第201話
*抜け道のある倉庫
整然と、階下に続いていく階段には吹き抜け部分がある。手すりが格子状になっているので、ウエハスが階下に消えて行くのが僅かに見えていた。
オランジェは、完全に見えなくなるまで彼を見送るつもりだった。
ふと、降って湧いたような気配を感じて振り返る。
「ふわっ!」
オランジェはあまりの驚きに、つい間抜けな声を上げてしまった。
廊下の反対側から、愛娘のライムが突然現れたのだ。
彼の視界には彼女だけだった。他に人影は見えなかった。
トキオは、彼らの別れのシーンの隙に、窓から侵入していた。
その廊下の窓は、隣の建物の壁に少し隠れていて、通りからは見え難い位置にあった。小さく、足場も無いため、普段から施錠されてはいなかったが、音もなく飛ぶことができなければ侵入は困難だっただろう。
オランジェが見る、久しぶりの愛娘の顔に憂いはなかった。純粋で弾けるような子供の笑顔で両手を広げて駆けて来る。
『ライム!』
『お父様!』
二人は心の中で名を呼び、声も上げず抱き合った。
衣擦れの音と、靴音だけがした。
飛び込んだ娘の勢いから、バランスを保つため踏みとどめた父親の靴音だった。
ライムはそれほどの勢いで飛び込んでいた。
彼は大声を上げて、クルクルと周り笑い出したかったのだが、そこは堪えた。
オランジェの計画では、もう成功したも同然だ。
心の底からイラーザと件の男に感謝する。早速効果があったと、胸ポケットを押さえ神の名を祝福した。
オランジェが階段の格子越しに下に目を向けると、ウエハスがこちらを見上げていた。暗がりだったが、親友が笑顔で見上げているのが目に見えるようだった。
彼は頷いて、そのまま暗闇に消えて行った。
オランジェは、娘をそっと床に降ろす。二人は、兼ねてからそう決めていたかのように、お互いの口を耳に近づけ小声で話した。
「お父様に捨てられたって、マルーン様に…あの人に言われたの」
「捨てるわけがない。おまえは私の宝物だ。今でもおまえを誇りに思っているよ」
「お父様…お母様と兄様は?」
「いつか会えるさ。今はここからとんずらするのが課題だ」
「アハッ!とんずらだなんて、お父様ったら…」
「オランジェー!」
階下から、大声と靴音が響く。立ち去ったはずのウエハスが階段を駆け上がって来て、息も絶え絶えに訴えた。
「はあ、はあ…念の為確認したんだが、何故か…海側に正騎士が集まっていたんだ」
「なんだと…あの出口を見つけられたのか」
「それはわからない。とにかく…海の手前、壁の外に正騎士が集まってる」
「じゃあ…機械は?」
ウエハスは蒼白な顔をオランジェに向ける。
「あれは大分離れているから、見つかっていない。けど……今は、使えない。誰にも見られずに、あそこに近づくのは不可能だ」
「まさか…知られていたのか?前の総督も知らなかったのに…私はどうしたら…」
「オランジェ、一度投降すれば…それしか…。今は離れ離れでも…いつかきっと」
「馬鹿を言うな!」
オランジェは部屋の窓に駆け寄り、辺りを覗う。
こちらに異変はない。倉庫前の通りには、見た所警吏はいないようだ。
父親が背を見せた
「ウエハスさん…」
「…ライム、君は強い子だ。頑張れ。絶対にオランジェと離れるな。決してあきらめてはいけないよ」
あきらめろと言っておいて、何を言ってるんだろう。少し思ったのだが、彼に今まで間違いはなかった。ライムは笑顔で応えた。
「うん、あきらめない」
「表にはまだ警吏はいないようだ。ライム、表から逃げよう!」
オランジェは駆け出しながら娘に手を伸ばす。
「オランジェ、無茶はするなよ!」
オランジェはウエハスを一瞬振り返っただけだった。ライムの手を掴むと、一目散に階段を駆け下りた。
通りに出ると、上から見た通り人影はない。警吏も準ずるものもいないようだ。
オランジェは辺りを伺うと、目立たぬよう小走りで駆けた。
走りだしてすぐ角の建物には、ギーガンと冒険者が詰めていた。オランジェはさりげない素振りでそちらを見る。
ギーガンは建物の外に立って様子を見ていた。彼と目が合うが、何のアクションも見せずに通り過ぎた。
オランジェは、仮面の男とライムの取り合いになった時のみ、彼らの応援を乞うつもりだった。警吏から逃げるのに手を借りるわけにはいかない。
オランジェは前方に目を向ける。
あの角を曲がって、この先の表通りさえ越えられれば…。
オランジェは、まだ諦めてはいなかった。どうして秘密の抜け道が割れてしまったのかはわからないが、自分たちの動向が知られたわけではないと考えていた。
この場さえ凌げれば、幾つか他にも身を隠せる算段はつけていた。
辻を出て表通りに出た所で、オランジェは自分の見通しの甘さを知った。
知らせを聞いて、数分で集まったわけではない。最初からここで捕らえる予定だったのだ。その道の行く先は無かった。
すっかり塞がれていた。
南にも北にも抜けられなかった。正騎士がぎっしりと轡を並べていたのだ。
表通りに接する路地を、遮るように止まっていた馬車の扉が開く。
外に立って、中に声をかけたのはケベックだった。
そして、出て来たのは白い肌の男、この街の総督マルーンだ。
正騎士を集め、通りを通行止めにしている。
周辺には、その物騒な様子に気づいた住民も遠巻きに集まって事態を眺めていた。
オランジェは後戻りしようとして振り返る。だが、いつの間にか、後方は黒装束の集団が詰めて来ていた。もう彼らに逃げ道は無かった。
計画が漏れていた。そういう事だろう。オランジェは唇をかむ。
今考えてもしょうがない事が頭に巡る。
一体誰が。
それとも盗聴の類だろうか。いや、計画を口に出してはいない。
後ろの道を塞いだ、黒装束の集団はアサシンのような風貌だ。いかにも間諜に長けていそうではあった。
こいつらが…一体どんな手で…。
オランジェは失敗が信じられなかった。裏切るような人間を計画には入れていない。
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