第199話

*新居



 マルーンは、むっちりとした指をテーブルにつき椅子にかけた。


「そうか、やはりあの男は向こう側という事かなのか…。

 しかしオランジェ、意外と愚かな男だ。ギルドに頼るなどと…それでなんとかなると思っているのか」


 さようです。その通りです。ケベックは満面の笑みを作り頷く。


「それでだ、オランジェはどんな感じだった?」


「娘を八つ裂きにするのは私だとか…最早、娘とも思っていないようで。その後、我らに引き渡す気があるようです。事件は解決ですな」

 ケベックは親の心変わりを小馬鹿にしたような顔でせせら笑う。


 マルーンは、薄い眉を吊り上げ、大きな灰色の目を二人の方に向けた。白い皮膚には不機嫌を表すしわがよる。



 彼の顔に現れた怒気を見て取ると、二人は瞬時に竦み上がる。


 マルーンは小太りで色白で、暴力とは無縁そうな外見だが、いきなり心臓を止めてくる。不思議な力を持った異星人のような迫力があるのだ。



「愚か者が…おまえは、そんな猿芝居もわからんのか?」


「いえ、事実として…彼が言っていたことを、私は…お伝えしただけでして…。

 オランジェは、その、会話では、そのように……おっしゃる通りです。愚かでした。申し訳ありません!」


 怒りの矛先が自分に向いた事を知り、ケベックは血の気が引いていた。

 誰かが犠牲にならないと、この事件に対するマルーンの怒りは収まらないだろう。彼はそう考えていた。


 責任を取らされるのは私か、警備隊長か。今日、死刑宣告があるかもしれない。そう考えて昨夜は眠れなかった。

 ケベックが気づくと、警備隊長はいつの間にか彼から一歩離れていた。私は関係ないという顔を見せている。


 この野郎、なんて奴だ。おまえだって、娘を疑うなんて呆れた男だと、一緒になっていっていただろうが。

 ケベックが、彼をどうにか巻き込もうと考えた時、マルーンが口を開く。


「しかし、娘を八つ裂きか…面白い。私が代わりにしてやろうか…」

 

 それは晴れやかな声だった。彼の表情は、怒りの異星人ではなくなっていた。


「オランジェの。父親の前で八つ裂きにか…。

 ププッ良いな、それが良い。どんな顔をするかのう。ププッ。まさか娘が殺されるとは思わんだろう。

 驚くだろう。愉快な事になる。ププッ、この私に恥をかかせたことを、それはそれは後悔するだろうのう。あの、おかしな力を使う男もさぞや驚くだろうな」



 マルーンはこの辛い状況の中でも、どうやら貴族らしい愉しみを見つけられたようだ。

 彼は愚かな事に、トキオの能力についてはそれほど恐れていないようだった。理解が追いつかず、考えるのをやめてしまっていた。

 今は、自分を窮地に追い込んだ恨みだけが、彼の心を占めているのだ。



 その残酷な独り言を丸々聞いていたのに、ケベックは口を挟まなかった。

 あなたが殺すとしている相手は子供ですよ。しかも無実だ。

 そんな事は考えもしなかった。


 ああ良かった。俺じゃなかった。


 警備隊長も同じ考えのようだ。二人のその顔から、先程までの緊張感が抜けている。今晩は熟睡できそうだった。



 そこへ、少女が近づいて来た。


「マルーン様。失礼ですが、それでは約束が違います」

 声を掛けたのはファナだった。


 彼女は部屋の奥の方に、何をするでもなく控えていたのだが、聞き捨てならない言葉を聞いて歩み寄った。


「…お前はまだいたのか」


「お忘れでしょうか。私はマルーン様の容態が安定するのを見守れと、それと二人の少女を引き取って帰る予定です」


「私は魔法を…まあ、使えるようにはなったが、マカン公の仰ったようには使えていない。約束を守る必要は…無いのではないか?」


 ファナは、どうするか迷った。

 彼女は、マカンがトキオと話したきり、マルーンの中にマカンを見ていない。


『私は君と戦う気がない。これが証拠だ』

 そう言ってから、マカンは彼女の前に現れていない。


 本当に憑依を解いたのだろうか。果たしてそんな事が出来るのだろうか。何故その後の指示をしない。戸惑う私を面白がっているのか。本当にあの人は…。



 ファナは心の中で溜息をついた。仕方ない。このまま役柄を演じ切るしかない。


「私としては、マカン様の意に沿わないことをお勧めしません。

 彼を怒らせたら、きっとあなたは後悔することになりますよ。館を失うより…」


「貴様ー!無礼だぞ!」

 警備隊長が横から怒鳴りつけ、掴みかかろうとするが、マルーンはそれを手で制する。


「言っただけだ。本意ではないさ。私とてマカン公は恐ろしい。

 わかったよ、約束する。彼女を半殺しにするだけに止めよう。瀕死に痛めつけてから、私がマカン公から賜ったはずの癒しの魔法で治療を施そう。


 フフフ…これは良いアイディアじゃないか?

 その時、もし治療できなくても、それは私のせいとは言わないのではないか?」


 薄い色の髪が後退し、大きく広がった額。その下の灰色の目を、ファナは無礼を承知でじっと見つめたが、マカンの気配は見つけられない。


「マカン様…」


 ファナは意を決して問いかけてみたのだが、灰色の瞳には何の変化もなかった。

 彼女は言葉を続けて、マカンに対する問いかけを消す。


「…がいらした時に、話し合いを持って頂けないでしょうか」


 鬱々とした気持ちから、脱する事ができたマルーンは明るい声で述べた。


「マカン公が、それに間に合えばよいな」


 









 

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