第198話


*ギルドヨウシ支部



 あらかじめ、周囲から人払いはしてあった。

 静かなギルド支部長室のソファーで、二人は向かい合っている。


 オランジェは、トキオの手紙を手にしたまま驚きを隠せない様子だ。顔を上げてギーガンに問う。


「これは…騙りではないのだな?」


「それはない。イラーザもいたんだ。フードを被っていたが俺にはわかる」


 ギーガンは背を丸めて、呟く様に答えた。


「何故…そんな。彼女は金が目当てだったの…か」


 状況を理解できず、狼狽えてしまっているオランジェに、ギーガンは目を見開いて殊更大声で述べる。


「そうだ!彼女は最初から金が目当てだったんだろう!それで連れ去った。だから金を渡せば、憎きライムを捕まえられるぞ!」



 オランジェは一瞬だけ戸惑った。

 そうだった。自分から言い出した事なのに、何を勘違いしているのか。


 私は、自分を裏切った娘が憎くて懸賞金をかけて追っているんだ。そういうシナリオだった。

 娘と共に逃亡する決断をして、彼女の仲間に返してくれと言っているわけではなかった。


 謎の勇者。娘を二度も窮地から救ってくれた仮面の男。見たこともない人間だが、イラーザは彼の仲間なのだろう。共にそれに乗ってくれたという事なのだ。


 そのシナリオで娘を引き渡してくれる。そういう事なのだろう。


「金額は?」

「具体的には書いていない。それでどうする。警吏には知らせるか?」


「いや、言っただろう。私が引導を渡してやるんだ。恩を仇で返した、あの憎い娘には。一言いわねば気がすまない。その後だ、引き渡すのは」


 誰が聞いているかわからない。オランジェはしっかり顔を怒りに染めて語った。


 そうだ、それでいい。

 ギーガンは納得の笑みを浮かべた。




*新居


 マルーンはヨウシ市内に、屋敷を他にも持っていた。人に貸していたのだが、火急の時である。無理矢理叩き出し、住居とした。


 白亜館消失事件には箝口令を強いていた。


 幸い彼の館の庭園は広大で、市街からは庭木の陰から小さく見える程度だった。忽然と消えていても、気付く者は少ない。


 前代未聞のスキルを行使する害敵が現れたと、ギバーの領主に訴え、より本格的な討伐態勢を引いても良かったのだが、彼はそれをしなかった。


 笑い者になる事を恐れたのだ。


 ギバー領どころか、国を跨いでの嘲笑を受ける羽目になる。

 館ごと財産を奪われる。どんな間抜けか。愚者。痴れ者。どんなパーティーに行っても根掘り葉掘り問われるだろう。


 国王に呼び出されるかも知れない。そこで査問される。そこに集まる十代貴族は、普段より遥かに多いだろう。


 失態を嘲笑うつもりなのだ。彼らは、一様に神妙な面持ちで同情を訴えてくるだろう。大変ですな。お気を落とさず。


 だが、彼らは振り返ったら笑っている。間違いない。マルーンはそんな嘲笑には耐えられなかった。


 そんな間抜けに、ヨウシ市の治安を任せてはいられない。そんな世論が湧き出せば、更迭だってあり得る。財産の六割を失って、更に役職を失う事は避けたかった。


 全ての不安要素を払拭するには、咎人を捕まえるしかない。マルーンはそう考えた。

 それができれば間抜けな貴族の話が、英雄譚とされる事もあるはずだと。



 マルーンが仮の住みかとした住居は、木造の大きな横長の建物の中心部に、玄関ホールが追加されただけの簡素な造りだ。


 築五十年は経っているだろう。床は歪み、歩く度、軋む音がするような整備具合の二階建ての屋敷だった。


 敷地も、建物の面積の三倍ほどしかなく、道を行きかう馬車の音や、人々のざわめきが聞こえて来ていた。

 音が彼の耳に伝わる度、マルーンは反応してしまった。


 今まで、自宅としていた場所では、あり得なかった。全ての音が自分の為だった。紅茶を、軽食を運んでくる音。来客を知らせる音。起床を促しに来る音。


 後は家族が生きてる証の音である。起きたのだな。商人が来たようだ。また絵を買うのか。

 その全ての音に意味があり、彼が苛立ちを覚える必要は無かった。


 今や、発生する音の殆どが自分に無関係な物である。

 急遽の引っ越しに伴った、荷物の移動の音。必要最低限の生活物資の搬入の音。執事たちと商人の会合。清掃など、音の発生を止める事は不可能だった。


 マルーンは苛立った。真っ白な額に青い血管を浮かべ、廊下で歩く音をさせる家人に怒号を飛ばし、隣室を片付けるメイドを追い払った。


 自分に全く関係のない物音をさせ、当たり前のように道を行きかう、街の住人に対しても憤慨していた。

 何故そこを歩くのか。勝手に視界に入るな。出来る事なら魔法を行使し、消し炭にしてやりたいとさえ思った。


 新しい館ができるまで、これに耐えねばならぬのか。

 ギシギシと音が鳴り、ドアがノックされる。その歪んだ音さえマルーンは不愉快に思った。


 彼の奥方のルイゼが、街へ買い物に行くという。マルーンは苛立ちを隠し、なんとか平静を装った。


「どうした」

「服を新調せねばなりません。それに化粧品なども無くなってしまいました」


 この物入りの時に…。しかし、いつまでも同じ服を着ているわけにはいかない。


「そうだな。だが、何もかも失ったと…悟られないようにな」


「心得ております」




 マルーンは、警吏の長から報告があるとの知らせを受けた。


 大きな居室に移動する。そこは主事が中心となりこの館の運営全般を指揮する場所とされていた。


 そこに詰めていた警備隊長と、警吏の長ケベックは、戸口にマルーンの姿を見て、素早く立ち上がった。


 二人は深々と礼をする。気合が入りすぎていて、どこかぎこちなかった。


「動きが、あったようだな」


「はい、ギーガンめに彼奴が接触してきました!」




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