第191話


「お前をずっと待っていた。すぐ戻ると思ったのに戻って来なかった。

 兄上に千切ったとか、もぎり取ったとかからかわれ、難儀したぞ」



 アリアーデの言葉に、少しでも切ないような感情の漏出があったのなら、俺は彼女を抱きしめていたかも知れない。

 だが、彼女は真っすぐに俺の目を見て、至って淡々と述べていた。更になんだかわからない、物騒なフレーズも入っていた。


 でもだ。それでも俺は、彼女を抱きしめたくなった。

 アリアーデが俺を探しに来てくれたんだ。


 例の許可を頂いてるぐらいだ。激オコとかないだろう。俺は手を伸ばし彼女を引き寄せ……。

 ……られなかった。



 彼女は、見事なステップで俺を躱す。


 半身になって、俺に送った銀眼には珍しく感情があった。愉快そうだった。


「さて、あまり子供たちを心配させてはなるまい。彼女たちは、おまえが保護しておるのだろう?」



 子供たち。イラーザはやはり子供に見えているようだ。


 アリアーデが足を向けた方向は、黒い影となった崖が夜空を埋めていた。

 その下にテラス付きの小屋がある。窓からほんのりと明かりが漏れ出ていた。割とそれが良い雰囲気に見える。


 明かりが目立たないようカーテン代わりの布をかけていたが、全てを覆い隠せはしない。

 ドアの向こうには、温かいシチューが待っているような雰囲気がある。



 この小屋の出どころと、運搬法をアリアーデになんと説明したものだろうか。

 そんな事を考えながら近づくと、ドア越しに声が漏れ出てきていた。



「トキオ様って人を助ける時に、代わりに身体を差し出せっていうの?

 淫獣なんですか?もしかして、私も言わなきゃダメなの?」



 子供の甲高い声。ライムのものだ。あのガキ…。

 ふと気づいた。イラーザはあんなだけど子供の声じゃない。女も声変わりするんだっけ?


「ライム。勘違いしないでください。彼はロリコンではありませんよ」


「嘘だぁ……」


「こら、なんですか!今、あなたはどこを見て言いましたか!

 コイツめ、身体に少し焦げ跡を残してやりましょうか?」


 俺はドアを開ける。二人の視線が同時に俺に突き刺さった。



「もう、終わったんですか。めちゃ早いですね…」

「姉さま!私聞いたことがあります。確か…そーろー?」


 この、マセガキ…っていうかイラーザさん。ヤキモチとかないんですか?結構仲良くなったとか思っていたけど、俺の勘違いなんですか?


 これって、童貞だからしちゃうような勘違いですか?



「イラーザ。俺は約束だからと、そんな事をする男じゃない」

「嘘つかないでください!あなたはいざとなったらやるタイプです!」

「姉さまがいうなら間違いないです。わたしもそう思います!」



 間髪入れずに言い返しやがって。

 まただよ。なんなんだこいつらは。…断言するのはよしてもらいたい。


「…ちょっと待て、イラーザ。聞きたいのだが。やるやらないはさておいて、その、いざとって、どういう時なんだ?」


 イラーザは顎に指を当て、目を閉じ、悩み深い顔を見せる。



「そうですね…あり得ない話です、万が一のお話ですが…。

 それは私とトキオ様の関係が、修復不能になってしまった時ですね。


 私が踵を返した時、あなたは呼び止め、こう言います」

『そういえばイラーザさ〜ん。約束を果たして貰ってないなぁ?ちょっと股開いてから行けよ〜』



 ……怖い。

 こいつ、俺のこと知りすぎ。ってか、俺の口真似するな。似すぎ。


 言いそう。そのリアルな下品さ…。悔し紛れに言いそうです。その表情もしそうです。博士っす。あなたは俺の研究で博士号取れます。



「それで……そう言われたおまえは、どうする気…なんだ?」

「パンツ脱いでパカッと開きますよ。ああ、そうでしたね、どーぞ!どーぞ!約束ですからね!そう言います」



 なんだよ…それは。なんて勇ましい女なんだよ。惚れてしまうぞ。

 きっと仲直りしちゃうぞ。


 アリアーデ様、黙ったまま、冷静な瞳で俺を観察するように見てるのやめてくださいませんか。


「…ちょっと話がわからないのだが、子供たち。いい加減にしておやり。

 男は格好をつけるものだ。こう言っておるのだから、私も感謝して受け取るのが良いのだろう。

 トキオ、お前の心意気あいわかった。では、あの約束は無かった事で良いか」



「おう…」



 おかしい。


 間髪入れず、格好よく肯定したはずが、俺の手は胸の高さまで上がっている。あれだ。まるでちょっと待ってよ。そういう時の手つきだ。


 さっきのショートリザーブ、まだ有効だぞ。戻そうかな…。



「ちょっと、トキオ様、バカですか。取り消した方が良いですよ!格好つけてる場合ですか。そんな、なんて勿体ない!この方とですよね?バカです!絶対後悔しますよ。千載一遇のチャンスですよ!万載一遇の機会ですよ!億載一遇の幸運ですよ!」


 このイラーザの言葉が、俺の心に意地を張らせた。畳み掛けるように、そんな二度とないチャンスみたいに言われると悔しかった。

 俺の眠れる反骨心を起こしたんだ。おまえには言われたくないし。


 俺はにやりと笑って場を流した。この話は終わりだ。


 

 大分無理をしたんだ。恰好よかったに違いない。


 そう信じたい。



 男の痩せ我慢は格好いい。聞いた事がある。


 だよね?

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