても必ず命を落とす。彼らを巻き込むつもりはなかった。途中で考える事を放棄してしまった結果がこれである。


 ギーガンは心の中で舌打ちをする。

 馬鹿な真似を…。


 だがもう遅い。今から彼らを止める事も叱ることもできない。ならば、せめてやり遂げたかった。


 時間が無い。

 なるべく手早く始末せねばならなかった。正騎士に詰められては打ち破れはしない。その実力差に留意していた。


 愛すべき馬鹿野郎共に、声をかけることも手を振ることもせず、遮二無二前へ走り進んだ。


 もう一歩、という所で新手に囲まれ阻止される。彼が描いた可能性では、仇敵にも手が届くはずだった。残念だが、時間切れだ。彼は最後の可能性にかける。



 こいつ…だけは!

 ギーガンは渾身の力を籠めナイフを投擲する。


 仇敵は射線に入っていた。攻撃範囲だ。ひ弱な貴族に受けることはできない。


 投げ切った時、彼の視野は狭まっていたので、殺れると思った。


 ガキーン!



 だが、傍から黒い様相の護衛の兵士が踊り出て来て、ナイフを打ち払ってしまう。ナイフはあえなく地面に落ちた。


 完全に時間切れだ。



 ギーガンは振り向く、冒険者たちの眼前に正騎士が迫っていた。この乱戦でも短時間で騎馬を進めて来ていた。彼にはこれが読めていた。


 騎士らが槍を、剣をふるう。


 そこに現れるまでの精密な動き、武器を構えてから振るうまでの無駄のない動き、一流ではない冒険者たちには人間技じゃない速さだった。


 ギーガンは彼らの元に戻った。

 上着を広げ、マナに魔力を送り込み彼らの前に飛び出す。


 だが、その騎士が振るった槍は、硬質化して盾となった上着を、ギーガンもろともあっさりと貫いてしまった。



 ギーガンのスキルが失敗したわけではない。

 力の差だ。正騎士に、その盾を貫く力があっただけだ。


 ギーガンは、叫びも狼狽えもせず、胸に刺さったその槍を片手で掴んだ。正騎士が振り払おうとするが、まるで動かなかった。


 騎士は両手、彼は片手だがびくともしなかった。


 ギーガンは腰の辺りからナイフをもう一本取り出した。騎士はバイザー越しではあるが、彼から目を貫くような殺気を浴びる。


 兜を被った騎士が、小さなナイフなど恐れる必要はない。だが彼は竦んだ。槍を手放して離れるべきだと。


 その正騎士は槍を離さずに済んだ。

 横槍が入ったのだ。隣に現れた騎士にギーガンは横腹を貫かれた。


 殺気は消えた。



 彼は倒れる前に、仲間に手を挙げた。彼らを讃えるよう指を立てる。


 それを確認できた冒険者がどれほどいたのかわからない。ギーガンを失った彼らは、あっという間に制圧されてしまった。



「やはりな。反逆者は他にもいたか」


 マルーンはいかにも満足げに笑みを浮かべていた。何もかもが思い通りになり、愉快なのだろう。


 場は落ち着いた。彼は振り返ると、待機していた馬車に合図を送る。


 ルイゼが少年の従者に手を引かれて現れる。オランジェは押さえつけられ、ライムの前に引き出される。



 ライムは、ファナから引き剥がされ、二人の警吏に両手をがっしりと押さえつけられていた。腕を決めるように捩じ上げられ、お辞儀するような姿勢で、顔を苦痛に歪めている。


 ファナは死なないわけではない。


 死んだら自身の時を戻せる。そういう能力者だ。死なずに戦えるわけでも、瞬時に戻れるわけでもない。そして他にはなんの力もない。


 抑えつけられたら何もできなかった。



 マルーンは歩を進めライムの前に立ち、ゆっくりと白い顔をオランジェに向けた。


「お前が私に手向かったせいで、大変なことになったな。

 心が痛むよ。全く哀れなことだ。

 では、よく見ておけ。おまえの愛する、正しい子の最後を」



 オランジェはひび割れた声で懇願する。


「やめてください、お願いします!何でもします!」



「ウフツ、オッホホホホホ!」

 ルイーゼが扇を口元に当てて笑う。本当に楽しそうだ。腰から体を揺すっている。


 従者の少年の口は、彼女の気持ちに沿うような笑顔を作り出してはいたが、その目は死んでいた。


「マルーン様!どうか…後生ですからーー!」

 オランジェは、地に伏しながらもなんとかマルーンに顔を向け哀願する。


「叫べ叫べ、お前の願いを聞く気は一切ない。溜飲が落ちるわ」


「オホッ、オーホッホホホ!これは、貴方、これは素敵!胸がすく思いですわー!」


 マルーンの灰色の目が、オランジェからルイゼに向けられ、一つ頷く。

 やるぞ。という事だろう。ルイゼは深く頷き、それに応える。



 マルーンの大きな目は、生贄のライムを捉える。


 ぷよぷよの白い肉を躍らせ、彼は剣を振りかざした。銀の刀身が僅かな街灯に照らされ、薄く白い光を放つ。



 気の弱い観衆は目を伏せた。冒険者たちは倒れ、数名は捕らえられて地に伏せている。静寂が場を支配する。



 警吏達は、総督が刑を執行しやすいようにライムを引き起こす。両腕を押さえつけられたライムの胸元に細身の剣先が迫った。



 年齢十二歳。彼女の小さな身体は、その細身の剣の、軽い一撃にも耐えられそうにはなかった。

 観衆にはそう見えた。一閃すれば終わりだろう。花を散らすようにあの子は倒れてしまうだろうと。



 誰もが視線を逸らす中、ライムは下からマルーンを睨め上げる。

 そして、その肺一杯に息を吸い込んだ。



「やってみろ、くそがー!目ん玉から突けよ!

 秒だってテメーのゲス顔見てたくねーからな!できたら礼を言ってやるよ!」



 ライムは開き直り、イラーザの教えを披露した。



 気合の入った太い声だった。

 たとえ敗れても心は決して屈しない。実践できていた。


 観衆も警吏も驚いて口が開いた。周囲に瞬間的な静寂が生まれる。


 華奢な剣先にも、儚く散ってしまうのだろうと思われていた少女のか弱い命は、思いのほか歯ごたえがあったのだ。


 耳にした観客の誰もが、ただ驚いてしまった。



 突然、娘から飛び出した野太い声に、オランジェは感動した。

 仰天ではなく、ちゃんと感動していた。


 冒険者イラーザを尊敬する娘。ただの真似だが、この期に及んでは見事だと思った。美しいとさえ思った。


 私も倣おう。何か一矢報いよう。なんかなるべく汚い言葉を…。


 そう、本気で考えた程だった。


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