第196話


 街に流れるライムの黒い噂は、奴らが操作して流してるんだろう。

 あまりに乱暴で無茶苦茶な話だが、そんなわけない。それを信じないという人は少数だと思う。


 どんなに良い子だと思っていたとしても、実は裏の顔があるんじゃないかと疑ってしまう。人間の弱い所だ。


 そして簡単で、楽な方の答えを選ぶ。

 絶対違う、あの子は、ライムはいい子だ!そう言い張って庇っても、もう何の得もないんだ。


 金に困っていれば躊躇なく売るだろう。だって悪い子なんだろ。

 


 俺は暗い気持ちでイラーザのもとに戻った。


 暗がりだからわかり難いが、なんか頬を染めている気がする。

 なんだろう。もしや、自分もつつかれたいのだろうか。こんな気持ちよりはエロがいい。いいよ?


 …いやいや、今はそんな場合じゃない。

 気合を持って自重する。彼女も言いたいことがあるのに我慢しているようだ。今は職務に殉じよう。



 ライムの父ちゃんの館の、周辺の民家の屋根に降り立った。手入れされた針葉樹が等間隔に並んだ、特徴のない佇まいを見る。


 家に侵入する前に辺りを覗う。ここが大事だ。見張ってる奴を見つける。

 館の上空五メートル程で静止し、辺りを見回す。俺にしか出来ない技だ。



 見つけた。

 向かいのレンガ造りの建物の二階にカーテンが中途半端に閉まってる部屋がある。これは覗く用だろうと俺は判断する。


 こういう状態のカーテンは気になるものだ。

 まあ、俺のように気が小さくなければなんとも思わないのかも知れんが。


 空を音もなく移動して、レンガの建物の屋根に立つ。上から覗くと、やっぱりだ。明かりを消した室内から、オランジェの屋敷を見ている男がいた。


 逃げたのは子供なんだ。帰る家はここしか有り得ない。


 本当に、ライムには逃げ道がないんだ。アリアーデに注意されてよかった。俺はかなり軽く考えていた。慎重さが足りてない。反省だ。


 男は目をこすり、欠伸をしながらも目を離さない。昨夜も働いていたメンバーだろう。


「イラーザ」


 察した彼女は頷く。口中で呪文を唱える。

『我が闇の眷属よ、邪魔者の身体を鎮めよ、黄泉の国へ導け』


 俺は、呪文を構築した彼女を攻撃範囲に導く。

『睡魔』


 ドンッ、結構な衝撃を伴って彼は机に伏した。

 すげーな。アレで起きないのか。まあ、寝不足の奴には効果覿面なのか。



 屋敷の屋根に降り、ライムから聞きだしておいた父ちゃんの部屋を目指すが、途中で明かりの付いた部屋を見つけ、覗いて見る。一階の中央の部屋だ。


「私ここに入った事ありますよ、客間です。あっ、あれはギルドのおじさんですね」


 そこには、彼女にギルドのおじさんと呼ばれるギーガンがいた。対面にはライムの父ちゃんがいる。


 ライムの父ちゃんはテーブルに両手をついて頭を下げている。


 ギーガンは背筋を伸ばしそれを見ている。テーブルには紅茶のカップが二つ並べられているが、どちらも口をつけた様子がない。



 二人で、水槽に張り付いたサザエのように壁面に張り付き、暫く様子を眺めていた。

 彼らに動く様子はなかった。蝋人形なのか。ここは蝋人形館だったのか?一瞬、マジで思いそうになったが微妙には揺れ動いていた。



 十分ほど経った頃だろうか。やっと、ギーガンがかすれた声を漏らした。周りが静かなのでこれは良く聞こえた。


「オランジェさん…」


 父ちゃんは両手をついた姿勢を変えないまま応えた。

「懸賞金の足しです。娘を捕まえてください」


 どうやら、テーブルの上にある書類は価値のある物のようだ。それを足すから願いを聞いてくれという事だろう。


「オランジェ…」

「警吏でなく、どうしてもあなたに、あなた方に捉えて欲しい」


「これは館の権利証ですよね…商会の証券も…あなたは…」


「妻とは離縁しました。長男の親権は放棄しました。私はもう家族などいらない。あんな裏切りは許せない。もう一切、家族というものを信用できません!」



 ギーガンは書類に向けていた目を彼に向ける。俺からも見えないが、ライムの父ちゃんが、どんな表情なのか探りたいのだろう。


 重力に引かれた、白に近い薄茶色の髪が眼前に垂れているだけだ。

 父ちゃんは更に声を荒らげた。


「あの、憎き娘を野放しにしてはおけません。捉まえてください。それだけが望み!」



 他に見る物がないので俺はギーガンを見る。

 まるで彼が、今の言葉を述べたようだった。そんな顔をしている。眉に苦しみを浮かべ、顔中に深い皴を作り、口を強く引き結んでいた。


 父ちゃんは顔を伏せたまま続ける。

「私は、この後どこぞ遠くの修道院にでも行くつもりです。国を裏切り、動物を殺すような…あんな娘を育てた責任を取ります!」


 ギーガンは肘を外に立てている。自分の膝を強く掴んでいるようだ。

 ライムの父ちゃんは変わらず頭を下げ続けている。


 この後は、不毛とも思えるやり取りがいつまでも続いた。言葉を、言い方を変えての同じようなやり取りだった。



 俺は理解した。この二人は本音を隠して会話している。盗聴を恐れているようだ。余計な事は言わないようしているんだ。


 その実、ライムの父ちゃんは娘と逃げる気なんだろう。捉えた後の事は自分たちがする。責任はかからないようすると、語らずに述べているんだ。


 盗聴器…見た事はない。かなり高価ではあろうが、魔石を使えば電源もいらない。相当小型の物が簡単に作れる。


 どんなに家探ししても、全てを見つけ出す事はできないだろう。


 彼らが相手にしているのはこの街の総督なんだ。


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