第193話



 ライムは…この子は。


 もしかすると、あのまま置いて行った方が彼女にとっては幸せだったのだろうか。

 イースセプテン国での立場は、約束されていた。


 盗賊の一味呼ばわりされて、追い回されるなんて。捕まった時に、どんな目に遭うかわからない。俺はそんな道に、この子を踏み込ませてしまったんだ。


 今更ながら反省する。


 イラーザも俺と同じように神妙な顔をしている。

 でも当初、彼女は嫌がっていたんだ。

 悪いことをした。間違いなくイラーザはこの領のお尋ね者にさせてしまった。


 なんであんなムキになったんだろう。途中から全開で奪いに行ったりして。



「ライムは…返した方が良いかな…。そうだ、イラーザも俺に攫われた被害者にして…」


「ちょ…!」

「お断りします‼︎」


 ライムとイラーザが同時に大きな声を上げた。



「トキオ様は、本当にバカですね…忘れるなんて。

 言い返す瞬間を、今か今かと待っていたのに…。あなたは、何をしょぼい事、口走ってるんですか!」



 そこまで言い終わると、イラーザは俺に向けていた非難の目を、隣に座るアリアーデに向ける。


「アリアーデ様、どう見ても貴族である貴女には言い難いのですが…。

 トキオ様は、貴族ごときにビビっている私を変えようとしたのです。

 私は、貴族ごときに、恐れ慄いていました!


 子供の時から叩きこまれていた恐怖に震え、正直、抵抗する気力もありませんでした。この子も、ライムすら、置いて逃げようかと思いました。


 そしたら、なんとこの男は、嫌がらせをしようと言いだしました。

 負けない、逃げないではなく、やり返すというのです。しっぺ返しを食らわせると言うのです。最初はアホかと思いました。


 彼らが一番大切にしているのは財産だから、それを奪ってやろうと言いました。

 彼は、それはそれは楽しそうに語りました。こうです。


『イラーザ、おまえに見せてやる。奴らの、胸元まで口を開けて驚くアホ面を!

 奴らの、零れ落ちそうな眼の玉を!

 おまえを冷ややかに見ていたあの目が、小虫を見るようなあの目が、驚愕に彩られる様をおまえに見せてやる!

 奴らは多分泣くぞ。それに口の端から涎も出ているだろう。マナーも、ご立派な貴族のプライドも何にもない。ただのアホの姿だ。


 あいつらも実は、俺たちと同じ間抜けな人間だってことをおまえに見せてやる!』



 イラーザはそこまで一気に捲し立てた。

 どういう事か、彼女は俺の形態模写がやけにうまい。というか俺より数段セリフ回しもうまい。説得力がある。


 彼女は一息ついて、何か夢見るように虚空を見る。


「…見たいと思いました。

 この人の、揺るがない何かを知れるんじゃないかと思いました」



「…で、それは見られたのか」


 この時は気づかなかったんだが、アリアーデのその声は、あまり淡々としていなかった気がする。少し速かった。



「見ましたとも!私の背筋を稲妻が走りました。お陰で背筋がぴしゃりと伸びました。もう私は背を曲げない。

 もう、むやみに彼らにへつらう事は無い!怯えたふりはしても、怯えはしない!

 私は生まれ変わりました。こんな気持ちになれるなんて…。正直…あそこで死んでもいいとさえ思いました」


 イラーザ、いくらなんでも刹那的すぎるだろう。途中までいい感じだったのに…。



 そうだった。そうだった。

 途中から忘れてしまっていた感があるので微妙だが、俺に火をつけたのは彼女の様子だったんだ。


 そういえば、最初はちゃんとライムの事だって考えていた。



「私はこれからも、この生き方を選んで生きて行こうと思いました」


 そこで、イラーザは椅子を鳴らして立ち上がる。



「断言しましょう!トキオ様のやり方は何一つ、間違ってなどいません‼


 子供を親元から奪おうとするなら…そんな非道を目論むなら、それなりの覚悟をするべきです!

 罰を受けるべきです!あの時、私は命を懸けていた。

 それなりの代償を頂く権利があります‼


 私たちが生きているのだと教えてやれました。何一つ、後悔などする必要はありません!奪うなら奪われることを覚悟すべきです!

 貴女がそれを否定するというなら、受けて立ちましょう!やりますか!」



 イラーザは一気に語り、ハアハアと肩で息をする。その黒い瞳はアリアーデに真っ直ぐに向けられている。


 イラーザの瞳には、アリアーデが白く映っていた。

 このアリアーデに、人間を超えたとこにいそうな容姿を持つ娘に、目線を逸らすことなく、よくぞ言い切った。尊敬するぞ。



 命懸けだったか。…イラーザはそんなに頑張っていたんだ。


 ごめんな。

 結果はどうあれ、やっぱり俺が巻き込んでるな。


 でもまあ、今のは実にイラーザらしいイラーザだったと思う。逆らいもせず、あんなに怯えるのはらしくない。


 そうだな、後悔なんかないな。



 言いたい事を全て吐き出して落ち着いたのか、イラーザは少し声を落とす。


「確かに…ライムには、生き辛い未来を作ってしまったかも…しれません」


「お姉さま、わたしは全然大丈夫!この人は、誰かに運命を勝手に決められそうになったことが無いから、その怖さが、わからないんだよ!」


 おいおい、二人がかりで攻めてやるなよ。結構な苦労が彼女にもあるんだ。

 俺は、そこで反論の無いアリアーデを不審に思い、横を見た。


 驚いた。

 あの、アリアーデの目が開いていた。


 そのクールな目は、実はそんなに開くんだ。女の子みたいだぞ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る