第190話


 …アリアーデ様…確かに…美しい感じでしたけど…。


 マジですか?


 ちょ、待って。セックスって…どんな顔で言ったんすか?



 そう思って振り向くが、彼女は極めて通常運行だ。照れとかまるでない。そうだ、そんな人だった。


 アリアーデは超然としていた。なにか格の違う気品を感じる。

 海辺に現れた女神、そのままだった。



 おかしな言葉を聞いたような気がしたが、聞き間違ったのはこっちだったのかもしれない。誰もが自分を疑ってしまうような様子だ。


 静かに佇み、白銀の姿で闇をにじませていた。


 うん。おかしなことを述べたと思ったのは、こっちの聞き間違いだろう。きっと彼女は詩でも語ったんだろう。



「あ、そう…なんですね。失礼しました」


「どうぞ、ごゆっくりー」


 自分たちが間違ったと思ったかどうかはわからないが、二人はそそくさと踵を返す。先のはイラーザ。後のがライム。


 おい、ライム。子供のくせにおまえ、なんて事を言うか。

 っていうか、イラーザ止めないんだ?



 テンポを保った軽快な調子で、二人の砂を踏む足音が遠ざかって行く。

 マジで行っちゃったよ。めっちゃクールに去って行くよ。


 イラーザ、そういう感じなの…。俺のこと好きなんじゃないの?



 俺は、夜の浜に一人残った、銀色の月の女神様に目を向ける。


「アリアーデ…」


「…礼は不要だ」



 礼を言う状況じゃねーよ!なにを言ってるんですかこの娘は。


 いや…アリアーデ…まさか。

 俺の、下の方を隠してくれたのか…。


 漏らしたってのを。守ろうとしてくれたのか?


 なんて優しいんだ。

 そうか…今のって、百%優しさだったんだ。俺はそれに気づき目頭を熱くする。


 この娘は、俺の情けない秘密を、みっともない粗相を、身体を張って守ったんだ。


 あったよ。確かにあった。

 怯まない、引かない、何があっても揺るがない感じが確かにあった。気品を感じるはずだよ。なんて勇気のある、心の綺麗な娘さんなんでしょうか。


 嬉しいんだけども、でもね…でも、よく考えてね。俺としては一発やる約束の方を隠して欲しかったよ。

 大体…偶然会ってすぐパンツ脱ぐってどんな獣だよ?


 セックスする約束ってなに?


 どう考えても恋人たちがかわす、爽やかな約束に聞こえないよね?

 欲望にまみれた豚が要求したっぽいよね?

 ブヒブヒ…。



「それでどうする、トキオ。何故かこの前は逃げたわけだが、約束を果たすのか?」

「…………」


 俺は、この女神様に触れる権利があるんだ。凄いな。凄いことだ。心臓が弾む。


 張ってる…な。


 アリアーデ様の胸は、闇夜で見てもはっきりと突き出てる。決して特別に大きくはないが、バランスが美しい。形が良い。見ごたえ充分。何分でも見ていられる。


 この美しさは、闇夜で見るからかもしれない。せり出していればこそ、空からの光の恵を受けるものだ。


 きっとイラーザではこのアッピールは無いだろう。

 触れたい。はっきり言って触れてみたい。その淡い色をした唇にも触れてみたい。


 アリアーデの唇には止まった世界でしか触れてない。

 いや、俺にはそれすら出来なかった。したいね。その神域を侵したいね。



 だが、しない!


 格好いい男ぶってるわけじゃない。考えてもみたまえ。小屋で待ってる彼女たちはどう思うよ?長くても短くってもろくな話にならない。


 それに俺は、先程の残滓があって余裕がある。少し恰好つける事にする。



「アリアーデ、約束を守ろうとしてくれる事は嬉しいが、あの時のあれは、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。

 あの時、君がそれほどまでに願い、求めた事を、俺は叶えられたのか。それを確認したかっただけだなんだ。


 あの晩、君が、あんな約束を受けてくれた事で、思いは果たされたんだ。

 もう気にしなくっていいんだよ」


 俺は、無理矢理に二枚目顔を作り出す。ふざけた心を一切排して彼女を見る。

 心は大分本物だ。きっと伝わるはず。



「嘘をつくな」




 え……大分待ったのだが、彼女から次の言葉は出てこない。

 それだけ?短か!断言?


 次は俺の順番なの?もう、俺のターンなの?



 せっかく生まれた隙だ。俺は取りあえずパンツを履くことにする。先延ばしにしても良いことは何もない。海風でスースーするし。


 あの時、替えを履いてから洗っておけばこんな面倒な事にはならなかった。慎重派と自負する、俺のやる事じゃなかった。どんな時でも舞い上がってはいけない。

 反省する。これからは必ず履き替えてから洗う。


 替えのパンツを異次元収納から取り出し、履きながらアリアーデに目を向ける。彼女は愛馬を見ていた。なんか、胸に浮かんだが言語化できなかった。



 アリアーデから、追加の言葉はやはりなかった。

 時間が大分経ってしまったが、嘘をつくなとの、彼女の問いに対して答えねばならない。


「…そうだね。まあ、それはいい。ところで貴族のお嬢様が、なんでこんなところに一人で?」


 俺は、ズボンを履き終わると同時に突っ込まれたくない所をさらりと終わらせた。肯定しているので反論はないはず。我ながらうまい。



 アリアーデは銀の瞳を向ける。暗がりで見るとわりと色を持って見える。瞳孔も大きく、いつもより柔和な気配がする。


「ジージャに行ったのだな。そこでな…」

「ジージャ?」


「知らぬのかミドウでは有名な寺院だ。そこにな、名物なのだが、ミージなるものがあってな…」


「ミージ?」

「こう、紙を棒状に折ってあってな、占いが書いてある。これだ」


 棒状の占いって…おみくじか?そんなもんあるのか?


 俺はアリアーデからそれを受け取り、広げてみる。暗くて見えないので魔石灯を取り出して照らす。夜の海辺に、折じわが入った白い紙がぽっかり浮かぶ。


 仕事…まずまず。続けよ。

 健康…問題なし。

 転居…転機となる。

 失せ物…身近にある。根気よく探せ。

 待ち人…海。


 マジで、おみくじじゃねーか!


 どういうことだよ。ほかにも転生者がいたのか?

 いや、待て。あり得ない事じゃないな。適当なこと書いて小金を頂く。占い業は結構なビジネスだ。意外と人類なら誰でも思いつくかも知れない。


 しかし、待ち人…海ってなんだよ。死んだって意味にも取れないか、これ?

 どんな奴が作ってるんだよ?



 ふと、それに気づいてアリアーデに目を向ける。


 あれ…これは、探しに来たのか俺を?


 散歩に出たつもりで、際限なく海辺を馬で駆けて。俺が見つからないのでここまで来ちまったってのか?


 おみくじを信じて海を探していたのか…。



 この娘の待ち人なのか、俺は?

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