第197話


「ギーガン頼む、ライムを捉まえてくれ!」


 ライムの父ちゃんはいきなり大声を出し、テーブルを両拳で叩いた。


「私たちから何もかも奪ったあの娘を!八つ裂きにするのは私であるべきだ!」



 語ると同時にテーブルに額を叩きつけた。

 ゴンッと鈍い音が響く。


 不自然な姿勢で彼は止まったが、その肩はいつまでも震えていた。



 ギーガンは、口元を捻じ曲げ、眉根を上げて、渋い中年男に不似合いな泣きそうな顔を窓ガラスに映していた。


 涙は頂戴しなかったが、俺の唇もちょっと尖ってしまった。


 ライムの父ちゃんが、彼の魂が、どうやって吐かせた台詞なのか。声が震えて泣いていた。録画してライムに見せてやりたい。誤解する事はないだろう。


 横方向に重力を操作するのは難しい。落とすといけないので俺はイラーザと腕を組んでいた。

 彼女の手に力が入り、腕を締め付けられる。

 イラーザはそっぽを向いていた。



 夜空が白みだした頃だった。

 館を後にしたギーガンを呼び止める。無駄かもしれないが、尾行の死角になるだろう街角を狙った。


 俺はイラーザを伴い、手紙を渡した。無論、余計な事は言わなかった。仮面を被り、ほぼ口は開かなかった。俺もライムの父ちゃんのやり方を守る。


 イラーザにも深くフードを被らせた。彼女とわかるだろうが、確実では無い。慎重に逃げ道を作っておく。


 手紙にはこう書いた。


 当方、ライムと金銭を引き換えの用意あり。日付はそちらで決めてよいが、時間は日没後に限る。明日もう一度会いに来る。その時に委細を決定する。




 朝日が水平線に顔を出す頃、海辺の小屋に帰る。

 眠らなかったのか、眠れなかったのか、アリアーデとライムが出迎えてくれた。


 俺もイラーザも、館での事の多くは語らなかった。

 ライムにはこう言った。


「おまえの父親は、家族と離縁したようだ。そして商会、家屋を懸賞金に代え、おまえを罪人として探している。ギルドに頼んでいた。

 彼が何を求めているのかはわからない。別に出て行く必要はない。俺は約束した通り、ちゃんと責任を取る。このまま、俺たちといる方が安全だ」



 雰囲気など、多くは語らなかったのに、彼女には合点がいったのだろう。父親を信じられたのだろう。


 捨てられたと思っていたが、そうではなかった。

 家を、仕事を、家族を捨ててまで一緒に逃げようとしてると。


 俯いた彼女の目に、溜め置いた涙に、笑みなのか無駄に力がこもってしまったのか、微妙な形を見せる口元に。彼女の表現しようのない感情が現れていた。


「ごめんなさい……わたしを、お父様に引き渡してください」


 バカだな。ごめんなさいなんて、誰に謝ってるんだ。


「公に懸賞金をかけてるんだぞ。俺と、ライムが思ったのとは違うかもしれん。

 酷い目に遭うかもしれないぞ?」


「そんなの絶対、無いです!」


 子供ってのは困ったもんだよ。この間までめそめそしてたくせに。



 ライムの父ちゃんには特別な力がない。商人と言えば、時に国を動かすほどの権力を持つものだが、彼の生き様がそれを持たせなかったのだろう。


 そして彼は、欠くとこの世のバランスが崩れるとイラーザに言われるような娘を育ててしまった。


 彼はその責任を取る。ライムはそれについて行く。

 この子の望み通りしてやろうと思う。

 俺にはそれを試す力がある。


 アリアーデに注意されて、心を決めている。今回、決して失敗はしない。



「やはり、私も残ろうか」


 アリアーデは出発前に言ってくれたが、ここ、ギバー領は彼女の領と隣り合っている。銀の娘は誰にでも知られる有名人だ。話がややこしくなるに決まっている。


「アリー、わたし…大丈夫だから。ありがとう」

「そうか…元気でな。気をしっかり持つのだぞ」


 子供すごいな。微妙な顔してたのに、いつの間にか愛称つけるとか。



 俺たちは、黒馬に乗って出発するアリアーデを見送った。

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