第195話



 アリアーデは、明朝一度ミドウに戻り、家臣たちに別れの挨拶をして来るという。なので、今晩はライムと留守番をして貰う事になった。


 俺とイラーザには、今晩中に少しやる事がある。



 ライムは、よく知らない貴人と二人きりでの留守番に対して、微妙な感じを見せていたが、俺としては安心した。

 この場所はかなり安全だと思ってるけど、ライムを一人で放って行くのは若干心配だった。


 でも今晩だけは、彼女を連れて行くわけにはいかない。



 雲もない夜だった。草木も眠る丑三つ時、俺は音もなくヨウシの街の上空に姿を現す。

 生意気言ったが、丑三つ時が何時を指すかは知らない。窓に明かりが灯る家は少なく、街は真っ暗だった。



 昨夜あれだけ兵隊が駆け廻ったんだ。馬が駆ける振動、ドアを叩く音、怒鳴り声、住民もよく眠れなかっただろう。


 俺はイラーザと二人で、オランジェの館へ向かう。彼女とベッドの上でした約束の下拵えが必要だった。

 …なんか、字面がすごいな。



 街に人影はなく、とても静かだったが、壁門の近くの酒場を見ると、そこにはまだ明かりが灯っていた。営業中のようだ。


 そこは俺とガーが出会った店だった。

 イラーザを襲ったハゲも出入りしていた店だ。俺は様子を見ておく気になった。



 なにしろこの街では、奴らは警吏の部下という設定になった。正義の人だ。街をうろついていても不思議はない。


 奴らの現状は知っておくべきだろう。楽しそうにしてる所を見つけたら、気軽に酷い目に遭わせて、必ず奴隷に叩き落としてやる。そういう約束で命を救ったんだ。


 安心して欲しい。俺はこういう苦労も排除しない。前向きに、積極的にやる。



 近くの大きな民家の屋根に降り立つ。煙突の横に具合の良い平面部分があったので、そこにイラーザを置いて行く。


「おまえはここで待ってろ。ちょっと偵察してくる」

「…待ってください」


「ん?」

「トキオ様…私、どうしても聞いておきたいことがあるのです」



 イラーザが神妙な顔をして聞いて来るので俺も緊張する。


 あの人とは一緒に居られません。どっちが好きですか?

 別れの気配なのか?困るな、まるで対応できないぞ。俺の所持するスキルでできることは、聞こえなかったふりぐらいだぞ。

 こんな静かなところじゃ難しいだろ。


 彼女の黒髪は闇に沈み、街の僅かな光源が艶だけを見せている。一括りずつ、頬の前に垂らした髪の房が揺れる。


 大きな黒い目は、憂いを持って見開かれている。綺麗だ。何を聞く気なんだ。



「乳首を、突いたのはあの方のですか?」

「…そうだよ」


 今それかよ。と思ったが、とんでもなく重いこと言われる想像していた俺は、割と軽く答えられた。


「あなたって人は…何者ですか?神ですか?スゴっ!信じられない!恐れ多いとか、思わなかったんですか?」


「人命救助だったんだ」


「え、人命…」

「聞きたいのはそれだけか?今そんな場合じゃないからな」


「そう、ですよね…」


 暗がりで、女子に乳首とか言われ、感触とか色んな事を思い出してしまった。

 このままだと、実験と称してイラーザの乳をつつくかもしれないので、それ以上語らず酒場の建物に飛び移る。



 店の前には空き樽が並べられている。一か所開いている窓があり、そこに忍び寄る。怪しい動きをしていても、他には人っ子一人いない。


「ワイワイ」「ガヤガヤ」


 不思議だ。漫画的表現だが、最初はそういう風にしか聞こえない。声が混ざって篭り、そういう風に聞こえる。

 集中して声色を区別する。体の大きさを予想したりして分ける。聞こえる方向でも分ける。


少しずつ、声が分離していく。

「ぎゃはは、ばーか」「なんだとー」「いや、無いんだって」「遠くだからあれだけどさ…」


「警吏の奴びっくりだよ。一晩中駆け回らせといて、銀貨しか寄こさねーんだぜ!」

「ひでーな」


「ひでーって言えば、緑の娘だよ」


「ああ、知ってるぜ。なんか、あの子、猫とか殺してたらしいな。あの館の庭にめっちゃ大量の、小動物の骨が埋まってたんだってよ!」


「まじかーー!やべーなおい!」


「他にも嘘ばっかりついててよ。なんかそれがバレそうになって今回無茶したらしい」

「いや、なくね?いくら何でも十二歳だろ。大人を売ったりできるか?陰謀じゃね?」


「ばっかやろー、おまえはすぐ陰謀論だな。この間ほら、クックリ市の貴族のガキが奴隷の女三人も殺したっていうじゃねーか。あれなんか、まだ十だったらしいぞ?」


「それも陰謀だったんじゃね。貴族の犯罪が表ざたになるって変じゃね?」

「…はいはい。陰謀、陰謀ですよ。みんな陰の支配者の陰謀だよ」


「なんか…小さな人骨も埋まってたって噂だよな」


「うわぁ…やっぱり貴族のガキは怖いよ。俺らと育ちが違うからな。あの子もそーだよ。結局、貴族と育ちが変わらねえからな」


「うそ!命ってあんた達にもあるんですか?虫なのかと思った。ママが教えてくれなかった。とか言いそう」

「ギャッハハハ、言いそうだ。違いねー!」


「そう言えばオランジェさん、懸賞金つけたらしいぞ」

「えっ、娘にか?」


「大金貨二枚」

「まじか!そんな事したら、娘が狩り出されちまうぞ?いいのか」


「商売の邪魔なんだろーよ。このままじゃ、商会が立ちいかねーし。それに動物虐待とか最低だろ」


「そう言えば、前に広場の犬が毒で苦しんでただろ。あれ、ライムが毒盛ったんだろ」

「そうそう、バラックの奴らに、あげてたパンにも毒入れてたってよ。それで死んだ子もいるっていうじゃねーかよ」


「おう!飲んでる場合じゃなくね?探しに行こうぜ。ミニビッチをよ!」



 もう…帰ろうかな。マジで思った。


 アリアーデの言う通りだった。敵に回しちゃいけない奴を敵に回したんだ。

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